第191話 教師ゼノス【中】
前回のあらすじ)シャルロッテの危機に教師ゼノスが駆け付けた
――とは言ったものの……。
ゼノスは距離をとったハンクスを眺める。
濁った灰色の目に理性が十分に残っているようには見えない。だから、本能的にこっちを警戒しているのだろう。シャルロッテを助けた際にメスでハンクスの触手は寸断したが、それはいつの間にか再生している。
再生能力。拍動する筋肉。うねる触手。
やはりかつて対峙した孤児院の元院長ダリッツの姿と似ている。違いは人間としての意識がどれくらい残っているかだろうか。
ハンクスの変貌は妙な注射薬の作用と思われるが、あれが何でどうやって手に入れたのかまではわからない。
ただ、ダリッツと同じような入手経路をハンクスも持っていたということだろう。
「ガアアッ!」
「っと」
触手の一撃をメスで切り跳ばしながら、生徒や倒れている近衛師団から離れるように相手を誘導する。
近衛師団は息絶える前に治癒魔法でひそかに回復させているが、今はぎりぎり起きあがれない程度に留めている。中途半端にうろうろされると守る対象が増えて面倒になるからだ。
「ダリッツの時と同じ、という訳にはいかないな……」
敵の再生能力は特殊な腫瘍細胞が注入されたせいだろう。
だから、ダリッツ戦の時は敵に回復魔法をかけることで無理やり細胞を暴走させる戦略をとった。
しかし、学園では周囲に生徒が沢山いるため暴走させるような過激な手段は選べない。
「グルルルッ!」
こっちの思惑を知ってか知らずか、さっきまで警戒感をにじませていたハンクスが突然攻勢に転じた。
全身から延びた触手が、縦横無尽に襲ってくる。
「くっ」
あるものは切り跳ばし、あるものはかわし、雨のように降り注ぐ攻撃をいなしていく。
こうなったら相手の回復能力が切れるまで攻撃し続けるしかない。おそらく時間はかかる。我慢比べになるだろう。
しかし、次の瞬間、炎の塊がゼノスの顔の横を通り過ぎ、ハンクスの触手の一本に命中した。
後ろを向くと、紅蓮の髪の少女が右手を前に差し出していた。
「エレノア」
「先生、私も戦う」
「ガアアッ!」
ハンクスの次の一撃は当然のようにエレノアに向かう。
反射的に駆け出すも、触手がエレノアに到達することはなかった。
落ちていた近衛師団の剣を咄嗟に拾い上げたライアンが、それを切り飛ばしたからだ。
「あ、ありがと、ライアン」
「馬鹿っ、危ねえことすんな」
「そうだぞ、お前達は下がってろ」
ゼノスは触手の攻撃をかいくぐりながら、肥大化させたメスをふるってハンクスを切り倒す。
すぐに二人の元へ駆け寄って注意するが、エレノアは首を横に振った。
「先生、あいつ倒すんだよね。だったら味方は沢山いたほうがいいと思う」
「いや、そうだけど、危ないからな?」
早口で諭すがエレノアは納得しない。ライアンは額をおさえてため息をついた。
「うわ、お前、初等部の時の怖いもの知らずの感じが戻ってきてるじゃねえか」
「まあ、それも道理かもね。いいわ、Fクラスの力を見せてやりなさい」
「お前も焚きつけるなぁっ、シャルロッテ」
「ぷっ」
七大貴族の娘に突っ込むと、イリアが吹き出した。
「って何がおかしいんだ?」
「いや、こんな状況なのに先生が来たらみんないつも通りだなって。きっと安心したんだと思います」
「あのな、まだ楽観できる状況じゃ……」
再生しながら起きあがろうとするハンクスに注意を向けると、ライアンが手にした剣を掲げて自身を鼓舞するように言った。
「仕方ねぇ、女が戦ってんのに騎士が逃げる訳にゃあいかねえよ」
「お前も話を聞こうな、ライアン?」
ゼノスはわしゃわしゃと髪の毛をかく。
「相変わらずろくに言うこと聞かないクラスだな。どうしてこうなった……」
「あんたのせいだよ」
「そうよ」
「それ以外何があるのよ」
「えぇ……」
思わぬ突っ込みを受けて唸ると、イリアがくすりと笑って言った。
「Fクラスってずっとばらばらでした。でも、先生が担任になってからちょっとずつまとまって。今みんな先生を助けたいって思いが初めて一致したんじゃないかと」
「……俺を、助け……?」
ゼノスはつぶやいて大きくため息をついた。
「あぁ、もうわかったよ。ただ戦闘中は絶対に俺の言うことは聞け。エレノアは遠距離から火炎魔法。ライアンは女子を守りながら触手を切り落とす。イリアは隙をついて近衛師団を回復させてくれ」
「わかった」
「おうっ」
「はいっ!」
三人は勢いよく頷く。
こうなったら仕方ない。せめて近衛師団にももう一度頑張ってもらおう。
途中まで回復させているから、イリアの治癒魔法の一押しで復活するはずだ。
シャルロッテがじろりと睨んでくる。
「で、私は?」
「シャルロッテは……応援だな」
「応援? 地味な役割ね」
「人はそれぞれができることがある。自分にできることをすればいい。皆の士気を高めるのはお前だからできる役割だ」
シャルロッテは腕を組んだまま、不承不承頷いた。
「ふん……まあ、いいわ。この私が応援すればそれだけで百人力でしょうしね。勝利は約束されたようなものね」
「ああ、そうだな」
「そうだな」
「そうね」
「そうですね」
「また軽く流……ってもう慣れたわよっ」
治癒魔法学の教師と、落ちこぼれクラスの生徒達が、互いに顔を見合わせる。
そして、起きあがったばかりの怪物へと一斉に視線を向けた。
「よし、行くぞ。Fクラス」