第166話 顔合わせ
前回のあらすじ)ゼノスは問題児が集まるとされるFクラスの5人目の担任だった
「さあ、入って」
シャルロッテの後に続いてFクラスの教室へと足を踏み入れる。
中は治療院に比べれば遥かに立派だが、やはりどこか薄暗い。北向きで日が当たりにくいのが原因だろう。シャルロッテからは元々倉庫として使われていた場所だと聞いた。
生徒数は十名程度で思っていたより少ない。誰も声をかけてこないが、じっとりと様子を伺うような視線が向けられている。
「新しい担任を連れてきたわ。ほら、挨拶して」
シャルロッテに促されて、ゼノスは教壇に立つ。下を向いている者もいれば、外を眺めている者もいるし、睨むような視線を送ってくる者もいる。
ゼノスは息を吸って簡単な自己紹介をすることにした。
「王立治療院の紹介で臨時教師としてやってきた。ゼノと呼んでくれ」
特に返事はない。今さらではあるが、少なくとも歓迎はされていないようだ。
「さて……」
ゼノスは教卓に両手をつき、生徒達を見渡す。
「じゃあ、解散」
「って、ちょっと待ちなさいよっ!」
隣に立っていたシャルロッテが慌てた様子で言った。
「なんでいきなり解散なのよ」
「え、まずかったか? なんとなく終わりそうな雰囲気だったから」
水を打ったように静かだった教室が少しだけざわめく。
「ちょ、ちょっとこっち来なさい」
シャルロッテに腕を引かれて廊下に連れ出された。
「どういうつもり? あなた担任でしょ?」
「仕方ないだろ。いきなり召集かかって、今日担任やれって言われたんだ。担任なんてやったことないからよくわからないんだよ」
「そ、それはパパの意向で。わ、私じゃないからっ」
「さっき聞いたからわかってるよ」
「それにしたって大体どうすればいいかわかるでしょ。基本教育受けてないの?」
「残念ながら、俺が受けたのは特殊な教育なんだ」
「ああ……そうか。あなた元々外国の人間だったっけ」
「まあ、ここから見たら外国みたいなもんだな」
シャルロッテは溜め息をついて言った。
「いい? まずは出席を取るの。教卓に出席簿があるから。で、連絡事項があれば共有。なんでこの私がそんなことまで」
「助かるよ。ありがとう」
「べ、別にクラス委員としてやってるだけで、あんたのためじゃないから」
なぜかびしぃと指をさされる。
再び二人で教室に戻り、シャルロッテは奥の席についた。教室では一番日当たりのいい窓際で、他の生徒が使っている机や椅子より明らかに立派に見える。Aクラスの生徒はどうやら扱いが違うようだ。
とりあえず教卓の出席簿を手に取り、名前を読み上げる。
「じゃあ、出席を取るぞ。まずはイリア・クラベル」
「あ、は、はいっ」
最前列の少女が顔を上げる。さっき裏庭に這いつくばっていた少女だ。おどおどした態度で、まるで怯えた小動物のように見える。貴族は全員えらそうに振舞っている印象があったので、こういう少女もいるのかと意外に思えた。
「次はシャルロッテ・フェンネル」
「あ、あなたに呼び捨てされる筋合いはないからっ」
「お、おぉ……」
出席を取れと言ったのは、どこの誰だったか。
その後、何人かの名前を読み上げるが、やる気のなさそうな返事が返ってくるだけだ。
続いて反応したのは褐色の短髪をした大柄な男子生徒だ。
「ライアン・ダズ」
「おぅ」
腕を組み、背もたれに横柄に寄りかかっている。
ある意味では貴族らしい態度をしたその生徒は言った。
「先生よぉ、あんたは大丈夫なんだろうなぁ」
「ん、何が?」
「なぜか俺らの担任になった奴はすぐに辞めやがるからよ」
「ああ、俺で五人目と聞いた。一応、任期中は続けるつもりだけどな」
「はっ、せいぜい頑張ってくれ」
ライアンは腕を組んだまま、にたりと笑う。ゼノスは笑顔で応じた。
「そうか、ありがとう。頑張るよ」
「まじで激励した訳じゃねえよっ」
男子生徒がなぜか声を張り上げる。最後は端に座った女生徒だ。
「エレノア・フレイヤード」
「……」
返事がない。深紅の髪を肩口まで伸ばした少女で、夏だというのに長袖を着ている。こちらを見る目は冷ややかで、どこか敵意のようなものすら感じられた。とりあえず出席はしているので名簿に丸をつける。
なんとなく一筋縄ではいかなさそうなクラスというのはわかったが、学校を経験したことがないので、もしかしたらこれが普通なのかもしれない。学校とは生徒が先生を挑発し、互いがぶつかり合う中で成長を促す施設と考えればいいのだろうか。
孤児院では教官への反抗は一切許されなかったので、ひどく新鮮に感じる。
もし想像通りだとすれば、ここはなんという自由な場所なのだろう。
「ん……?」
出席簿を教卓の下に戻そうとした時、指先に鋭い痛みが走った。皮膚が小さく裂けて血が滲んでいる。中を覗くとむき出しのナイフが置いてあった。教室のあちこちからくすくすと笑い声が漏れる。
「ちょっと、どうした訳?」
窓際のシャルロッテが眉をひそめる。
「ああ、いや。中にナイフが置いてあるんだ。誰かの忘れ物か?」
「は? ナイフ? どういうこと? 忘れ物じゃないわよ、誰かがわざと仕込んだんじゃない」
立ち上がって教室を見回すシャルロッテに、ゼノスは涼しい顔で言った。
「誰かが仕込んだ? へぇ、やっぱり学校ってのは生徒が先生に挑む場所なんだな」
「いや、違うと思うけど!?」
「ははは、でも結構優しいんだな」
「は?」
「今まではいきなり斧で首を落とされそうになったり、魔法銃で撃たれたりが普通だったから、ナイフが置いてある程度なら可愛いもんだ。もう治したし」
「ど、どういうことよ……」
ゼノスは全く傷のない指を掲げる。にわかにざわめき始めた教室で、ゼノスは教卓に手をついて再び一同を見渡した。
「わかった。俺も教師という立場についた以上、ここのルールには従うぞ。挑戦は受けよう。全力でかかってこい。こっちも全力で返り討ちにしてやる」
「ちょ、ちょっと、さっきから何を言ってるのよっ」
教室のざわつきは更に大きくなる。そんな生徒達を眺め、ゼノスは言った。
「じゃあ、解散」
「って、だから、なんでそうなるのよっ」
シャルロッテの突っ込みとともに、朝のチャイムが学園に鳴り響いた。