第177話 不良市民の災難【前】
前回のあらすじ)脅かしてやろうと剣術の授業でゼノスに挑んだライアンだったが、軽くあしらわれてしまった
夜の帳が降り、市民の集う街区の繁華街では色とりどりの街灯が蠱惑的な光を放っていた。
酒場や見世物小屋が立ち並ぶ通りにはカードゲームや玉突き遊び、簡単な賭け事のできる遊技場がある。
アルコールと煙草の匂いが立ち込める店内の一角で、ライアンは苦々しげに足を組んだ。
「くそ……あの野郎」
悪態をつきながら、炭酸水を喉に流し込んでいると、長髪の若い男がそばにやってきた。
右腕に蛇が絡みついたような刺青があり、大勢の取り巻きを引き連れている。
「おいおい、どうした。随分と荒れてんじゃねえか、ライアン」
「……グルドか。別に何でもねえよ」
グルド、と呼ばれた男は、半分笑ったような顔でライアンの隣に座る。
そして、右腕をおもむろにライアンの肩にまわした。
「話してみろよ。仲間だろ」
「大したことじゃねえよ」
「遠慮すんなって。お前がご機嫌じゃねえと、俺も楽しくねえだろ」
グルドは少し真顔になって言った。
「俺らみたいな不良市民と付き合ってくれる貴族はお前くらいだ。困ったことがあったら何でも言ってくれ。お前の役に立ちたいんだよ」
「……」
ライアンはグルドとその取り巻きを眺める。
しばらく黙った後、ぼそりと言った。
「……うぜぇ教師がいるんだよ」
「……教師? ああ、そうか。お前はいいとこの学校に通ってんだよな。すぐに学校を追い出された俺らとはえらい違いだ」
「別に行きたくて行ってる訳じゃねえ」
「ああ、わかってるよ。貴族ってのは体面が重要なんだろ。経歴の傷は家の恥になる。優秀な兄貴の足を引っ張る訳にはいかねえよな」
「……おい」
「冗談だよ。そんな怖い顔すんなって」
グルドは肩をすくめると、琥珀色の液体が注がれたグラスを持ち上げた。美味そうに喉を鳴らして飲むと、口の端を拭ってライアンに顔を近づける。
「なあ、俺らが代わりにその教師に世の中の厳しさってやつを教えてやろうか?」
「……お前らの手を借りるまでもねえ」
「まあ、聞けよ。お前は立場もあるから、あまり無茶もできねえだろ。その点、俺らならなんだってありだ。勿論、仲間であるお前の名前を出すことなんてねえし」
「……」
押し黙るライアンに、グルドは囁くように言った。
「ろくな教師がいねえって前にも言ってたよな。わかるぜ。教師ってのは、すぐに俺らのことをクズ扱いしやがる。そういう奴には思い知らせてやらねえとな」
無言のままのライアンをじっと見つめ、グルドは口の端を持ち上げる。
「その代わり、うまくいったら駄賃ははずんでくれよ」
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翌日の放課後。寮の部屋には、いつものようにイリアとシャルロッテの姿があった。
「ライアン君、ですか?」
基礎教育の勉強が一段落した後、ゼノスはFクラスのライアンのことをイリアに尋ねてみた。
他の生徒に比べて、剣の扱いにやけに手慣れている印象があったからだ。
「それはそうだと思いますよ。確かライアン君は騎士の家系だと聞いたことがあります」
「へぇ」
ハーゼス王国の王族は興国の祖の子孫。
そして、貴族は彼を支えた建国の立役者達の子孫だとされている。
その中には、軍略家もいれば、騎士もいれば、魔導士もいたようで、貴族となった今も元々の出自が家風に大なり小なり影響を与えているようだ。
「なので、小さい頃から剣術の稽古を受けてきたみたいです」
「なるほどな……」
ゼノスは腕を組んでゆっくりと頷く。
「だから、剣術の授業中に立ち会い稽古を挑んできた訳か」
「いえ……あの、普段の剣術の授業ではそんなことはないんです。自習になって担任の先生が監督を務める時にああやって……」
「そうなのか? なんで?」
実のある稽古をしたいなら剣術の専門家を相手にしたほうがいいだろう。
すると、イリアは言いにくそうに口を開いた。
「その……Fクラスは問題を抱えている生徒が多くて、あまり担任の先生からいい扱いを受けたことがないんです。だから、反抗しがちというか……」
「要は駄々をこねてるってことでしょ? ガキってことよ」
テーブルで紅茶を飲んでいるシャルロッテが一刀両断する。
「そ、そうかもしれませんが……」
「ま、仕方ないけどね。誰しもが私のような完璧な家柄と完璧な美貌を備えている訳ではないでしょうし」
胸に手を当て自信満々に言うシャルロッテを見て、ゼノスは無表情で頷く。
「うん、そうだな」
「ちょっと、軽く流さないでよ」
なんだかこのやり取りも段々と板についてきた。
ゼノスはイリアに目を向ける。
「ちなみにライアンはどんな問題を抱えてるんだ?」
「私もそんなに詳しい訳じゃないですが……ライアン君にはお兄さんがいて、すごく優秀な人みたいなんです。子供の頃から何かと比較されて、お兄さんばかり優遇されて育ってきたって」
「そういうことか。それで石牢に監禁されたり、十日間飯抜きにされたり、棒でしこたま殴られたりしてきた訳だな」
