第180話 階級調整
前回のあらすじ)ゼノスは不良を一掃しライアンを助け出した
広々とした部屋に、品のいい調度品が優雅さと落ち着きを与えている。
レーデルシア学園の学園長室で、七大貴族次期当主のアルバート・ベイクラッドは壁に大きく縁どられた窓を眺めていた。
どこか憂いを帯びた横顔には、得も言われぬ色気が漂っている。
「最近、Fクラスの様子はどうだい?」
「少しずつまとまりがでてきているようです」
背後から報告の声が上がる。
学園長は視線を窓外に向けたまま、感心した様子で頷いた。
「新任教師の彼がクラスをうまくまとめあげてるようだね」
「そのようです。嫌がらせにも全く堪える様子はないと」
朝の点呼を無視しても「そもそも時間通りに来るだけで尊敬するわ」と褒め、教壇に花を置いたら「花を教師にプレゼントするなんて、いい風習があるんだな。もらっていいか? 家の奴が喜ぶよ」と喜び、様々な悪戯にも全く動じることがない。
「これまでの教師とは何かが根本的に違うようだという声があるようです」
「そうか……」
学園長は壁にかかったカレンダーに目を向けた。
「もうすぐ……今期が終わるね」
学園の一年は十の月から始まり、七の月で終わる。
あと二週間ほどでレーデルシア学園の一年が終了する。
アルバート・ベイクラッドは端正な顔を再び窓の外に向け、ぽつりと呟いた。
「このままだと、Fクラスを作った意味がなくなってしまうなぁ」
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少女は少し焦っていた。
大陸の強国ハーゼス王国において上流階級の子女のみが通うことを許された由緒正しいレーデルシア学園。しかし、現在彼女が籍を置いているのは去年までは存在しなかった最下層のFクラス。面子を見ても問題を抱えた生徒達であることは一目瞭然だった。
ある者は市民上がりで居場所を掴めず、またある者は優秀な兄弟と比較されやさぐれてしまっている。学校の教師も扱いにくい生徒という態度を隠しもしない。
Fクラスは決して仲良しという訳ではないが、教師陣への反抗という意味ではこれまで連帯があった。大なり小なりの嫌がらせを随所で行い、何が決め手になったかはわからないが、今までに四人の担任が学期途中で姿を消すことになった。
いい気味だ。
だが、五人目の担任が来てからというもの、何かがおかしい。
飄々としていて掴みどころのない男だが、治癒魔法学の授業は確かにわかりやすいし、どの生徒にも全く変わらない態度で接する。そこにはこれまでの担任にあった無言の蔑みや、厄介者を見るような視線は微塵も感じられない。
そんなうわべだけの態度に、クラス全体が騙されつつある。
休み時間、少女は立ち上がって大柄なクラスメイトの席へと近づいた。
「どうしたのよ、ライアン」
「なにがだよ」
「あいつ、追い出すんじゃないの? ここ数日随分大人しいじゃないの」
「あぁ、俺ぁもう抜けたよ」
「……」
少女は目を見開いた。
「剣術の授業でいいようにやられて従順になったわけ?」
「なんとでも言えよ」
ライアンは頬杖をつき、窓の外に広がる空を眺める。
「イリアの言う通り、あいつはちょっと今までの担任とは違うよ」
「……あ、そう」
少女はクラスメイトの席を離れながら、腰抜け、と小さく言った。
どうしてあれがうわべだけの態度だと誰も気づかないのだ。油断をさせて突然手の平を返すのが教師のやり方だというのに。
「……いいわよ。一人でもやってやる」
深紅の髪を揺らして、少女は親指の爪をきちりと噛んだ。
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「あのな、増えてるんだが……」
ゼノスは寮の部屋を見渡して、小さくぼやいた。
テーブルでは教師役のイリアの元でリリが初等教育を学び、シャルロッテは優雅な仕草でティータイムを楽しんでいる。ソファを見ると、大柄な男子生徒が足を組んで、剣術の指南書を読んでいた。放課後の課外授業にライアンが追加されたことで、人口密度が急激に増していた。
「す、すいません。毎日お邪魔して」
ぺこぺこと頭を下げるのはイリアだ。
「いや、イリアは勉強教えてもらってるし、交換条件だからいいんだが」
そう言うと、シャルロッテがカップを口に運びながらじろりとこっちを見た。
「なに? 私もあなた達が滅多にお目にかかれないようなお茶菓子を持ってきてあげてるでしょ。不満でもある訳?」
「不満はありませんですっ」
リリがなぜか敬礼しながら答える。
「ほら、見なさい。今日はナッツバターのバウムクーヘンよ。東国から取り寄せた茶葉も幾つか持ってきたから試すといいわ」
「イエッサー!」
リリが完全に餌付けされている。なんだかんだ上級貴族だけあって、人の扱いがうまいのかもしれない。これが高貴な血のなせる業なのか。
ゼノスがソファに目を向けると、ライアンが指南書から視線を外して言った。
「悪いかよ。グルドのチームは解散したって噂だし、家にいても居心地よくねえし」
「いや、まあ、別にいいんだが……」
貧民街の治療院も、ひっきりなしに亜人達がやってきていたので、よく考えれば大して環境は変わらない。むしろ彼らに比べれば随分と行儀のいいほうだ。
しかし、歴代の担任もこうやって生徒達に放課後たむろされていたのだろうか。
尋ねると、イリアがぶんぶんと首を横に振った。
