第188話 思惑【前】
前回のあらすじ)食糧庫でのエレノアの火傷の手術が無事に終わり、エレノアは火炎魔法を取り戻した
「あぁ、やっと出られた」
ゼノスと四人の生徒がようやく極寒の食糧庫から脱出した時には、既に時計の長針が二周ほど盤を回っていた。
結界の解除は専門ではないため、ゼノスは正規の扉から出るのは早々に諦め、巨大化させたメスで横の分厚い壁を地道に削っていくことにした。エレノアが火炎魔法で時間を稼いでくれている間に、なんとか地下通路まで道を繋ぐことに成功する。
「全員無事だったのは何よりだが、これ結構な損害額になりそうだな」
ゼノスは破壊した壁を見てぼやいた。
脱出路を作ったため壁の一部がごっそり壊れている。冷気が外に逃げないように、可能な限り瓦礫で塞いだがこのまま放置できる状態ではない。
シャルロッテは栗色の髪の毛を手の甲で払う。
「気にしないで。この程度の損害ならフェンネル家がなんとかするわ」
「おお、さすが」
「学園の壁ごときと、この私の安全。どちらが重要か考えるまでもないでしょう」
「ああ、そうだな」
「そうだな」
「そうね」
「そうですね」
「って、流す人数が増えてるじゃないの。それにイリアっ、ひそかに便乗したわね」
「ご、ごめんなさいぃ、流れでついっ……」
「ったく。Aクラスのメンバーだって、この私にそんな態度は取らないわよ。本当に変わったクラスなんだから」
シャルロッテは一同をじろりと睨んで肩をすくめる。
段々慣れてきたのか、それほど怒っている様子はなさそうだ。
「ゼノ先生、事故のこと学園側に報告したほうがいいですよね?」
「ああ、本来はそうしたほうがいいんだろうが……」
イリアの問いにゼノスは頷きつつ、食糧庫の入り口を振り返る。
「何か気になることがあるんですか?」
「ああ、いや。どうして入り口が閉まったんだと思ってな」
「建付けに問題があって、勝手に閉まりやすくなってるって聞いたわ」
エレノアが横から口を挟んだ。
ゼノスは腕を組み、しばし虚空を眺め、生徒達に言った。
「報告はちょっと待ってくれるか。一つ確かめたいことがある」
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それから間もなくして、学園の地下に人影が現れた。
影は辺りの様子を伺いながら、足早に食糧庫のそばに近づく。扉の脇にある数字盤を操作すると、盤が虫の羽音のような音を立て、青色の光を発した。
分厚い食糧庫の扉が、軋みながら左右に開き始める。
影は一度中を覗き込み、恐る恐る内部へと足を踏み入れた。
白い靄と冷気が漂う広大な空間を、ゆっくりと進みながら、周囲に首を巡らせる。
寒さに腕をさすりつつ、食糧庫の奥へ奥へと歩いていった。
通路。棚の後ろ。曲がり角の向こう側。丹念に内部を観察しながら、影は小さく首をひねる。
おかしい。ここにあるべきはずのものが見当たらない。
もっと奥だろうか。
不思議に思いながら足を進めようとする。
異変に気づいたのはその直後だった。
遠くで異音がする。まるで重たい何かが動いているような――
「……まさか」
嫌な予感がする。
影は急いで踵を返すと、うっすらと霜の降りた通路を猛然と駆け出した。
大きく吸った息に含まれる冷気が、喉の奥を痛いほどに刺激する。
だが、そうやって食糧庫の入り口にたどり着いたのは、ちょうど扉が音を立てて閉じたのと同時だった。
「なんでっ」
影は冷たい扉に手を押し当てて呻いた。
薄着で来たため、全身が凍えるほどに冷え切っている。
しかし、すぐに胸に手を置き、その場で何度か深呼吸を繰り返した。
大丈夫だ。焦る必要はない。
事故で閉じ込められた時のために、この扉は中からも開けられるようになっている。
指先の動きを確認しながら、扉の脇にある数字盤を順番に押していった。
やがて盤が青く発光し、ゆっくりと扉が開き始める。
「うわっ」
安堵の息は、驚きの声に取って代わられた。
開いた扉の、すぐ目の前に漆黒の外套をまとった男が仁王立ちになっていたからだ。
