第193話 七大貴族の娘【前】
前回のあらすじ)怪物になったハンクスを退けたFクラスだが、学園長は全員退学を告げた
「全員、退学……?」
怪物騒ぎの翌日、ゼノス達Fクラスは学園長室に呼ばれた。
てっきり労いの言葉をかけられるのかと思っていたが、最初に告げられたのがその一言だった。
「ええと、よくわからないんだが……」
首を傾げるゼノスに、学園長はにこやかな表情で言った。
「いやぁ、それにしても大変だったね。学園を預かる者としては、死人が出なくて一安心だ。その点は感謝しているよ、ゼノ先生」
「いや、それはいいんだけど――」
「ちょ、ちょっと待ってくれよ。俺らのおかげで学園は救われたんだろ。それでなんで退学なんだよっ」
横に立つライアンが、前に飛び出して学園長の執務机に勢いよく両手をついた。
学園長はにこやかな表情を崩さずに口を開く。
「本当に素晴らしい活躍だった。実は表彰も考えていたんだ」
「だ、だったら――」
「でも、残念ながら落第点が五十点に達してしまった」
「は……?」
言葉を詰まらせるライアンに、学園長は表情を曇らせて言った。
「君達はこれまでに四人の担任を追い出したことで、既に落第点が四十点ついていた。それは知っているかな?」
「そ、それは聞いたけど、そもそも全部ハンクスの仕業で――」
「そのハンクス先生が行方不明なんだ」
「は……?」
再び固まったライアンに、学園長は小さく溜め息をついてみせた。
「しかも、君達が彼に危害を加えていたという目撃情報がある。よって、ハンクス先生を追い出した罰で落第点が更に十点加算。晴れて五十点だ。惜しかったね。あと数日で今年度が終了。落第点もゼロに戻ってFクラスも解散予定だったのに」
「待てよっ。危害っていうか、ハンクスの野郎が怪物で――」
「あの怪物がハンクス先生? ははは、そんな話を信じろというのかい?」
爽やかな笑顔には一点の曇りもない。
それが妙に空恐ろしく感じられた。
イリアが手を挙げながら、恐る恐る前に出てきた。
「で、でも、学園長。怪物は近衛師団の人達が連れて行ったはずです。確認してもらえば、あれがハンクス先生だって――」
「それが、怪物は近衛師団の元からも行方不明になっているらしいんだ」
「え、ど、どうしてっ……」
絶句するイリアを一度振り返り、ゼノスは言った。
「なるほどな。全部を操っていたのはあんただったのか」
「……」
学園長は肯定も否定もせず、わずかに微笑んだだけだ。
だが、そう考えれば納得はいく。
そもそもFクラスを作ったのは学園長だ。
その目的は全員を退学に追い込むため。
七大貴族という圧倒的な権力でハンクスを裏から操り、次々と担任を追い出させる。
ハンクスが使った妙な薬も、七大貴族なら手に入れられる可能性が高い。
皆の視線を受け、学園長はわずかに背筋を伸ばした。
「確かに……我がベイクラッド家は貴族社会の秩序を守る存在。子供が退学になれば家名に傷がつき、次の階級調整会議で彼らの家は貴族資格を剥奪されるかもしれない。増えすぎた貴族の枝刈りにはちょうどいいだろうね」
「あ、あんたっ」
今度はエレノアが前に飛び出す。
いきり立つFクラスの生徒達を前に、学園長は淡々と言った。
「だけど、裏で操っていたというのは心外だな。僕は指示も命令もしていない」
「どういうことだ?」
眉をひそめるゼノスに、学園長は軽く伸びをしながら答えた。
「ただ、つぶやくだけだよ。Fクラスが保護者から大きな不満が出ない程度に上手い具合にルールに則って退学になってくれたらいいなぁ。怪物の身柄が近衛師団に押さえられたままだと困るなぁ。ただの緩い願望だけど、なぜかそれが現実になる。例えば、かつて地下ギルドから手に入れた妙な薬を誰かが誰かに横流しをしたのかもしれないけど、真相は闇の中。誰がどう動いているのか、僕にも与り知らぬことだ。でも、それは実現する」
これが力だよ、と七大貴族ベイクラッド家の次期当主は言った。
短く、単純な一言だ。
しかし、それは下級貴族の生徒達を絶望させるには十分な一言だった。
重苦しい沈黙の中、それを打ち破るように一人の少女が前に進み出た。
「異議があるわ」
栗色の髪がふわりと揺れ、甘い香りが室内に漂う。
学園長はわずかに目を細めた。
「やあ、シャルロッテ。怪物の件では君も大活躍したみたいじゃないか。大したものだ」
「話をそらさないでくれる?」
「世間話で場を和ませようとしたんだけどね。それじゃあ聞こうか」
「私のことを忘れてもらっては困るわ。私は今Fクラスの生徒よ。Fクラス全員が退学ということは私も含まれているということ。まさかこの私を退学にする気じゃないでしょうね?」
「……」
同じ七大貴族であり、許嫁でもある少女を、学園長は黙って見つめる。
そして、にこやかに言った。
「心配には及ばないよ。君の正式な所属はAクラスだ。いつでも君の意思でAクラスに戻れる。退学が決まる前に、Aクラスに戻ると宣言してくれればいい」
