第174話 旧第三校舎の怪【後】
前回のあらすじ)イリアをからかおうと旧第三校舎に潜んでいたEクラスの生徒達の前に、ヘルドッグが現れ、ゼノスとイリアが退けた
深夜の校舎に、二人分の足音が静かに響く。
「それにしても倉庫とはな」
ランプを手にしたゼノスは声を落として言った。
Eクラスの生徒から聞き出した教科書の隠し場所は、倉庫の端の棚だった。その倉庫はFクラスのすぐ裏にある。正確に言うとFクラスはもともと倉庫の一部だったらしい。
「あの、先生についてきて頂かなくても……」
隣のイリアが恐縮した様子で口を開いた。
「ま、深夜だしな。さすがに一人で行かせる訳にはいかないだろ」
隠し場所を知ったイリアが今日にでも取りに行きたいと言うので、同行することにした。
「ただ、シャルロッテじゃないけど、貴族なら新しい教科書くらいは手に入るだろ。なんでそこまでこだわるんだ」
「他の教科書は諦めがつくんですけど、あの教科書は、とても大事なもので……」
イリアは手を擦り合わせながら答える。
夜の学校はどことなく不気味な雰囲気が漂っているが、通い慣れているFクラスのそばということもあり、それほど怖がってはいない様子だ。後は本当に倉庫に教科書があるのかだが、嘘をつけば漏らしたことを言いふらされるかもしれない。体面にこだわる貴族はそういう思考だ。おそらく真実だろう。
実際、埃だらけの倉庫の棚を漁ると、教科書が一冊見つかった。
「あった……!」
イリアはほっとした様子で、その教科書を胸に抱く。
「よかったな。もう盗られるなよ」
「はい。大事に保管しておきます」
イリアは嬉しそうに頷いた。
「ちなみに何の教科書なんだ?」
「あ、はい、治癒魔法学の基礎の教科書でして……」
渡されたものを眺めると、表紙は色あせており随分と古いものに見える。
「私、子供の頃に病気をして治癒師の先生に治してもらったことがあるんです」
「ああ、前にそう言ってたな。それで治癒師に憧れたんだろ」
「そうなんです。実はこの教科書、その先生にもらったんです。私が将来治癒師になりたいって言ったら、これをやるって。色々書き込んでるから、新しい教科書を買うより勉強になるはずだって」
「へぇ」
何気なくぱらぱらと中をめくり、ゼノスは足を止めた。
「先生……?」
中には注釈のような書き込みがあちこちに残されている。
ゼノスは立ちすくんだまま、その文字を凝視した。
「なあ、イリア。その治癒師はどんな奴だった?」
「冗談好きでなんだか掴みどころのない人でしたけど、治療の時は温かくて優しくてとっても素敵な先生でした。私が治療を怖がったら、面白い魔法陣を見せてくれたりして」
イリアは感慨深そうに教科書を覗き込む。
「でも、私、ずっと先生って呼んでたから、肝心の名前を聞き忘れちゃって。後になって両親に聞いても全然覚えていないんです。王立治療院に問い合わせてもなぜかそんな記録はないって言われて。だから、あの先生との繋がりはもうこの教科書だけで……」
「そうか」
ゼノスは目を閉じて言った。
この筆跡には覚えがあった。
貧民街の孤児院にいた頃、文字を教え、常識を教え、世界のことを教えてくれた相手。
そして、治癒魔法を教えてくれた人――
「師匠……」
「え、どうしたんですか?」
「いや、なんでもない。いい奴に治療してもらったな。大事にしろよ」
「はいっ」
教科書を受け取ると、イリアは元気よく頷いた。
師匠は蘇生魔法に手を出した代償として、名前を知る者に忘れられる呪いにかかった。
しかし、幼かったイリアは名前を聞き忘れたため、今でも師匠のことを覚えていたのだ。
イリアを夜間運行の馬車の停留所まで送った後も、ゼノスはひとけのない路上にしばらく佇んでいた。
もしかしたら、イリアが治癒魔法の習得が早いのは、師匠の解説がついた教科書で勉強していたからかもしれない。
師匠が自分に教え、自分がイリアに治癒魔法を教えている。
ゼノスは自身の手の平をまじまじと眺めた。
「受け継がれていくもの、か……」
「くくく……たそがれておるの」
「うお、びっくりした」
突然声がして振り向くと、黒衣をまとった半透明の女がふわふわと浮いている。
「カーミラ……前から言ってるけど、いきなり声かけるのやめてくれない?」
「夜の学校のラブコメ展開を期待して後をつけておったが、貴様、紳士すぎるのではないか? もっとぐいっといかんか、ぐいっと」
「レイスってこんなに俗っぽい魔物だっけ……?」
三百年も現世で過ごしていると、発想がおじさんになるのだろうか。
ゼノスは腰に手を当て、溜め息をついた。
「というか、ヘルドッグ……あれ、お前だろ」
前にも王立治療院で、カーミラの力に引き寄せられてアンデッドが大量発生したことがあった。
すると、カーミラは開き直ったように笑う。
「くくく……これはわらわの壮大なる学園七不思議計画の一つじゃ。旧校舎の夜に響く犬の鳴き声。ちょっと脅かしてやるつもりが、加減を間違えて数匹土から這い出てしもうたが」
「あのなぁ、生徒が大怪我でもしたらどうするつもりだったんだ」
「なんとかするつもりじゃったが、その前に貴様がなんとかしたからいいじゃろ」
「いや、まあ、そうだが……」
言いながら、カーミラが銀色の缶のようなものを幾つか持っていることに気づいた。
「それなんだ?」
「いひひひ、これは美術室から拝借したペンキじゃ。これから学園七不思議第二弾、何度消しても朝になると壁に現れる変な落書きをプロデュースしてくるところじゃあ」
「うん、さっさとそれ返して寮に帰れ」
「え~」
「めちゃめちゃ不服そう!」
レイスの不満と、闇ヒーラーの感慨を抱えて、学園の夜はふけていく。