第189話 思惑【後】
前回のあらすじ)ゼノス達を食糧庫に閉じ込めたのは同僚教師のハンクスだった
奇妙な緊張感の中、ハンクスの言葉は続く。
「完璧な学園に、ああいう不良品はいらない。そう思わないか?」
「それと俺を閉じ込める話とどう関係するんだ?」
「察しが悪いなぁ。担任はおたくで五人目なんだ。あのクラスはこれまで四人の担任を追い出している。そのたびにクラス全員に最大十点の落第点がついているんだ。担任を追い出すなんて学園の生徒にあるまじき行為だからな」
「は? なんだよ、それっ」
柱の後ろから声がした。隠れていた生徒達が慌てた様子でぞろぞろとでてくる。
ハンクスはイリア、ライアン、エレノア、シャルロッテの姿を認め、浅く溜め息をついた。
「医務室ってのは嘘か、やってくれたな」
殺意といっても過言ではない暗い光が、その瞳に宿っている。
ライアンがハンクスに食ってかかった。
「おい、俺達に落第点が四十点ついているなんて初耳だぞ。落第点が出た時は生徒に伝えられるルールだろ」
「担任から伝えるルールだ。その担任を追い出したんだから伝えられなくても仕方がない」
冷たく言い放つハンクスを見て、ゼノスはぽんと手を叩いた。
「そうか、やっとわかった。それで五人目の俺が追い出されれば晴れて全員退学ってことか」
一年で落第点が五十点に達すれば退学。
四人の担任を既に追い出したってことで、Fクラスの生徒は全員最低でも四十点がつけられている。
五人目の担任であるゼノスが追い出されれば、更に十点の落第点が加算され、クラス全員が退学ラインである五十点に到達する。
ずっと抱えていた違和感の正体がようやく判明した。
四人の担任の失踪。それはこの男が画策したものだった。
学園ルールに則って、不良品であるFクラスを全員退学にするために。
「生徒ごと閉じ込めるなんて随分無茶をやると思ったが、時間がなくて焦ってた訳か」
退学の基準は一年以内に落第点が五十点に到達することだ。
そして、レーデルシア学園の一年は十月から七月まで。あと数日で期限を迎える。
ハンクスは侮蔑を込めた視線をライアンに向けた。
「一市民として、この国の支配層にはもっと完璧であって欲しいんだ。出来損ないが貴族というだけでえらそうな顔をしているのが許せないんだよ」
「てめえっ!」
「要は今までの担任追い出し事件も、お前が裏で動いてたってことか」
ゼノスは今にもハンクスに飛び掛かろうとするライアンを片手で制して言った。
ハンクスはあっさりと首を縦に振る。
「その通り。新しく来た担任にはFクラスが不良品の集まりだと吹き込み、対立を煽る訳だ。生徒の教科書を捨ててクラス内を不穏にしたり、教壇にナイフを仕込んだり、さりげなく嫌がらせのやり方を示唆したりな。今回もエレノアの机に新聞を仕込んだり、食糧庫のことを伝えたりと色々と骨を折ったよ」
「え、私の教科書を裏庭に捨てたのはハンクス先生だったんですかっ?」
「ぜ、全部あんたがっ!」
驚愕するイリアと、憤るエレノア。
ゼノスはハンクスの全身に漂う不穏な気配を見て、確認するように言った。
「で、生徒の嫌がらせでも担任が退場しない場合は、あんたが実力行使に出る訳か」
「おお、わかる? 今度は察しがいいな。しぶとい教師には、俺が直接動いてひそかに退場してもらい、責任は生徒になすりつける訳だ。そういえば言ってたっけ? 俺の専門、格闘術だって」
ばきばきと拳を鳴らしながら、ハンクスが近づいてくる。
作り物めいた笑み。瞳の奥の陰は一段と濃くなっていた。
「待てよっ。結局、お前が裏で動いてたってことだろ。だったら落第点だって無効だ」
ライアンが声を荒げるが、ハンクスは薄く笑うだけだ。
「本当に馬鹿だなぁ。話を聞かれた以上、ハナから無事に返すつもりはないんだよ。元々は貴族の子供に危害を加えると面倒だから、担任だけを標的にしていた。だが、今日お前達を尾行していた時ふと気づいたんだ。いっそこのまま全員閉じ込めれば邪魔な問題児も一掃できるってな。凍死体を素早く処理して、担任はFクラスの嫌がらせで退職、主犯格の生徒達も同時に失踪したことにすればいい」
「無茶苦茶だ」
「残念だよ、ゼノ先生。おたくとは分かり合えると思っていたが。この学園に来て、貴族と市民の階級差がいかに大きいかわかっただろ? せめて無能な貴族には退場してもらう。それが正しい教育だ」
ゼノスはゆっくりと近づいてくる相手に鋭い視線を向ける。
「悪いが、階級の理不尽に関してはあんたより身に染みているつもりだ。ただ、あんたの教育方針には賛同できないな」
「ほざけ。無駄を排して学園の秩序を維持する。それが俺の使命なんだ」
ハンクスは次の瞬間、ゼノスに向かって駆け出してきた。
「まずは一人っ」
鋭い手刀が、喉元に突き出される。
