第195話 二人きりの舞踏会
前回のあらすじ)シャルロッテがFクラス残留の宣言をし、Fクラス退学は免れた。その後、シャルロッテはゼノスに手紙を渡しーー
――放課後、歌劇場で待つ。
シャルロッテの手紙に書いてあったのは、短い一言だった。
「……」
終業式の後、ゼノスは手紙を手に校内の歌劇場に向かった。
今日で終わりになる貴族学園での生活を思い返しながら、敷地内を歩く。
教育のことは最後の最後で少しだけわかったような気もしたが、それも定かではない。貧民出身というのが明らかになり、すぐにでも追い出されると思ったが、Fクラスの生徒達の態度はさほど変わらず、教頭からも不思議と音沙汰がない。
いずれにせよ、貧民が貴族の子弟に混ざって暮らすというこの特殊な機会は、シャルロッテへの手術がきっかけで始まったことだ。
しんと静まり返った歌劇場。そのステージの上に、七大貴族の少女が立っていた。
腕を組み、こっちを睥睨する瞳には怒りの色が滲んでいる。
「こんなところに呼び出してどうしたんだ?」
「その前に、私に言うことがあるんじゃないかしら」
「そうだな。悪かった」
「今回は素直に謝るのね。前に私に説教した時は謝らなかった癖に」
「前のは説教のつもりはなかったが……今回は本当に悪いと思ってるからな」
シャルロッテは腕を組んだまま、ふんと鼻を鳴らした。
「謝って許される問題じゃないわ」
「じゃあ、どうすればいい」
「私の言うことを何でも一つ聞いて」
「俺にできることなら」
ステージのそばまで近づくと、シャルロッテは組んでいた腕をほどいた。
「じゃあ、踊って」
「え……?」
ゼノスは思わず立ち止まる。
「踊り……俺が?」
「何でもするんでしょ。いいからこっちに上がりなさいよ」
驚きつつも、ここで拒否という選択肢はない。ゼノスはステージに上がった。
「はい、手を取って」
「お、おぅ……」
ぶっきらぼうに差し出された左手を、ゼノスは右手で掴んだ。
シャルロッテはそのままゆっくりとステップを踏み始める。
何をどうしたらいいのかさっぱりわからないが、とにかく転ばないように足を動かす。
「下手くそ」
「し、仕方ないだろ。踊りなんてしたことないんだ」
そのまま静かに踊りながら、シャルロッテは口を開いた。
「私……考えたの」
「……?」
「前に私に説教したでしょ。施しをする時は相手が喜ぶのか考えたほうがいいって」
「だいぶ根に持ってる?」
「当たり前でしょ」
すぐ近距離にある深緑の瞳が、ゼノスをきっと睨んでくる。
薄い唇をわずかに尖らせた後、シャルロッテは言った。
「最初はFクラスに興味なんてなかった。でも、今は少し違う。あの娘達を退学にする訳にはいかないって思った。だから、考えたのよ。あの娘たちが喜ぶことは何かって。それで――」
少し俯いてぽつぽつと話す少女に、ゼノスは笑いかけた。
「そうか……ありがとう」
「なんであなたがお礼を言うのよ」
「一応、今日までは担任だからな」
「……」
シャルロッテは唇を結び、下から見上げてくる。
「でも……あなたのことは幾ら考えてもわからなかった。そもそも生まれてこのかた貧民なんて見たこともないし、話したこともないし、教科書でしか聞いたことないし。あなたは一体何なの?」
「本職は治癒師だけど、色々あって貧民の子供のために学校を作りたくてな。それで教育ってやつを学びたかったんだ」
「貧民には学校がないの?」
「ないな。学校どころかまともな職も手当てもないぞ」
「そんなことがあるの?」
「ある。めちゃくちゃある。そもそも正式な国民ですらないしな」
「だから……外国出身って言ってたのね。嘘ではなかったのね」
シャルロッテは何かを考えるように、虚空を見つめる。
「あなたの言うことがどれくらい重要なことなのか、私にはよくわからない」
「ああ」
「ただ、一つだけはっきりわかるのは、何をどう考えても、貧民は私に相応しい相手じゃないってことよ」
「それは間違いないな」
ゼノスは苦笑し、二人の間に沈黙が下りる。
響くのは静かな息遣いだけ。
触れた手の平から、相手の体温が伝わってくる。
高窓から斜めに差し込む夕陽が、淡いスポットライトのように二人の姿を照らし上げた。
「貧民は人間じゃないって習った。でも、手は温かいのね」
「そりゃそうだ。貧民だって生きてるからな」
「前は冷たかったわ」
「あれは食糧庫の中だったからだ」
「ただ、踊りは本当に下手くそ」
「悪かったな」
シャルロッテは、顔をおもむろに下に向けた。
視線を床に落としたまま、ぼそりと呟く。
「なんで貧民なのよ」
「悪かったな」
「あなたが、貧民じゃなかったら……」
「なかったら?」
「……馬鹿」
わずかに持ち上げられた視線。真っ白な頬に雫が光っていた。
「シャルロッテ、お前――」
「なによ、泣いてないわ。人前で弱みは見せない。涙も見せない。常に気高くあるのが一流の貴族なんだから」
両の瞳からあふれ出した雫が、とどまることなく頬を滑り落ちる。
拭うことはしない。拭えばそれが涙と認めることになる。
シャルロッテは顔を上げ、声を詰まらせ、それでもはっきりと言った。
「泣いて、ないから」
「……ああ、そうだな」
ゼノスは穏やかに頷いて、目線を少し上に向ける。
観客のいない歌劇場。
役者は七大貴族の令嬢と、廃墟街の闇ヒーラー。
この国ではおよそ交わることのない二人のステップが、舞台の上にゆっくりと刻まれていった。