「Fクラスじゃ放課後に先生の部屋に行くなんて考えられなかったです」
ライアンも苦い顔で頷く。
「だな。これまでの四人は、はじめから俺らを学園のお荷物扱いしてきてたしな。ちょっとしたことですぐ落第点をつけようとするしよ」
「落第点……」
学園の生徒として相応しくない行動を認めた際につけられるものだとハンクスが言っていた。
確か年間で五十点に到達すると、退学になるんだったか。
「それは繁華街の怪しげな店に出入りしてれば落第点も仕方ないんじゃないの」
シャルロッテの冷静なコメントに、ライアンは少し焦った様子で返す。
「ち、ちげえよ。むしろ学校で教師にそんな扱い受けてむしゃくしゃして通い始めたっつーか……」
二人のやり取りを眺め、ゼノスは軽く首を傾げた。
「ちなみに退学になったら困るのか?」
予想外の質問だったのか、イリアとライアンが顔を見合わせて答える。
「私は、困ります」
「俺はともかく……親は困るな」
どういうことかと尋ねると、ライアンはがしがしと頭を掻いた。
「貴族の社会ってのは狭くて濃いんだよ。初等部から面子もあんまり変わらねえし、色んなパーティでもしょっちゅう顔を合わせるしよ。そんな中で退学ってのはわかりやすい脱落を意味するんだ。要は貴族社会に居場所をなくすってことだな。ま、それだけなら別に俺は構わねえが……」
「怖いのは階級調整ですよね」
イリアが口を挟むと、ライアンは渋い顔で頷く。
「階級調整?」
聞いたことのない単語が出てきた。イリアが軽く身を震わせて補足をする。
「年に一回、王族と七大貴族が中心になって貴族の階級の見直しが行われるんです。中級貴族が上級貴族になったり、その反対が起きたりして」
「そんなのがあるのか」
続いてライアンが説明を継いだ。
「そこのイリアみてえに、市民が貴族になる道が幾つかあるだろ? 放っておけば貴族の家系がどんどん増えちまう。だから、均衡を保つために定期的に見直す訳だよ。特に下級貴族の俺らは最悪市民への降格だってありえる訳だ」
で――、とライアンはソファに背を預ける。
「階級の見直しは家の活動実績を踏まえて行われる訳だ。子供の退学とか、そういうのも家名を汚したってことでマイナスの要素になりえるんだよ。だから、俺が退学になると、親父はひどく困る訳だ」
「へぇ、なるほどな」
そんな仕組みがあったとは知らなかった。
実際には新しい貴族なんてそうそうは誕生しないため、貴族資格剥奪も滅多に起こることではないらしいが。バウムクーヘンを上品に口に運んでいるシャルロッテが、さばさばした口調で会話に入ってきた。
「ま、私には関係ない話ね。むしろ選ぶ側だし。私を退学にできる訳がないし」
「はいはい」
「はいはい」
「だから、聞きなさいよっ。って、そこの大男もしれっと便乗するんじゃないわよ」
「俺ぁライアンだよ。クラスメイトの名前くらいいい加減覚えろよ」
「ふん、一応イリアは覚えたわよ。私への敬意を感じるし。それがないあなたは不良筋肉馬鹿で十分よ」
「いい度胸だ。こらぁっ」
「おいおい、俺の部屋で暴れるなよ」
ライアンはよくも悪くも気を遣えないタイプなので、シャルロッテとよく衝突する。
だが、放課後同じ面子でお茶をしたり、遠慮なく物を言い合ったりというのは所属先であるAクラスでもあまりなかったらしく、少し新鮮には感じていそうだ。
うん、多分。
ゼノスは腕を組んで、ライアンを横目で見つめる。
「だから、今まで落第点をつけてきそうな教師を追い出してきたわけか」
「人聞き悪いな。むしゃくしゃしてちょっと嫌がらせしただけだ」
「姑息ねぇ。腐っても貴族なんだから、正々堂々としなさいよ」
シャルロッテの言葉に、ライアンは小さく唸る。
「悪かったな。自分でもそう思ってるよ。だが、Fクラスに集められた時点で後がないっつうか、立場安泰の七大貴族のお嬢様とは事情が違うんだよ」
ゼノスは思い出したようにぽんと手を叩いた。
「ああ、そうか。初日に教壇の下に刃物が入ってたのも嫌がらせの一環だったわけか」
「なんで今更気づくんだよ。言っておくが、あれは俺じゃねえぞ」
ライアンが言うと、イリアとシャルロッテも続いた。
「あのっ、私でもありません」
「この私がそんな姑息な真似をする訳ないでしょ」
「じゃ、誰なんだ?」
尋ねると、三人の生徒は口を閉じて、首をひねった。
「わかんねえけど……可能性があるとしたら……エレノアかもしれねえな」
「エレノア……?」
紅蓮の髪の少女で、いつもきつい視線を投げかけてくる生徒だ。
ライアンは組んだ手を自身の頭に置いて言った。
「初等部の時は明るくて強気で、みんなのリーダーみたいな奴だったけどな。中等部の途中くらいから、あんな感じになったな」
「ふぅん、何があったんだ?」
「わかんねえけど、俺以上に親ともうまくいってねえみてえだし、教師への不信感もすげえな」
「エレノアさんはもともと魔導士の家系ですよね?」
イリアが遠慮がちに会話に入ってくる。
「ああ、確か火炎魔導士だったはずだ」
現在の貴族は建国時の功労者の子孫。元々は何らかの役割を持った者たちであり、ライアンが騎士の家系であるように、エレノアは魔導士の家系らしい。
「あいつは子供の頃からすごい使い手で、神童みたいに言われてたな」
ライアンはそこで一度言葉を止め、「ただ――」と続けた。
「火炎魔法を使うところ、もう長いこと見てねえな」