ゼノスは体をひねってそれをかわすと、ハンクスの顎を掌底で打った。
「あがっ」
ハンクスは呻いて、両目を見開く。
「ちっ、油断したか。身体が冷えたせいで動きが硬くなってるな」
ぶつぶつとつぶやきながら、今度は低い姿勢で猛然とタックルを仕掛けてきた。
ゼノスは横っ飛びで避け、上から首筋に向かって肘を振り下ろす。
「ごぶっ」
ハンクスは額から床に激突し、しばし悶絶した。
しかし、手をついて起き上がり、血の滲んだ額を押さえる。
「ふっ、運のいい奴だ。まだ身体が温まってないらしい」
「そうか、早く温まるといいな」
「ほざけぇっ!」
再び殺気を丸出しにして襲い掛かってくるハンクス。
しかし、能力強化魔法と防護魔法を駆使するゼノスを捉えることはできず、遂には膝をついて荒く息を吐いた。
「お、俺は王都格闘大会の準優勝経験者だぞっ。な、なんだお前はっ」
「俺はしがない治癒魔法学の教師だよ」
ゼノスは涼しい顔で答えて、生徒達に顔を向けた。
「こいつは俺がなんとかしておくから、他の教師と近衛師団を呼んで来てくれ」
「……」
生徒達は顔を見合わせると、一斉に踵を返した。
「ま、待てっ、行くなっ。俺は教師だっ、俺の言うことが聞けないのかっ!」
ハンクスは膝をついたまま、右手を前に伸ばして叫ぶ。
だが、生徒達は当然のごとく立ち止まらない。振り返りもしない。
「もう、あんたの言うことは聞けないみたいだぞ」
ゼノスの言葉に、ハンクスは生徒達が消えた地下通路を茫然と眺めていた。
そして、次第に泣きそうな顔になって呻いた。
「お、俺はこんなところでは終われない。役目を果たしていないっ……」
「……?」
直後、ハンクスはポケットに手を入れ、何かを取り出した。
それは注射針のようなもので、中に赤黒い液体が入っている。
思いつめた表情でその液体を凝視したハンクスは、静かな声で呟いた。
「もう……いいや。全部使う」
「おい、それは――?」
駆け出すゼノスの目の前で、ハンクスは注射針を突然自身の腕に突き刺した。
直後、ドクンと心臓が跳ねるような音が大きく響き――
「ああ、ううううううぅぅぅっ」
ハンクスは転げ回りながら、自身の喉をかきむしる。
「おい、ハンクスっ」
そばに寄って呼びかけると、ハンクスはふと動きを止め、ゆっくりと立ち上がった。
真っ赤に充血した眼球が、零れんばかりに飛び出しており、口の両側からは泡の混じった涎が垂れている。手足の筋肉はどくどくと脈打ち、そのたびに徐々に肥大化していった。
肩や背中からは、中途半端な腕のようなものが隆起し、うねうねと蠢いている。
「これは――……」
「ゴアアアアアアッ!」
突然変異に目を奪われた瞬間、ハンクスが獣のように咆哮した。
そして、気づいた時には、相手は目と鼻の先にいた。
「ぐっ」
強引に頭を掴まれると、そのまま扉が開いたままの食糧庫内に投げ込まれる。
耳元で風が唸り、頭から棚に激突する。凍った食料品が辺りに散らばった。
「ガアアアアアアッ!」
即座に襲い掛かってきたハンクスの振り回す手足が、まるで暴風雨のように休むことなく身体に打ち込まれる。防護魔法は発動済みだが、相手の手数が多く反撃の糸口が掴みにくい。両手を持ち上げてガードに徹しながら、攻撃の隙を探る。だが――
「ゴルアッ!」
ハンクスは食糧庫の奥にある鉄製の巨大な棚を片手で掴み、手前に引き倒した。
背丈の数倍ある什器が、そこに保管されていた食糧とともに真上から降ってくる。
「うおっと」
咄嗟に飛びのくも、ジャンプして身を浮かした瞬間に脇腹に一撃を叩きこまれた。
「くっ」
もともとの格闘術の基礎に、得体の知れない薬によって、ハンクスは力も速度も数倍になっている。ゼノスは巨大棚の落下ルートに再び押し戻され、そのまま下敷きになった。
大音量が食糧庫内に響き渡り、圧倒的な質量が全身にのしかかる。
しばらく、ふしゅるると妙な息を吐いていたハンクスは、ゼノスが死んだと見たのか、その場で踵を返した。すぐに足音が遠ざかっていく。
「しまった……」
ゼノスは棚の下で小さく舌打ちをした。勿論、死んではない。
ただ、防護魔法で圧死は免れているが、棚の重みで身動きが取りにくい。
ハンクスの急激な変貌。その姿はかつての孤児院院長だったダリッツの戦闘形態にも似ている気がした。 そのせいで一瞬反応が遅れてしまったのだ。
あの妙な薬をハンクスは一体どこで手に入れたのだろう。
――いや、考えるのは後回しだ。
ハンクスは既に理性を失いつつあるように見える。このままでは被害が学園全体に及ぶかもしれない。日中なので浮遊体が都合よく手を貸してくれる展開は期待できず、頼りは近衛師団だが、そもそも今回のような相手は想定外だろう。
激しく身をよじりながら、ゼノスは生徒達の顔を思い浮かべる。
「頼むから、無事でいてくれよ」