第184話 地下食糧庫【前】
前回のあらすじ)エレノアはなんとかして教師を追い出そうと作戦を考えていた
「ちょっと、いい?」
翌日の昼休み。廊下を歩いていたゼノスをエレノアが呼び止める。
エレノアから話しかけられることは滅多にないため、珍しいこともあるものだと思いつつ、ゼノスは生徒に向かい合った。
「どうしたんだ? 人生相談か?」
「違うわよっ」
眉の端を持ち上げ、エレノアはわかりやすく怒りをあらわにする。いつも不愛想なまま表情が変わらないことが多いので、こういう変化もできるのだと思った。
「じゃあ、なんだ?」
「氷が欲しいの」
唐突な要望に、ゼノスは眉をひそめる。
「随分急だな。なんで欲しいんだ?」
「氷嚢を作ろうと思って。私、暑さに弱いし」
「ああそうか。確かに、この前みたいなこともあったしな」
ゼノスはぽりぽりと頭を掻く。
「だけど、俺は治癒魔法学の教師だぞ。氷が欲しいと言われてほいと出せる訳じゃないが」
「地下の食糧庫にあるから、一緒に取りに行って。教師の同行が必要だから」
「へぇ、地下に食糧庫があるのか。それならいいぞ」
今は昼休みだし、教頭から申し付けられた雑務もあらかた片付けてしまっている。
最近は押し付ける雑務がなくなってきており、教頭に「お前の雑用力の高さはなんなんだ」と苦い顔で苦言を呈されている。
「で、どこに行けばいい?」
「こっちよ」
先導するエレノアの後についていきながら、ゼノスは校内を見回した。
貴族の学園での教師生活ももうすぐ二か月。学期の終了とともに、任期も終わる。
当初の目的だった正規の初等教育を学ぶという目標も、当然全てとはいかないがイリアと賢いリリのおかげである程度達成することはできた。学校の仕組みについてもレーデルシア学園は大きすぎて参考にならない部分も多いが、同僚のハンクスに聞いたりして少し理解もできた。
それでも、やはりまだわからないことがある。
教師とは一体何で、師匠はどうして何の得にもならない貧民街の子供に教育を施したのだろう。
ひとけの少ない通路を進んでいたら、曲がり角の先に誰かの気配があった。
「あれ、ゼノ先生」
「おぉ、エレノアじゃねえか」
「なんで二人きりなのよ」
イリア、ライアン、それにシャルロッテの三人だ。
「えっ。なんでこんなところに……」
なぜかエレノアは露骨に嫌な顔をしている。
ライアンは軽く鼻を鳴らして答えた。
「学園七不思議の噂を知ってるか。ここ数か月で妙な現象があちこちで起こってるらしいんだよ」
「それでライアン君が面白そうだから調べてみようって言い始めて……」
「貴族を代表する身として、学園に妙な噂が立っても困るでしょ。仕方ないから渋々付き合ってあげてる訳」
次々と答える三人に、ゼノスは無表情に答える。
「フシギナコトモアルモンダナァ」
「なんで棒読みなのよ?」
「い、いや、そんなことはないぞ」
顔の前で手を振ると、シャルロッテがじろりとこちらを睨んでくる。
「で、あなた達こそ、私への断りもなくどこに行こうとしてる訳?」
「いや、どこかに行く度にいちいちお前に断りが必要なのか。エレノアが地下の食糧庫に行きたいっていうから、同行してるんだよ」
「ふぅん」
シャルロッテは腕を組んで、隣のイリアに目を向けた。
「じゃ、私も行くわ。あなたもついてきなさい、イリア」
「えっ、私もですか?」
「なにか不満? 地下なんていかにも妙な噂の出所になりそうじゃない。調査が必要じゃないかしら」
「は、はい……」
残るライアンもエレノアをじっと見つめた後に、右手を挙げた。
「俺も行くぜ。いいよな、エレノア」
「なんで……」
エレノアが小さく舌打ちをする。
結局、エレノアだけでなく、イリア、シャルロッテ、ライアンまでついてきて、ぞろぞろと地下へと向かうことになった。
「せっかくひとけのない通路を選んだのに、これじゃ計画がパーじゃない……」
エレノアは眉間に皺を寄せてぶつぶつと言っているが、よく聞き取れない。
地下への階段を降りると、辺りはひんやりした空間だった。
日が当たらないため視界は全体的に薄暗く、代わりに声がやけに大きく反響する。
地下に降りてからは、エレノアは不機嫌そうに口を引き結んで何も話そうとしない。
少し進むと、見上げるような大きな金属の扉があった。
「へぇ、これが食糧庫か。氷が欲しいんだよな、エレノア」
「……」
「エレノア?」
「ああ、うん……」
エレノアは投げやりな調子で頷いた。ゼノスは首を傾げて食糧庫に近づく。
「で、どうやって開けるんだ。この扉」
「え、それも知らずに来た訳?」
「仕方ないだろ。急に来ることになったんだよ」
シャルロッテと言い合ってると、イリアが遠慮がちに口を開いた。
「あの、確か暗証番号があった気がします」
言われた通り、扉の横に数字が配置された金属盤がある。魔導具の一種なのか、淡い緑色の光をぼんやりと発していた。
「暗証番号か……知らんな」
「知っときなさいよ。教師でしょ」
「知らんもんは知らん。自慢じゃないが、俺は授業より雑用時間のほうが多いからな。教頭からもお前の雑用力は驚嘆に値すると驚かれたぞ。ふはは」
「なんで自信満々なのよ」
「もう別に――」
エレノアが何かを言いかけた時、ライアンが前に進み出た。
「ちょっと待てよ。エレノアの氷が必要なんだろ? 確か……」
金属盤を眺め、確認するようにゆっくりと数字を押していく。
すると、ぶぅんという羽虫のような音がして、板の発する光が緑色から青色に変化した。
直後、重たい軋轢音とともに巨大な扉が左右に開き始める。
「おお、やるじゃないか、ライアン」
「初等部の時に、腹が減りすぎて教師が番号押すのを隠れて盗み見たことがあんだよ。あの時から番号が変わってねえのもやべえけどな」
得意げに胸を張るライアンに、エレノアが鋭い口調で言った。
「ライアン、余計なこと言わないで。落第点つけられるでしょ」
「あ? ま、初等部の時のことだから時効だろ」
「わかんないでしょ。教師なんてすぐに手の平返すんだから」
扉の開く音が響く中、微妙に気まずい空気が流れる。
ゼノスは自分の肩を押さえて、不思議そうに言った。
「食欲に落第点なんかつけられないだろ。空腹は生死に直結するからな。俺も残飯がよく捨てられる場所や、食べて死なないキノコなんかは必死になって覚えたもんだ」
「だから、お前はどんな生き方してきたんだよ」
「ま、そんなことより扉が開いたぞ。さっさと必要なものを取ってくるか」
ゼノスは生徒達を促す。
まずはライアン。そのライアンに誘われる形でエレノアが不承不承後に続く。
その後ろを、不安そうに辺りを見回しながらイリアがついていった。