その男は、影をどこか悲しげに見つめると、静かにこう言った。
「俺達を閉じ込めたのはあんただったんだな、ハンクス」
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食糧庫から出て来たのは、ブラウンヘアーを撫でつけた爽やかな風貌の男だった。
Dクラス担任であり同僚教師のハンクス。
「ゼノ先生、ど、どうしてっ」
両眼を見開いたハンクスの顔には、驚愕の色がありありと浮かんでいる。
ゼノスは相手の態度とは正反対に、淡々とした口調で言った。
「俺が無事に食糧庫を脱出していて驚いたか?」
「え……あ、いや」
ハンクスはごほんと咳払いをする。
「な、なんの話ですか? 急に現れたんだから、びっくりしたんですよ」
「猿芝居はやめにしないか? 俺達を閉じ込めたのは、あんただろ」
ハンクスは首の後ろに手を回し、大袈裟に溜め息をついた。
「やだなぁ……変な言いがかりはよしてくださいよ。俺は食糧庫の様子が気になって見に来ただけですよ。在庫が足りなくなると教頭にどやされるんだから」
「違うな。閉じ込めた相手がちゃんと凍死してるか確認しに来たんだろ。もしそういう奴がいるなら、必ず見に来ると思って隠れて待ってたんだ」
「……」
無言のハンクスに、ゼノスは腕を組んで言った。
「あんたはエレノアに食糧庫の扉の建付けが悪くなってて閉じ込められかけたと言ったんだろ? 俺を閉じ込めるようにあいつをけしかけたんだな。ただ、エレノアが成功すればよかったが、他のクラスメイトが偶然ついてくることになった。だから、後をつけていたお前は仕方なく全員をまとめて閉じ込めることにした」
「ゼノ先生。ちょ、ちょっと待って下さい」
ハンクスは相手を落ち着かせようとするように両手を前に向ける。
「さっきから何を言ってるんですか。エレノアとは確かにそんな話をしましたけど、ただの世間話ですよ。というか、生徒も食糧庫に閉じ込められたんですか? 彼らは今どこに?」
「衰弱が激しくて、医務室に運んだところだ」
「医務室……」
ゼノスはハンクスから目を逸らし、今しがた開いたばかりの食糧庫の扉に視線を向ける。
「あんたはエレノアに食糧庫の扉の建付けが悪くなってて閉じ込められかけたと言った。でも、この扉って魔導具で制御されてるんだよな。勝手に閉まることなんてあるのか?」
「調子が悪ければそういうこともあるんじゃないですか? 現に今だって俺は閉じ込められましたよ」
「今のは俺が外側から操作して閉めたんだ。あんたが俺達にやったようにな」
「だから、俺は閉じ込めてなんて……って、今のはゼノ先生が閉めたんですか? なんでっ? 凍死でもしたらどうするつもりだったんですか」
驚いて言うハンクスを、ゼノスは目を細めて見つめる。
「でも、無事に出てきたよな」
「そ、そりゃそうですけどっ」
「中から出るための装置は壊れてるんじゃないのか?」
「……っ!」
ハンクスが目を剥いた。
「あんたはエレノアにそう言ったんだろ? 建て付けが悪くて扉が勝手に閉まる。中から出る装置も壊れている。そう言って、エレノアが俺を閉じ込めるよう誘導した」
しかし、それは嘘で、本当は中から出る際の暗証番号だけ変えていた。
「それを今あんた自身が証明した。寒さを恐れたあんたは、壊れているはずの装置を使ってあっさり外に出てきたからな」
「……」
そしてこれは想像だが、おそらくハンクスは食糧庫の温度設定も変えていたと考えられる。
より低く、中の者がすぐに凍えるように。
開いたままの食糧庫から、肌を刺す冷気が地下通路に漏れ出していく。
ハンクスの表情は変わらないのに、目の奥に宿る光だけが暗く陰った気がした。
男は無言で周囲を確認した後、やれやれと肩をすくめる。
「……困ったな。おたくにはここで退場してもらう予定だったのに」
「お前の目的はなんなんだ?」
「Fクラス…………邪魔なんだよなぁ」
ハンクスは暗い瞳のまま、虚空を見上げてぽつりと呟いた。