第175話 顔合わせ
前回のあらすじ)イリアの教科書は師匠が渡したものだった。あと学園七不思議の何度消しても壁に現れる変な絵はゼノスによって阻止された
翌朝、職員室の末席に座るゼノスに、同僚教師でDクラス担任のハンクスが声をかけてきた。
「ゼノ先生、なんだか眠そうですね」
「あぁ……昨晩ちょっと遅くて」
欠伸をかみ殺して答えると、ハンクスは少し声を落として言う。
「ところで知ってます? Eクラスの生徒がFクラスの生徒の教科書を隠したことを自首したみたいですよ」
「へぇ」
少し意外だった。
漏らしたことを言いふらされるよりは、罪を告白したほうがましということだろうか。
そんな反応をすると、ハンクスは曖昧に首を横に振った。
「まあ、誰かに指摘されるより、自ら告白したほうが落第点は軽くなりますからね」
「落第点?」
「聞いてないですか? 生徒が学園の理念に反する行為をすると落第点という点数がつくんです」
一回の行為につき最低一点、最大十点がつくらしい。
「それで、一年間で落第点が五十点に達すると退学になるんです。まあ、退学までいくことは滅多にないですけど」
「逆に言えば、気に食わない生徒に落第点を連発すれば追い出せるってことか?」
「こ、怖いこと言いますね」
ハンクスは引き気味に答える。
「いや、学園がどういう仕組みで運営されてるのか興味があるだけだ」
「正直乱発してやりたくなる時もありますが、落第点の妥当性は理事会で認定されるので、下手な真似をするとこっちが処分されますよ」
「なるほどな」
相槌を打ちつつ、ふと気になったことがあった。
「ちなみにうちの生徒は前も教科書を裏庭に捨てられたらしいんだが、それもあいつらの仕業なのか?」
「え、そうなんですか? 彼らが白状したのは、今回の件だけだと聞いてますけどね」
「ふぅん……」
ゼノスは腕を組んで小さく唸った。
裏庭に捨てた件はどうせばれないと思ってわざわざ言わなかったのか、それとも彼らとは別にイリアに嫌がらせをした者がいるのだろうか。
ぼんやりとそんなことを考えていたら、教頭のビルセンが険しい顔つきでやってきた。
「ゼノ君、学園長がお呼びだ」
ここに来た時は不在で会えなかった学園長。
果たしてどんな人物なのか。
最上階にある学園長室の前で、姿勢を正した教頭が、ドアを控えめにノックする。
「学園長、新任のゼノ先生を連れてきました」
「入りたまえ」
爽やかな声が返ってくる。
「失礼します」
恭しく答えて中に入る教頭に続くと、そこは赤絨毯の敷きつめられた広々した部屋だった。
格子窓からは校庭が一望でき、奥の執務机は三人が横に並んで座れるほど大きなものだ。
「やあ、初めまして」
おもむろに立ち上がったのは、端正な顔立ちをした男だった。
ダークグレイの髪に、涼しげな目元。背後の窓からの陽射しがまるで後光のようにも見える。
七大貴族の筆頭とも言われるベイクラッド家の次期当主。
ただゆっくりと近づいてくるだけなのに、その所作の一つ一つに匂い立つほどの気品が漂っている。そして、想像していた以上に若い。おそらく二十代だろう。そういえばシャルロッテが許嫁と言っていたことを思い出す。
「アルバート・ベイクラッド。ここの学園長をしています」
白い絹の手袋をつけた右手が差し出される。
ゼノスはそれを軽く握り返した。
「どうも、ゼノ、です」
相手はにこりと笑うと、優雅に踵を返して執務机に戻った。
「授業前に呼び出して悪かったね。特に用事があるという訳じゃないんだけど、出張で会えなかったから、一度は顔を見ておこうと思ってね」
学園長は穏やかな声色で言う。
「学園には慣れたかい? いきなりFクラスを任せてしまったけど大丈夫かな?」
「今のところは特に問題はない、です」
「ほう、頼もしいね」
感心したように頷いたベイクラッド家の次期当主に、ゼノスは尋ねた。
「ところでFクラスはあん……じゃなくて、あなたが作ったと聞きましたが」
「そう。彼らはもともとDクラスとEクラスにいたんだけど、なかなか難しい生徒達でね。そこで彼らを一つに集めてしっかり教育をする必要があると思ったんだ。それがきっと彼らのためにもなると考えたんだけど……」
そう言った後、わずかに溜め息をつく。
「ところがこれまで四人の担任がみんな匙を投げてしまって、困っていたところでね。君が来てくれて本当に助かったよ。フェンネル卿の推薦なら間違いないだろうしね」
学園長は一点の曇りもない爽やかな笑顔を向けてくる。
「くれぐれも彼らを頼むよ。ゼノ君」
顔合わせはそれで終わったようなので、ゼノスは首を縦に振って部屋を出ることにした。
廊下を教室に向かって歩きながら、一度学園長室を振り返る。
レーデルシア学園の学園長にして七大貴族の次期当主アルバート・ベイクラッド。
貴族の頂点に君臨しながら、少しも嫌味を感じさせない態度と物言い。
それは余裕から来るものか、真に誠実な人物なのか、それとも――
学園長室の中では、教頭のビンゼルが、閉じたドアを睨んで不服そうに言った。
「しかし、本当にいいのですか、学園長? あんな得体の知れない男を由緒ある我が学園に招き入れるなど」
「許嫁の父の頼みだしね。我がベイクラッド家としても同じ七大貴族と揉めるのは得策ではないし、フェンネル卿の寄付金額を考えれば断るという選択肢はないと思うよ。それにうまくやってるみたいじゃないか、彼。物怖じしない態度も気に入ったよ」
学園長は校庭に目をやり、薄い笑みを浮かべる。
「期待しようじゃないか。彼がしっかり役割を果たしてくれるようにね」
+++
その頃、Fクラスの教室では、イリアの机の周りに生徒達が集まっていた。
「Eクラスの奴らがお前の教科書隠してたんだって?」
「あ、は、はい。でも、無事に返ってきたので大丈夫です」
「なんか妙にお前にびびってたみたいだけど何があったんだよ」
「あ、いえ、別に……」
答えるイリアを、褐色の短髪をした大柄な男子生徒――ライアンが見下ろす。
「おい、そんなことよりお前どういうつもりだ」
「ええと、あの……」
ライアンは威圧感をまとわせてイリアに言った。
「ゼノって教師と随分仲良くやってるみたいじゃねえか。今までの担任がどんな奴らだったか忘れた訳じゃねえだろ」
「それは……」
口ごもるイリアを、深紅の髪の女生徒――エレノアが冷ややかに見つめている。
困り顔のイリアは、助けを求めるように奥の一段豪華な席に目を向けたが、シャルロッテはまだ教室に来ていない。クラスメイトの刺すような視線を浴びたイリアは、俯いて黙り込むが、やがて唇を噛んで顔を上げた。
「で、でも、ゼノ先生は、今までの先生とは違うと思います」
「あぁ?」
「市民上がりの私にも変わらず接してくれますし、やりたいことをちゃんと応援してくれて」
「おいおい、すっかり手懐けられてるじゃねえか」
「ねえ、そこどいてくれない? 通れないわ」
教室に来たシャルロッテが、いつの間にかイリアのそばに立っている。
Fクラスの生徒達が無言で道を開けると、ライアンは軽く舌打ちをしてイリアを指さした。
「どうせあの担任も少し脅せば逃げ出す腰抜けだ。俺があいつを試してやるよ」