第194話 七大貴族の娘【後】
前回のあらすじ)ゼノスの素性が明らかになり、Fクラスも全員退学の危機に面していた。鍵を握るのはシャルロッテだが…
貴族特区――この国の支配層である貴族の住まう地域。
しかし、その中でも家の格によって立地は異なっており、特に最上位とされる七大貴族の大邸宅は、最高権力者達の棲み処である王宮を囲うように立ち並んでいる。
その一角、フェンネル卿の屋敷の一室で、少女が膝を抱えてソファに座っていた。
憂いを帯びた瞳で、散らかった部屋の中を見渡す。
荒れた気持ちを鎮めようと、クローゼットから高級服を手当たり次第引っ張りだしたが、どれも着る気にならず、そのまま放置してある。
頭の中も、胸の内も、この部屋のように散らかっていて何も手につかない。
最初はちょっとした興味だった。
新しい服を欲しがるように、一人の治癒師の赴任を父に頼んだ。
それがいつの間にか、寮に入り浸るようになり、夜の繁華街に出かけたり、食糧庫に閉じ込められたり、怪物に立ち向かったり、予想もしない出来事が次々に起こった。
そして、最後に最も予想していなかった事実が明らかになった。
「シャルロッテ」
「……っ!」
反射的に立ち上がったシャルロッテは、来訪者を見てほっと息を吐いた。
「な、なんだ、パパね」
「何に驚いたんだい? 誰かと間違えたのかね」
「べ、別に……」
シャルロッテは再びソファに腰を下ろす。
父であるフェンネル卿は怪訝な表情を浮かべて、室内に目を向けた。
「ドレスの品評会でもしていたのかい? メイドを呼んで片付けてもらおうか」
「いいの。少しくらい散らかってるほうが落ち着くから」
「……どうしたんだい? やっぱり先日の魔物事件が何か……」
怪物の件は、学園側から保護者に連絡がいったようだが、魔物の類がどこからか校内に侵入、近衛師団が無事に片付けたという説明になっているらしい。セキュリティの不備に非難が集まりビルゼン教頭が対応に追われているようだが、最終的には学園長が黙らせるだろう。
Fクラスの生徒の活躍については特段触れられなかったようだが、父を余計に心配させるので言うつもりはなかった。
シャルロッテは努めて明るい声で首を横に振った。
「ううん、大丈夫。私は見てないし」
「そうか、それはよかった」
父は心底安心した顔で言うと、鈴を鳴らして使用人を呼んだ。
しばらくして紅茶ポットを持った使用人が部屋にやってくる。カップに注ぐと、得も言われぬ香りが辺りに漂った。
「東国から取り寄せた最高級の茶葉だ。一緒にお茶をしようと思ってね」
父は紅茶を啜ると、満足気に頷き、世間話を切り出した。
「そういえば、治癒魔法学の教師はどうだい?」
「え?」
「ほら、シャルロッテがお願いしただろう。不在の担任の代わりに召集した教師だよ」
「あ、ああ、そうね」
父はどうやら彼が貧民であることは知らないらしい。
勿論、知っていたらこんな穏やかな顔はしていないだろうが。
「ちゃんとためになる教育をしてくれたのかい?」
「ためになる教育……」
――お前は全てを持ってるんだろうが、豪華なものがいいとは限らないよ。
――何かを施す時は相手がそれを喜ぶかは考えたほうがいいぞ。
――人はそれぞれができることがある。自分にできることをすればいい。
もう考えたくないのに、担任の言葉が耳の奥に蘇ってくる。
そういえば、誰かに怒られるという経験を初めてもたらしたのもあの男だ。
「どうしたんだい、シャルロッテ? 眉間に皺が寄っているが」
「い、いや、なんでもないわ」
「ほら、気分が優れない時は紅茶を飲むといい。リラックス効果もあるんだよ」
「あ、ええ」
シャルロッテはテーブルに置かれた紅茶カップを手に取り、おもむろに口に運んだ。
「美味しい……」
無駄な雑味が一切なく、優雅さを煮詰めたような味わい。
やはり高いものはいいものだ。そうに決まっている。
高級ということは、すなわち価値があるということだ。
値札は物の価値を表している。
そして、階級は人の価値を示している。
でも――
「……」
シャルロッテは水面に映る自身の姿を黙って見つめた。
カップを持ったまま固まっていると、父が心配そうにのぞき込んできた。
「シャルロッテ、大丈夫かい?」
「うん、大丈夫……ねえ、パパ知ってた?」
シャルロッテはようやく顔を上げ、一度目を閉じ、そしてうっすらと微笑んで言った。
「最高級品じゃなくても、美味しい紅茶はあるのよ」
+++
終業式の日の朝。