「さ、さすがにそんなことはないと思いますけど、何の話ですか、それ?」
「いや、なんでもない……」
孤児院での実体験とは言えないので、ゼノスは視線を逸らしてごほんと咳払いをする。
いつもの放課後活動が終わって二人を送り出した後、ゼノスは校舎の裏門へと向かった。
門の周囲で警備を担当する近衛師団員に軽く会釈をして外に出る。
学園をぐるりと囲う外構の塗装の一部が剝がれかかっており、予想通り教頭に修繕を命じられたのだ。
教頭は貴族上がりではない教師にはこうして雑務を押し付けて嫌がらせをしているようで、Dクラス担任のハンクスも色々と余計な仕事をふられるとぶつくさ言っていた。
学園長が教頭の所業をどこまで把握しているかはわからないが、これだけ素性が怪しい自分に学ぶ機会をくれているのだから、とりあえずは大人しく従っている。
「ま、さっさとやってしまうか」
ゼノスは刷毛をペンキにさしこみ、壁に器用に塗り始めた。
孤児院でもパーティでもあらゆる雑用をやらされたので、一通りのことはできるし、あの時代を思えば教頭のいびりなどあってないようなものだ。
そのまま作業を進めていたら、後ろから声をかけられた。
「なあ、あんたゼノ先生だよな」
「ん?」
振り返ると、レーデルシア学園の制服を着た長髪の男がポケットに手を入れて立っていた。
「そうだけど、何か用か?」
「ちょっと困ったことがあるんだ。助けてくれねえか?」
「困ったこと?」
ゼノスは視線を外構に戻して、作業を再開した。
「今、忙しいんだ。また今度にしてくれ」
「おいおい、生徒が困ってるって言ってるんだ。雑用なんて後でいいだろ」
刷毛を持つ右手を止めて、ゼノスは溜め息をついた。
「何に困ってるんだ?」
「怪我人がいるんだ」
「怪我人……?」
ゼノスは肩をすくめると、刷毛を足下のペンキの缶に置いた。
「仕方ないな。どこにいるんだ?」
「こっちだ」
歩く男の後についていくと、やがて木々の立ち並ぶ小さな林に差し掛かった。
そこから更に幾つかの茂みを抜けると、ふいにぽっかりとひらけた空間に出る。
そこには十数人の人相の悪い男達がたむろしていた。ねめつけるような視線が一斉に向けられるが、ゼノスは平然と男達を見まわす。
「で、怪我人はどこだ?」
「くっくくく、今はいねえよ。あんたがこれから怪我人になるんだ」
ゼノスを案内した男が、低い声で笑う。
「先生よぉ。あんたなかなか腕が立つそうじゃねえか。ちょっと俺らと勝負しねえか」
「……」
ゼノスは男を無言で眺めた後、大きく溜め息をついた。
「は~あ、やっぱり嘘か。時間を無駄にした」
「ああん?」
「お前がうちの生徒じゃないのは見た瞬間にわかったよ」
男に言うと、相手はわずかに目を細めた。
「どういうことだ?」
「匂いでわかるんだよ。お前達みたいな奴は沢山見てきたからな。万が一、怪我人がいたらと思って一応ついて来たが、その必要はなかったみたいだな」
そう言って、くるりと踵を返す。
「どこの誰かは知らんが、俺は帰るぞ。晩飯までに雑用を終わらせておきたいからな」
「おいおい、このまま黙って帰すと思うか?」
男が制服を脱いで肩にかける。その右腕には蛇の刺青がびっしりと彫り込まれていた。
同時にゼノスの進行方向に数人の男達が立ちふさがった。
「くくく、心配すんな。殺しはしねえよ。学校に当分来れなくなる程度に痛めつけるだけだ。まあ、血の気の多い連中だから、ちょっとやりすぎるかもしれねえがな」
「ふわぁ……」
「って、なんで欠伸してんだよ、てめえ」
「いや、まだ寝不足が後を引いてるな。それに授業って結構頭を使うんだよ」
「やっちまえ!」
男の合図とともに、取り巻きの男達が襲い掛かってくる。が――
「え?」
「おい、ちょっと」
「あれ、どうなってんだ。なんでっ」
男達は能力強化魔法で敏捷性を増したゼノスを捉えられない。
右に跳び、左にかわし、男達の伸ばした手を軽々とかいくぐると、ゼノスは繁みの中を駆け出した。林を飛び出したゼノスは、一度立ち止まって必死に追いすがる男達を振り返る。
そして、すぅと大きく息を吸い――
「近衛師団の皆さーん、ここに怪しい奴がいるぞぉぉっ!」
「は……?」
虚を突かれたように、男達の動きが止まった。
ゼノスの大声を聞きつけた学園の警備担当者達が、裏門からすぐに駆け足でやってくる。
「どうされました、先生」
「ほら、あいつら。見るからに怪しい男達が学園の治安を乱そうとしてるぞ」
「む、確かに。捕えろっ」
警備兵達が、男達に向かって一斉に駆け出した。
慌てた男達は、蜘蛛の子を散らすようにこちらに背を向けて逃げていく。
「おお、すごいな。これが権力……」
「く、くそっ、てめえ、覚えてろっ」
リーダー格の男の捨て台詞が夕闇に空しく響き渡る。
「なんで仕事でもないのに、余計な労力を負わなきゃいけないんだ」
慌てて逃げていく男達の背中を軽く眺めて、ゼノスは作業に戻ることにした。
塗り残しを潰していきながら、ぼんやりと考える。
そういえば、学園の制服は一体どこで手に入れたのだろうか。