「聞こえてなかった? 私はFクラスの生徒だと言ったの。今年度が終わるまではね」
「……」
学園長の瞳から初めて笑みが消えた。
今年度が終われば落第点はリセットされ、期間限定のFクラスも解散となる。
すなわちFクラスの全員退学もなくなってしまう。
「ふぅん……驚いたな。君が下級貴族の肩を持つなんて。このクラスでは君はお客様に過ぎないんだよ」
「しばらくはそうだったと思う。でも、毎日お茶をして、からかったり、からかわれたりして、一緒に一つのことに立ち向かって。そんな経験はAクラスでもなかった。だから、今はお客様とは思っていないわ。クラスメイトよ」
「シャルロッテ……」
ゼノスは七大貴族の少女の横顔を見つめる。
Fクラスの生徒達も、固唾を飲んで成り行きを見守っていた。
互いを直視するシャルロッテと学園長。やがて、学園長は嘆息して肩をすくめた。
「……仕方ない。ここは引こうか。こんな場面で七大貴族同士が争っても益はないからね」
場の空気が弛緩しかけた瞬間、「だけど――」と学園長は続けた。
「これを知っても同じことが言えるかな?」
学園長はおもむろに立ち上がって、ゼノスを指さす。
「君達が先生と慕っているこの男が、貧民に繋がっているとしても」
「……っ!」
ゼノスは目を開き、生徒達が途端にざわつき始めた。
混乱する生徒達をどこか満足げに見つめて、学園長は言った。
「ま、本当のところはわからないけどね。ただ、ゼノ君を採用するにあたって、少し君のことを調べさせたんだ。ほとんど情報らしい情報がなくて逆に不思議だったけど、君が王立治療院のゴルドラン派閥にいた時、怪我をした亜人に助けを請われてパーティを抜け出したという情報がようやく見つかった。亜人の多くは貧民だからね」
「ああ、あの時か。それを知っていて俺を採用したのか」
「いつか何かに使えるネタかと思ったんだけど、意外なところで役に立ったね。随分と軽率な行動をとったものだ」
ゼノスはぼりぼりと頭をかいた。
「命がかかってたんだ。少しも軽率とは思わないな」
「貧民の命だよ。軽いものじゃないのかい?」
「価値観の相違だな。あんたは命の重さを測ったことがあるのか? ないなら一度その手で抱えてみろ。結構重いぞ」
「……」
黙って佇む学園長を、ゼノスは正面から見つめる。
「何度同じ場面に遭遇しても、俺は同じ選択をするよ。俺は俺にできることをするだけだからな」
「君は一体何者なんだい?」
学園長の問いに、ゼノスは生徒達を見渡して、はっきりした口調で言った。
「そうだな。最後にはちゃんと言おうと思ってたんだが……貧民に繋がりがあるっていうか、俺自身が貧民の出身だ。ゼノってのは通称で、正しくはゼノスだ」
「えっ……!」
シャルロッテが絶句し、生徒達の間からも悲鳴にも近い声が上がった。
ハーゼス王国の見えざる民。捨てられた階級。
特に支配層の貴族にとっては完全に視界の外にいる存在が、クラスの教壇に立っていた。
「おや、いいのかい? そんな大それた告白をして」
どこか余裕を滲ませる学園長に、ゼノスは淡々と答える。
「元々は余計なことを口にするつもりはなかったんだが、教師をしばらくやってみて考えを変えた。勘違いさせたままってのはよくないよな」
パニックに陥りそうな生徒もいる中、のんびりした調子で口を開いたのはライアンだ。
「いや……つーか、今更じゃねーか? 育ちが悪いって言ってたし、訳わかんねー真似するし。どう考えても堅気じゃねーだろ。やっぱそうかって感想以外ねーんだけど」
続いて手を挙げたのはイリアだ。
「わ、私も。ゼノ先生、絶対普通じゃないと思ってました。やっと謎が解けて、ちょっと安心しました」
エレノアも平然とした様子で話題に乗った。
「確かに市民出身とは一言も言ってないし、ハンクスが怪物になった驚きに比べたら、担任が貧民だったとかもはやどうでもいいわ」
「お前ら……」
だが、シャルロッテは一人思いつめた顔で立ち尽くしていた。
「私を、騙していたの?」
「すまない。そういうつもりはなかったんだが」
食糧庫の前で、素性についていつか話す、とは言ったが、このタイミングになるのは想定していなかった。
「……もう、いいわ。帰る」
シャルロッテはそのまま振り返ることなく、学園長室を出て行った。
ドアが無機質な音を立てて閉まり、ライアンは学園の責任者を睨みつける。
「筋書き通りで満足かよ、学園長」
「口の利き方には気をつけたまえ――と言いたいところだけど、今は寛大に対応しよう。誤解してほしくないのは、僕は君達に対して悪意も敵意もないということだ。ただ、貴族社会の秩序と均衡を保つことを常に優先しているとだけ答えておこう」
学園長は再びにこやかな表情に戻って言った。
「さて、終業式まであと二日。彼女がAクラスに戻ると宣言した直後、予定通り君達は退学だ。せっかくだからゼノ先生も任期までは勤めるといい。君のクラスがどうなるか、一緒に見届けようじゃないか」