第182話 音楽室の怪
前回のあらすじ)ゼノスに対する音楽室への呼び出しの手紙に浮遊体が反応した
「そろそろね……」
翌日の放課後。ひっそりと静まり返った音楽室に、エレノアの姿があった。
窓の外には茜色に染まった雲が薄くたなびいている。
教室は冷気の魔石を使用しているため涼しいが、無人の音楽室はひどく蒸し暑い。それでも胸の内はどこか冷え冷えとしていた。
手紙で担任を呼び出したのはエレノアだ。もう少ししたら標的がやってくる。
「人生相談……ただし、あんたが教師人生を転がり落ちる相談だけどね」
痴漢行為を働いて教師が処分された新聞記事を見て思いついた方法だ。
半裸の状態で担任を待ち受け、相手がやってきたら大声で叫び、乱暴されたというのだ。貴族の子女にそんな真似をすれば間違いなく再起不能に追い込める。
服を脱ぐのは抵抗があるが、ある程度状況は作らなければならない。
エレノアは大きく息を吐いて、制服の上着を脱ぎ始めた。襟元のリボンを外し、首と左手を抜いて、制服を右腕にだけかかった状態にする。後は薄いブラウスという姿で、スカートも少したくしあげておく。
そうして、標的が来るのをじっと待った。
黄昏は次第に濃くなり、エレノアの影が室内に長く伸びていた。
「ん、なんだか……」
少し冷えてきた。
上着を脱いだとは言え、季節は夏だ。なのに、まるで冷気の魔石を使っているかのごとく辺りは冷え込んでいる。
ぶるっと震えたエレノアは、右腕にかかった上着を引き上げようとして――
カタン、と音がした。
慌ててもう一度制服を下げてドアを見るが、誰かが入ってきた様子はない。
気のせいかと思い、周囲を見回した時、妙なものが目に入った。
「え?」
壁に掛かっている音楽家の肖像画がゆっくりと揺れている。
「え……え?」
風もないはずなのに、何度目をこすっても、それは確かに揺れていた。
そして、今度は突然ピアノが静かに鳴り出した。
「ひっ」
思わず後ずさった拍子に、足を滑らせてしまう。
お尻を床に打ち付け、「あうっ」と声が出た。
「な、なに、なんなのっ……」
臀部をさすりながら立ち上がろうとすると、壁際から凍えるような声がした。
「うらめしや……」
「……え?」
「覗きついでに学園七不思議第三弾、音楽室の怪をプロデュースしようと思っておったが、まさか現れたのが貴様だったとはなぁぁ」
「え、え? なにっ?」
ずらりと並んだ音楽家の肖像画。その一番端に黒髪の女の絵がある。
あんな音楽家がいただろうか。すると彼女の闇色の瞳がじろりと開いた。
「ゼノスの目を盗んでせっかく壁に現れる変な落書きをプロデュースし、木陰に隠れて発見者の反応を楽しみにしておったのに、あろうことか「下手くそ」の一言で消しおった奴じゃなぁぁ」
「ひ、ひいいっ」
漆黒の衣装に身を包んだ女が、長い黒髪を前に垂らして、額縁から這い出してきた。
「こーのーうーらーみーはーらーさーでーおーくーべーきーかぁぁぁぁぁぁ!!!!」
「ぎゃああああああああああああああああっ!!!」
叫んでから気づく。
駄目だ。こんな大声を出してしまったら、無関係の人間まで集まってしまう。
「どうしたのっ」
案の定、上学年の女子生徒が音楽室に入ってきてしまった。
その後も続々と教師や生徒がやってきて、その中に本来の標的である担任の姿もあった。
だが、担任が入ってきたのは五番目くらいだ。
こんな状況で担任に乱暴されたというのは無理がある。
「どうした、大丈夫か?」
「あ、いや、あの、幽霊が……」
慌てて答えながら、皆のなんとも言えない視線で、自分が半裸状態であることに気がつく。
「いや、ち、ち、違うのっ」
大失策。
これでは、ただの痴女だ。
無言で佇んでいた担任がそばに膝をついて、軽く首をひねりながら懐から封筒を取り出す。
「この手紙、お前か? これ……どういう人生相談なんだ?」
「だ、だから、違うっ。違うんだからあぁぁぁっ!」