第185話 地下食糧庫【後】
前回のあらすじ)教師追い出しを企むエレノアはゼノスを地下食糧庫に誘うが、途中で他のクラスメイト達もついてくることになってしまった
ライアン、エレノア、イリアが食糧庫に入り、ゼノスとシャルロッテが残される。
「どうしたのよ。ぼうっとして」
生徒達の背中を眺めていたら、シャルロッテから声をかけられた。
「ああ、いや……やっぱり少し変だと思ってな」
「変?」
「短い期間だけど、教師をやってみて思ったんだ。一人や二人ならまだしも、これまで四人もの担任が何も言わず姿を消すっておかしくないか。俺でも別れの挨拶くらいはするぞ」
「嫌がらせの加害者に挨拶なんてしたくなかったんじゃないの?」
「嫌がらせの加害者……」
ふと思う。それは一体いつからどのように始まったのだろうか。
ゼノスはしばし虚空を見つめた後、首を振って息を吐いた。
「……ま、考えてもわからないな。とりあえず行こうか」
促して横を見ると、シャルロッテは神妙な表情を浮かべている。
「どうしたんだ? 中に入るのが怖いのか?」
「馬鹿言わないで。この私がちょっと薄暗い食糧庫なんかに怯えるものですか」
「そうだな」
軽く笑って、先に行った生徒達を追おうとすると、「ねえ」と声をかけられた。
「もうすぐで……任期は終わりなんでしょ」
「あと一週間だな」
「どうするのよ」
「何が?」
「……その、延長してあげましょうか。パパに頼めば――」
シャルロッテはそこで言葉を止めた。
「……何でもない」
「どうしたんだ?」
「別に。前にあなた言ってたでしょ。施しを与える時は、相手が喜ぶのか考えたほうがいいって」
「ああ、そういえば」
前にリリの弁当を質素と言われ、執事に代わりを用意させると提案された時だ。
ゼノスは苦笑しながら手を腰にやる。
「でも、ライアンにはあの状況でクッキーを施してたけどな」
「わ、悪かったわね。あの状況だからよ。美味しいものを食べるくらいしか救いがないじゃない」
一歩足を進めた後、ゼノスはゆっくり振り返った。
「なんだか、お前は少し変わった気がするよ」
「……そう、かしら」
「頬の手術の前は、だいぶ刺々しい印象だった気がするし、俺が学園に来た時はもうちょっと傍若無人だった気がする」
「ふん、いいのよ。傍若無人で。私が傍若無人でなくて誰がそう振る舞えるというの。ノブレス・オブリージュ。それが上級貴族としての特権であり義務でもある。一流貴族としての振る舞いを見せつけるのも私がFクラスにいる理由でもあるのだから」
「まあ、そういうところはお前らしいな」
口元を緩めたゼノスを、シャルロッテは正面から見つめる。
「それより……あなたは一体何なの?」
「何って?」
「最初は治癒魔法が得意なだけだと思ってた。どんな人間だろうって。でも、問題児クラスに難なく対応するし、雑用ばっかりしているし、そう思ってたら不良を一掃したりするし、知れば知るほどわからないことが増えていくわ」
ゼノスはしばらく沈黙し、やがて穏やかに答えた。
「そうだな。いつかちゃんと話すよ」
一つだけ最近思うことがある。王立治療院に潜入した時と違って、今回は生徒達を相手にしている。
だから、素性を全て嘘で塗り固めるのには抵抗があった。全てとはいかずとも、いずれ話はしないといけないと思っている。
「……」
食糧庫に入ろうとすると、シャルロッテの小さな呟きが聞こえた。
「ねえ、私が変わったとしたら、それはあなたが――」
「ん? なんか言ったか?」
「べ、別に。ほら、さっさと行くわよ」
二人して食糧庫の中に入る。
光の魔石がぼんやりと照らす空間は広大で、多くの棚が整然と列を為していた。食糧を保管していることもあって、大量の冷気の魔石が使われているのか、中は凍えるほどに寒い。
先に行った生徒達の名前を呼ぶと、奥のほうから返事があった。
長方形の氷が並んだ棚があり、ライアンがその一部を切り出そうと奮闘していた。
エレノアは、その様子をなんとも言えない表情で見つめている。
「ライアン。別にもう」
「また暑さで倒れたら大変だろうが」
自ら言い出した癖にあまり乗り気でないエレノアに、ライアンは説得するように言った。
その時、ふとイリアが顔を上げ、辺りをきょろきょろと見回す。
「今、なんか変な音がしませんでした?」
「嫌なこと言わないでよ。変なこと思い出すじゃない」
エレノアが眉根を寄せる。
「変なこと?」
「い、いや、音楽室でピアノが勝手に――」
「しっ」
ゼノスが口に人差し指を当て、イリアとエレノアの会話を中断させる。
「いや……確かに音がするぞ」
沈黙の降りた空間に、重たいものが床にこすれるような音が遠くから聞こえた。
「ちょっと待てよ。これって――」
「あっ!」
エレノアが何かを思い出したように突然駆け出した。
慌てた様子を見て他のメンバーも後をついていく。
腕を振り、膝を上げ、貴族の子女が普段滅多にやらない全力疾走を見せ、そうして食糧庫の入り口まで辿り着いた時、エレノアは小さく呻いて膝をついた。
「そんな……」
食糧庫の出入り口。分厚い金属の扉が、完全に閉ざされてしまっていた。