第192話 教師ゼノス【後】
前回のあらすじ)ゼノスのもと、問題児のFクラスが一つにまとまった
「ガアアアアアアアアアッ!」
ハンクスが吠え、大気がびりびりと振動する。
同時にゼノスが地を蹴り、触手の雨を切り裂いた。
後方からはエレノアの放つ火球が、ゼノスを援護するように、次々とハンクスに襲いかかる。
炸裂する火炎魔法の間を縫うようにしてライアンが無数の触手に応戦し、その間にイリアが近衛師団の元へと駆け出した。
「なんだ、身体が異様に軽いっ」
ライアンがそう感じるのは能力強化魔法をかけているからだ。
勿論、生徒に危険が及ばないように適宜防護魔法をかけるのも忘れない。
冒険者時代はこうやってパーティを支援し、貧民街でのゴーレムとの戦闘では亜人達を支援し、そして今なぜか貴族学園で生徒達の戦闘を支援している。
と言っても今回はさすがに生徒に戦わせて一人後衛に陣取る訳にはいかないので、最前線に立ちながら、同時に防護魔法と能力強化魔法を駆使して、生徒がダメージを受けないよう細心の注意を払っている。
手間は大きいが、それとは別の感慨が胸によぎるのをゼノスは感じた。
懸命に、真剣に、一日ごとに彼らは成長していく。
落ちこぼれと呼ばれた生徒達の奮闘する姿を見て、ゼノスはつぶやいた。
「師匠……あんたが俺達を教育してくれた理由がやっとわかった気がするよ」
そんなFクラスの生徒達が戦う姿を校舎から眺めている女生徒がいた。
「ね、ねえ、すごいよ。あの人達っ。あれ、あなたの親戚よね」
「……」
無言で窓枠を掴むのはエレノアの従妹ミリーナだった。
「お姉様、いつの間に魔法を……」
友人は興奮がちに言う。
「ミリーナ、親戚の人、火炎魔法が使えないって言ってなかった? すごく上手だけど」
「……」
ミリーナは奮闘するエレノアの姿を見つめて呟いた。
「本当に、勝手な人……」
天真爛漫に、息を吸うように火炎魔法を使って、
ある日急に魔法が使えなくなったと思ったら、いつの間にか怪物と戦っている。
学園を守るために。必死になって。
こっちはいつもその背中を眺めるだけ。
彼女は昔からそうなのだ。
彼女はそうでなければならない。
ようやく帰ってきたのだ。私の憧れたお姉様が。
「……ばれ」
ミリーナは窓から身を乗り出して、大声で言った。
「がんばれっ、エレノアお姉様っ!」
その言葉が引き金になったように、校舎のあちこちから応援の声が上がる。
「がんばれっ、がんばれっ!」
「負けるなぁっ!」
「かっこいいぞ、お前らっ!」
その声援は、怪物化したハンクスに向かい合うFクラスの生徒の耳にも届いた。
「おいおい、まじかよ」と、ライアン。
「お、応援されたのなんて初めてです」と、イリア。
「まだ、油断したら駄目」と、エレノア。
「ま、当然ね。この私が率いるクラスですもの」と、シャルロッテ。
「担任は一応俺だぞ?」
ゼノスはぼやいて、体勢を整える。
Fクラスの生徒に、イリアの治癒魔法で復活した近衛師団が加わり、ハンクスは次第に劣勢へと傾いてきた。触手の再生能力が徐々に落ち、肥大化していた筋肉は徐々に張りを失ってきている。
「俺、は、ガアアアッ!」
それとともに、言葉の断片が発されるようになってきた。
ゼノスは巨大化させたメスを手に、ハンクスに身体を向ける。
「完璧な学園に不良品はいらない。あんたはそう言ってたな」
「う、ル、サイっ」
「だけどよく見ろ。今学園の脅威に立ち向かってるのはそういう奴らだぞ」
「不良、品、ハ、消えロォォッ!」
最後の抵抗とばかりに、触手が襲い掛かってくる。
「俺は素人だからよくわからんが、完璧な人間を作るのが教育じゃないだろ」
徐々にハンクスと距離を詰めるゼノス。
迫りくる触手の雨はエレノアが焼き、ライアンが切り、近衛師団が打ち払ってくれる。
ゼノスはメスを構え、体勢を低くして駆け出した。
「俺はまともな人生を送ってないし、常識も知らないし、できるのは治癒魔法くらいで、防護魔法も能力強化魔法もなんとなくで使ってるし。それだけ不完全でも結構楽しくやってるぞ」
「クル、ナ、来るナッ!」
触手による連撃。しかし、その一本一本は随分と弱弱しいものになっている。
ゼノスはメスを振るってそれらを切り払った。
「ハンクス、教育ってのは不完全でも楽しく生きられるようにするものなんじゃないか」
「お前ハ、お前は、一体なンだァァァァッ!」
絶叫する怪物の、すぐ目の前に、ゼノスは立った。
「教師だよ。今はな」
白色の刃を横に一閃。
ハンクスは断末魔の呻き声を響かせて、膝をついた。
そのままぐらりと後方に仰向けに倒れる。
腫瘍細胞の再生機能はわずかに残っているようだが、今与えた深い傷が治るにはまだ時間がかかりそうだった。
ゼノスは横たわったまま荒く息を吐くハンクスを見下ろした。
「一応、急所は外している。その傷を治すのに最後の再生能力を使い切る感じだな。それまで深く反省しながら寝てろ。で、後は近衛師団にお任せだ」
ハンクスは茫然と校舎を見上げる。
「なぜ、殺さな、い……俺、は――」
「なぜって、そりゃ――」
ゼノスは互いにハイタッチをかわす生徒達を振り返って、肩をすくめた。
「生徒の前だからな」
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「うお、すごい、すごいっ。やりましたぞ、あの男っ」
戦いの一部始終は、学園最上階にある学園長室からも眺めることができた。
教頭のビルセンは諸手を上げて喝采した後、我に返ったように咳払いをする。
「す、すいませんっ。取り乱してしまいました」
「構わないよ。学園の危機が救われたのだから」
学園長のアルバート・ベイクラッドは窓の前に立ち、涼やかに微笑んだ。
「よくやってくれたね、彼は」
「え、ええ。憎々しいですが、大した男だと認めざるを得ないかもしれません。なんせあの男、どれだけ雑用を与えようが全く怯む様子がなく、しかも業者も真っ青な出来栄え。あれほど雑用力の高い男を、このビルゼン、かつて見たことが――」
「違うよ、ビルゼン教頭」
学園長は爽やかな笑顔のまま、ゆっくりと首を横に振った。
「よくやってくれたのは、ハンクス先生さ」
「え……?」
「さすがにあんな無理やりな手段に出るとは思わなかったけど、結果は及第点だ」
瞬きをする教頭に背を向け、アルバート・ベイクラッドは窓ガラスをとんとんと指でたたく。
「これで、Fクラスは全員退学だ」