第172話 脅迫文
前回のあらすじ)シャルロッテによるメンタル強めの帝王学の講義が行われた
シャルロッテによる帝王学の講義の後は、約束通りイリアの治癒魔法の個人授業の時間になった。
今日もまずは魔力を出力する訓練を行う。身体の中の魔力の流れを意識して、手のひらや指先などの出力しやすい部位へと集めていく。
「うん、そうだ。魔力を出すことを意識しすぎると、あちこちから垂れ流しになってすぐに消耗する。一ヶ所に貯めてから放つイメージだ」
「は、はいっ」
額に汗を滲ませながら、イリアは真剣な表情で頷いた。
後半には少しずつではあるが、魔力の流れを制御できるようになってきた。
「うん、悪くないぞ、イリア。魔法ってのは大きく三つの要素からできてるんだ。一つは魔力の量、もう一つは制御、最後の一つは質」
師匠の教えを思い出しながら、ゼノスは言った。
このうち量は生まれつきの要素が強く、制御は訓練で向上できる。質は訓練でも伸びるが、才能や適性の影響も大きいと聞いた。
呪文や杖や魔法陣などはこれらどれかの要素を増幅させるためのものだ。
「慣れないうちは力ある言葉を使ったほうがやりやすい」
「はいっ。治癒!」
イリアの詠唱とともに、手の平の淡い光が、小さく瞬いて空間に散った。
「せ、先生っ。な、なにか出ましたっ」
「うん、まあ、一応それが治癒魔法だ」
と言っても、今の出力だと、小さな擦り傷をやっと治せるかどうかのレベルではる。
「それなら薬草でも使ったほうが早いんじゃない?」
シャルロッテの素朴な疑問に、イリアは肩を落とした。
「あ、うぅ、で、ですよね……」
「いや、普通にすごいですよ、イリアお姉さん」
とは言え、魔法を知っているリリからすると、短期間でここまでできるのは大したことらしい。
「魔力の流れをもっと意識するといいぞ。指先まで持ってくる感覚と、放出する感覚は違うから注意するんだ」
「は、はい、ありがとうございます」
ひとまず今日の訓練も無事に終わった。
「ありがとうございました、先生」
「おう、また明日な、イリア」
「イリアお姉さんのおかげでリリは今日も賢くなりました」
「そ、それはよかったです」
ぺこぺこと頭を下げるイリアの隣で、シャルロッテが栗色の髪を手の甲で払った。
「じゃ、私も帰るけど、明日は違う紅茶を用意しといてくれる?別のも飲んでみたいわ」
「は、はい……」
「お、おぅ……」
どうやら明日もシャルロッテは来るようだ。
寮を出たシャルロッテは、足元のおぼつかないイリアの背中をつついた。
「ひゃっ」
「ほら、背中が曲がってるわ。淑女たるもの背筋を伸ばして歩きなさい」
「す、すいません、ちょっと疲れて……」
そんな二人を離れたところで眺めている集団があった。
下級貴族が属するEクラスの面々だ。
「イリアの奴、最近調子に乗ってんじゃねえか?」
「フェンネル家のご令嬢が、なんであんな奴に目をかけるんだよ」
「うまく取り入ったのよ。市民上がりの貴族は浅ましいわね」
厳密な階級に支配されたこの国において、七大貴族は王族に次ぐ権力者である。見下していた相手が最高権力者の一角と親しくしているなど許されることではない。
そのうち一人が、にやりと口の端を持ち上げて言った。
「ね、あいつ、ちょっと脅かしてやりましょうよ」
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翌日の放課後もイリアとシャルロッテがやってきたが、イリアは妙に浮かない表情をしている。
治癒魔法の訓練もどこか注意散漫で、魔力の流れが一向に安定しない。
「どうしたんだ、イリア。今日は調子が悪いな」
「あ、すいません。あの……ちょっとお手洗い借りてもいいですか?」
