第171話 個人授業【後】
前回のあらすじ)放課後の寮で、イリアとシャルロッテの個人授業が始まった
「こ、こんばんは、先生」
翌日の放課後もイリアはやってきた。昨日はかなり疲弊していたように見えたが、学習意欲の高い娘だ。
「で、お前もまた来たのか?」
「何? 文句ある訳? むしろ泣いて喜ぶべきところでしょう」
今日もイリアと一緒にやってきたシャルロッテは、我が物顔で敷居をまたいだ。
「いや、文句はないし、来たけりゃ来てもいいんだが、お前がここにいても退屈なんじゃないかと思ってな」
七大貴族の令嬢ともなればそれなりに忙しいはずだ。
「……ふん、別に退屈はしないわよ」
「それならいいけど」
リビングの椅子に腰を下ろしたシャルロッテは、ふと思い出したようにゼノスを指さす。
「か、勘違いしないでよ。べ、別にあなたに会いに来てる訳じゃないからっ」
「そりゃそうだろうが、じゃあなんで来てるんだ?」
「……」
しばしの沈黙の後、シャルロッテの視線はイリアに向けられた。
「……イ、イリアを鍛えてやろうと思ったのよ。この娘は気持ちが軟弱だから」
「ええっ!」
「その顔は何? まさか私の申し出を断る気?」
「あ、い、いえっ。お、お願いします……」
イリアは身を小さくして、頭を下げた。
壁に立てかけた杖がぷるぷると震えている。
イリアによる初等教育の勉強の後、シャルロッテは颯爽と立ち上がった。
「さあ、次は私の番ね。フェンネル家流の帝王学を特別に講義してあげるわ。そこの妹も聞いても宜しくってよ」
「はいっ!」
物憂げなイリアの隣で、リリは勢いよく手を上げる。
シャルロッテは満足げに頷いて、窓際に足を向けた。
「私は素敵」
「え?」
突然の一言に、イリアが戸惑った声を上げる。
シャルロッテは窓ガラスに映った己の顔を見ながら続けた。
「私は素敵。私は美しい。私は素晴らしい」
「あ、あの、シャルロッテ様……何を……?」
「わからない? 自分を愛でているのよ。ありのままの真実を繰り返し呟いて、後は強気に出るだけ。簡単でしょう」
「ええ……」
「おお……」
困惑するイリアと、軽く唸るゼノス。
強い。なんというか、強い。生まれの強さというものをまざまざと感じる。
シャルロッテはくるりと振り返った。輝く栗色の巻き毛がふわりと弧を描き、なんだか本当に一段美しくなったようにも見える。
「はい。やってみなさい、イリア」
「わ、私は……」
「何? 聞こえないわ?」
「わ、私は……素敵」
「声が小さい。あなた本当に自分を素敵だと思ってる?」
「お、思ってません……」
「それが駄目なのよ」
つかつかとやってきたシャルロッテは、俯き加減のイリアの顎をくいと持ち上げた。
「あふぁっ」
「私には全く及ばないけど、あなたもそう悪くない顔立ちをしてるわ。自信を持ちなさい」
「え、あ、はい、あ……ありがとうございます」
「じゃあ、もう一度」
「わ、私は素敵」
「続けて」
「わ、私は……美しい。私は、すっ、素晴らしい」
「リリは素敵! リリは可愛い! リリは素晴らしい!」
リリも一緒になって、自賛ワードを連呼している。異様な熱気が室内に満ち、まるで怪しげな集会のようだ。
「くくく……わらわは言うまでもなく素晴らしい」
三人の発声に混じって、自己肯定感の高いコメントが聞こえる。
そのまま最後は大合唱のようになり、ようやく謎の帝王学の講義は終わった。
ぐったりしつつもどこか満足そうな表情のリリは、ふと顔を上げて言った。
「そういえば、イリアお姉さんはどうして治癒魔法を習いたいんですか?」
「あ、私ですか。それは……その、実は私……治癒師になりたくて」
「……」
周囲の視線を感じ取り、イリアは首をひっこめた。
「あ、す、すいません。おかしいですよね、私なんかがそんな夢……」
「全然おかしくないぞ」
ゼノスはイリアをまっすぐ見て言った。
「どこのどんな奴だって夢を持ってもいい。俺の先生はそう教えてくれたよ」
それが市民であっても、貴族であっても、そして貧民であっても。
「……素敵な、先生ですね」
「まあな。素敵じゃないところも色々あったけど」
「わ、私、子供の頃に大きな病気をしまして、治癒師の先生に助けてもらったことがあるんです。その振る舞いがすごくかっこよくて……」
イリアは目を輝かせて言った。
ただ、当時は父親が貴族になったばかりの時期で挨拶回りに忙しく、要望を口に出すことはできなかったという。半ば諦めかけていたところに、治癒師が担任としてやってくることになり、最後のチャンスとばかりに治癒魔法の講義を頼むことにしたのだと。
頬杖をついたシャルロッテが、横目でイリアを眺める。
「ふぅん、気弱な癖に講義の依頼はできた訳ね」
「ゼノ先生は、今までの先生と違う気がして……」
「ちなみに私の夢は、私に相応しい男を見つけて、結婚式で一緒に踊ることね」
「はいはい」
「って、ちょっと聞きなさいよ。担任っ」
「あ、そういえば――」
イリアが思い出したように手を合わせ、恐縮した様子で口を開いた。
「シャルロッテ様には許婚がいるという噂を聞いたことがあるんですけど……あれは、その、本当なんでしょうか?」
「んー? 別に、正式なものじゃないわよ。子供の頃に親同士が酔って勝手に言った話」
「えっ、誰が相手なんですかっ」
わくわく顔で尋ねたリリに、シャルロッテは面白くなさそうに答えた。
「……アルバート・ベイクラッド。今のレーデルシア学園の学園長よ」