第176話 剣術の授業
前回のあらすじ)Fクラスのライアンが担任ゼノスを試してやると豪語した
翌日の午後、Fクラスを率いたゼノスの姿が校庭の端にあった。
剣術の授業が自習になり、監督役として立ち会うことになったのだ。
「とりあえず体操してから、型に合わせて素振りをしておくように」
担当教諭から言付かった内容を生徒達に伝える。剣術の授業と言っても、貴族の子弟が相手になるため、あくまで形式的なものではある。一部には貴族でありながら冒険者になるような者もいるらしいが、基本的には命のやり取りとは無縁な者達だ。
「さて、と」
運動着に着替えた生徒達が緩い雰囲気で体操しているのを、ゼノスはベンチに腰を下ろして横目で眺めた。監督役という立場のおかげで、今日は教頭の雑務からも逃れることができている。折角の機会なので少しでも学んでおこうと持ってきた社会学の教科書を開いた。
「ふぅん……」
大陸の地理や、ハーゼス王国の政治制度などがわかりやすくまとめられている。
この国を特徴づけている王族を頂点とした身分制についても触れられているが、少し気になることもあった。
貧民に関する記述がほとんどないのだ。
正式な国民として認められていないため仕方がないのかもしれないが、少ない文章で書かれているのは、移民や犯罪者、建国時の少数民族の子孫が貧民扱いになったこと。最下層民を作ることで市民の政治への不満を逸らす目的もあること。現在は貧民の男達がわずかな報酬で国境警備に駆り出されていることなどだ。
「階級、か……」
教科書を手につぶやくと、ふいに陽光が遮られ、眺めていた紙面が陰った。
目の前に大柄な男子生徒が仁王立ちになっている。
「ライアンか、どうしたんだ?」
顔を上げて尋ねると、ライアンはにやりと笑って言った。
「先生よぉ。素振りだけやってても、俺ぁ退屈で仕方ねえよ」
「そうか。じゃあ裏門の外壁の塗装でもやるか? 一部色が剥げ落ちてるんだ」
「なんで俺がそんなことしなきゃなんねえんだよっ」
いずれ教頭に押し付けられるであろう雑務をさりげなく振ろうとしたが、あっさり断られる。
「ならどうしたいんだ?」
「剣術の相手をしてくれよ」
ライアンの申し出に、ゼノスは二、三度瞬きをした。
「俺はただの治癒魔法学の教師だぞ」
「今は剣術の授業の代理教師だろ。生徒が真面目に取り組みたいって言ってんのに無視すんのか」
「無視って訳じゃないが……」
「それに、あんた前に挑戦は受けるから全力でかかってこいって言っただろ」
「お、おぅ、そういえば」
「あ、あの、ライアン君。ゼノ先生はそんな――」
「お前は黙ってろ、イリア。立ち合い稽古も授業の一環だろ。何か問題があるか?」
止めようと声を上げたイリアを、ライアンは横目で睨みつける。
ゼノスは教科書を閉じてゆっくり立ち上がった。
あまり気は乗らないが、意欲がないと教頭に報告されるのも具合が悪い。学園長にもFクラスをくれぐれも頼むと言われたばかりなのだ。それに確かに、教師のことがよくわかっていなかったとはいえ、赴任初日に生徒のどんな挑戦も受けると言ってしまっていた。
ライアンから木刀を受け取りながら他の生徒に目をやると、何人かがこっちを見て、にやついた顔でひそひそと何かを話している。
「……」
ゼノスはゆったりした足取りで、ライアンの前に立った。
「俺は前衛じゃないからな。あまり期待はするなよ」
「何言ってんだ?」
周囲の視線を浴びる中、ライアンは木刀を大上段に構える。
「先生よぉ、もし何かがあっても授業中の事故ってことだから勘弁しろよ」
「何かって、何があるんだ?」
「おらぁっ」
風が唸り、先端が勢いよく振り下ろされた。
体をひねり、それを半身でかわす。
「ちっ」
ライアンは舌打ちをして、木刀を横に振るった。
次は軽く後ろに跳ぶ。紙一重で先端は空を切った。
「くそっ、ちょこまかと」
続いて繰り出された突きを、今度は木刀を斜めに傾けて受け流す。
冒険者パーティにいた時に、アストンに散々剣の練習という名目でしごきを受けたのが意外に役に立っている。あいつは腐ってもゴールドクラスのパーティの剣士だ。
「て、てめえ、なんなんだよっ」
「治癒魔法学の教師だよ」
斜め上から迫る木刀を、腰を落として避けながら、ゼノスは目の前の生徒を観察する。
剣術については詳しくないが、ライアンの剣さばきは決して悪くない気がする。
力の入れどころ、抜きどころがはっきりしており、動きも滑らかだ。
能力強化魔法で動体視力と敏捷性を強化しているため、木刀が当たることはないだろうが、他の生徒とは明らかに一線を画している。
結局、授業終了のチャイムが鳴るまで、ライアンとの立ち合い稽古は続いた。
ライアンは荒く息を吐いて、憎々しげに睨んでくる。
「く、くそっ、ど、どうして当たらねえ……」
「頑張って避けてるからな」
「逃げてばっかりいるんじゃねえよっ」
「……そうか、確かにそれじゃ練習にならないかもな」
ゼノスは目を細め、木刀を握りなおす。ライアンは木刀を大上段に構え、振り下ろしてきた。
「うおおりゃっ」
木刀の軌道を見極め、わずかに身体を逸らして右手を前に差し出す。
「ごへええっ」
「あ、しまった」
寸止めするつもりが、ライアンの踏み込みが予想より速く、木刀の先端で額を突いてしまう。
ライアンは盛大にひっくり返り、額を押さえて呻いた。
「ごへっ。て、てめえっ。お、俺にこんな真似をしてただですむと……」
「いや、でも逃げるなって言ったのお前だろ」
ゼノスは息を吐いて、ぽりぽりと頬をかいた。
「それに大丈夫だ。傷はもう治してある」
「あ……?」
ライアンは一瞬動きを止め、不思議そうに何度か額を押さえた。
「じゃ、授業は終わりだ。さっさと教室に戻れ」
「ゼノ先生、すごい……!」
「ふん、この私がちょっとだけ見込んだ男なんだから、これくらいは当然でしょ」
イリアが感嘆の息を漏らし、シャルロッテが不敵に笑う。
一方で、他の生徒達は冷ややかな視線をライアンに向けていた。
エレノアが去り際に、ぼそりとライアンの耳元でつぶやく。
「期待外れ」
「くっ……」
生徒達がぞろぞろと教室に引き上げる中、一人残されたライアンは固めた拳で地面を思い切り殴りつけた。
「なんなんだよ、あの教師はっ……」