レーデルシア学園における一年の最終日。
Fクラスの教室には、担任ゼノスと生徒達の姿があった。
一席だけ空になっているのは、シャルロッテの席だ。
教壇のそばに立つ学園長のアルバート・ベイクラッドが壁の時計を眺めて言った。
「さて、そろそろ始業時間になる訳だが……」
重苦しい沈黙が漂う中、教室のドアがゆっくり開いた。
立っているのは栗色の巻き毛を揺らした色白の少女。
周囲の視線をものともせず、シャルロッテはつかつかと奥の席に進んで腰を下ろした。
「おはよう、シャルロッテ。待っていたよ」
学園長は七大貴族の娘に、にこやかに笑いかける。
「それじゃあ、本来の所属であるAクラスに戻ると宣言してくれるかな」
「……」
シャルロッテは無言のままクラス内を見渡すと、最後に担任を睨みつけた。
「そうね……私は本来Aクラスの生徒。最高権力者の一角でもある七大貴族の娘」
「そう、その通りだ」
「私がこのクラスにいるのは、上流貴族である私と同じ空気を吸い、振る舞いを見せつけることで、一流のあり方を学んでもらうためだった」
学園長は薄い笑みを浮かべて頷いている。
Fクラスの生徒と担任をもう一度眺めた後、シャルロッテは口元を少しだけ緩めた。
「でも、わかったのは、私って何もできないってこと」
「……」
学園長がわずかに目を細める。シャルロッテは肩をすくめて言った。
「治癒魔法も使えないし、剣も使えないし、火炎魔法だって使えない。ただえらそうに後ろでふんぞりかえってるだけ」
「君はそれでいいんだ。人にはそれぞれ与えられた役割というものがあるからね」
教え諭すように言う学園長に、シャルロッテは微笑みかけた。
「ええ、そう。だから、私は、私ができることをするわ」
ゆっくりと立ち上がって、高らかに宣言する。
「言ったでしょう。私はFクラスの生徒よ。このクラスが終わるまでここにいるわ」
沈黙。緊張。戸惑い。
その直後、張り詰めた空気が弾けるように、生徒達は喝采を上げた。
「シャルロッテ様……!」と、涙をこらえるイリア。
「けっ、ざまあみろってんだ!」と、拳を突き上げるライアン。
「口が悪いわよ、ライアン。余計な落第点をもらう気?」と、級友をたしなめながらも笑みを隠せないエレノア。
生徒の声がある種の勝利の雄たけびのように教室内に轟き、レーデルシア学園の一年が終わりを告げる。
「そう、か……」
学園長は指先を自身の顎に当て、しばし動きを止めた。
こういう時にどういう表情と言葉が適切なのか、探りあぐねているようだ。
学園長といえども、七大貴族を退学させる訳にはいかない。
強権でシャルロッテ以外を無理やり退学にはできなくもないが、伝統ある学園のルールを曲げすぎれば、その歪がいずれ貴族の統治者としての立場を脅かす可能性があることをベイクラッド家はよく知っている。
よって、シャルロッテがFクラスに残る宣言をしたことで、クラス全員退学という状況は回避せざるを得ない。
落第点はリセットされ、そして、本日を以てFクラスも解散となる。
生徒達が慌ただしく終業式に向かう廊下で、学園長アルバート・ベイクラッドと、シャルロッテが向かい合っていた。
「なるほど……思った通りにいかないということがあるのか……」
「私もFクラスになって思い通りにならないことだらけよ。いい勉強になったんじゃないかしら」
「いい勉強、か」
親が宴席で適当に決めた許嫁という関係。
シャルロッテはそれが正式なものだとは思っていないが、ベイクラッド家の次期当主がどう考えているのか表情からは伺い知れない。幼い頃から知った相手ではあるが、彼の本心はいつも爽やかな微笑の奥に隠されている。
七大貴族はそれぞれの特徴に応じた呼称で評されることがある。
穏健派のフェンネル家。
そして、謀略のベイクラッド家。
「君は変わったね、シャルロッテ」
涼やかな表情で口を開いたアルバート・ベイクラッドに、シャルロッテは言った。
「多少は変わるわよ。教育ってそういうものでしょう」
学園長の瞳が、わずかに見開かれた。
「ふ、はは」
息を漏らす学園長の横を、シャルロッテは通り過ぎる。
互いに背を向けたまま、二人の距離が離れていく。
シャルロッテがそのままずんずんと向かった先は、廊下の端で窓からぼんやりと校庭を眺めている担任の元だった。
「お、シャル――」
担任が言い切る前に、シャルロッテは一枚の手紙を叩きつけた。
「……なんだこれ?」
返事を待つことなく、シャルロッテは踵を返し、速足で終業式に向かった。