イリアはおどおどした調子で答えて、トイレのほうへ消えていった。
その姿を眺めたリリが心配そうに言う。
「なんか、イリアお姉さんの様子が変」
「そうだな……魔力の発動量というより制御に問題があるから、身体じゃなくて気持ちの面だろうが……」
ゼノスは腕を組んで振り返った。
「お前は何か知ってるか、シャルロッテ?」
ダイニングテーブルで紅茶を飲んでいるシャルロッテは、軽く肩をすくめる。
「なんかロッカーで何かを見ながらぶつぶつ言ってた気がするけど」
「ロッカー? どういうことだ?」
「そこまで知らないわよ」
シャルロッテは肩肘をついて答え、空になった紅茶カップを軽く持ち上げる。
「それより、この新しい紅茶おかわりもらえる? これも悪くないわ」
「あ、はい、あっ」
リリが紅茶ポットを取りに行こうとした時、壁際に立てかけてあったイリアの鞄に足をひっかけて、前につんのめってしまう。
転倒に至らなかったが、代わりにイリアの鞄の中身が床に飛び出した。
「いけない」
慌てて戻そうとするリリ。すると、ノートや筆箱と一緒に鞄から飛び出した一枚の便箋がシャルロッテの足元にふわりと飛んでいった。
「ん、これ何?」
摘まみあげたシャルロッテが、目を細めて文面を読み上げる。
――教科書の隠し場所を教えて欲しくば、夜十二の刻に旧第三校舎の裏庭に一人で来られたし。この手紙のことを他言した場合は、教科書は戻らないものと思え。
「……なんだ、恋文かと思ったら脅迫文の類ね。じゃ、いいわ」
「いや、待て待て。よくないだろ」
思わず突っ込むゼノス。シャルロッテから便箋を受け取ったリリが、不安げに口を開く。
「ゼノス、もしかしてイリアお姉さんの様子がおかしいのってこれが原因なのかな?」
「そうかもな……」
おそらくこの手紙が今日イリアのロッカーに入っていたのではないだろうか。
一体どこの誰の仕業だろうか。以前、裏庭でイリアを嘲笑していた集団が思い浮かぶが、証拠がある訳ではない。参考になるのは筆跡くらいだが、貴族であれば執事やお手伝いに書かせることもできるだろう。
シャルロッテは特に気にする様子もなく、おかわりの紅茶に口をつけた。
「別に無視すればいいだけでしょ。たかが教科書程度でこんな変な誘いに乗るほど、あの娘も馬鹿じゃないでしょうし」
「だったらいいが……」
いずれにせよイリア本人から相談があった訳でもないので、ひとまず便箋は元に戻しておく。
「すいません、お待たせしました」
トイレから戻ってきたイリアの顔色は相変わらず優れない。
この日は結局魔力の流れが安定せず、そのまま解散になった。
夜。時計の針が深夜十二の刻を告げる少し前。
寮の寝室で、ゼノスはおもむろに身を起こした。身支度を素早く整えていたら、リリが寝室から顔を出す。
「ゼノス」
「すまん、起こしたか?」
「ううん、私もイリアお姉さんのことが気になってあんまり眠れなかったから」
リリは眉の端を下げて言った。
「様子を見に行くの?」
「ま、一応担任だからな」
「でも、手紙には他言禁止って書いてあったよね。誰かに言ったら教科書は返ってこないって。だから、イリアお姉さん相談してこなかったんじゃないかな。大丈夫?」
「ん?手紙の件なんて知らないぞ。俺はただ教頭に言いつけられた校内の見回りをするだけだ。もしかしたらパトロールの一環として旧第三校舎にも立ち寄るかもしれないが」
リリはぷっと噴き出す。
「気をつけてね、ゼノス」
「ああ、遅くならないようにするよ」
ゼノスは黒い外套を羽織って、闇に消えていった。
残されたリリは、しばらく玄関ドアを見つめていたが、やがてふと気づいたように辺りに首を巡らせた。
「あれ? そういえばカーミラさん、どこ……?」