第165話 学校案内
前回のあらすじ)七大貴族の娘シャルロッテが臨時教師のゼノスを迎えにきた。
いつまでも引率者がついて回るのも妙に思われそうなので、心配そうなベッカーに大丈夫だと告げて半ば強引に別れる。
ここまで来たら、もうじたばたしても仕方がない。
その後、ゼノスはシャルロッテについて校舎を歩くことになった。
きらきらした艶のある髪を揺らしたシャルロッテは得意げに言った。
「名誉ある学園の講師になれるなんて光栄でしょう」
「まあ、滅多にない機会だとは思ってるよ」
「ふふふ、私に死ぬほど感謝するがいいわ」
「……なんで?」
「はあ? だって私がお父様にお願いして――」
「そうなのか?」
すると、シャルロッテは少し慌てた様子で手を振った。
「ち、違うわっ。今のは間違い。別にもう一回会ってみたいとか、これっぽっちも思ってないから。勘違いしたら許さないわよ。私を誰だと思ってる訳?」
「お、おお……」
なんだかよくわからないが物凄い勢いで否定された。
シャルロッテはつんとした表情であさっての方角を向く。
「……しゅ、手術の件で、お父様があなたに慈悲を与えて下さったのよ。別にそんなのいらないって私は言ったんだけどね。仕方ないから渋々あなたが教師をするのを認めてやったのよ」
「なるほど……」
フェンネル卿との接点は愛娘の手術くらいだが、やはりそれが切っ掛けだったらしい。穏健派とは聞いているが、娘の手術に関わった一介の助手ごときをわざわざ取り立てようとは、フェンネル卿は相当義理堅い人物のようだ。
「この私が案内してやるんだから、泣いて喜ぶがいいわ」
「ああ、助かるよ」
笑いかけると、再び物凄い勢いでそっぽを向かれた。
予想通り、歓迎はされていないようだが、知った顔がいるのは幾らか心強い。
早足で歩くシャルロッテの後を追うような形で校内を巡る。シャンデリアが連なる晩餐会会場のような食堂、山のような蔵書を誇る図書館、広大な遊技場に歌劇場まで併設されている。
どこも眩暈がするほど豪華だ。ここは宮殿か?
貧民街に学校を作るため、教育の基本を学びにやってきた訳だが、レベルが違いすぎて早くも参考にならない気がしてきた。
「すごいな。広すぎて、一度迷ったら二度と出てこれなさそうだ」
「おおげさね。どこの学校もこんなものでしょ」
絶対違うと思うが。七大貴族の娘はさすがに言うことが違う。
実際、一緒に歩いているだけでも、すれ違う生徒達が「ご機嫌よう。シャルロッテ様」と声をかけてくる。貴族の子弟が通う学園においても七大貴族の娘は特別な地位にいるようだ。
そのまま廊下を進んでいたら、少しずつ辺りの雰囲気が変わってきた。天井や壁の装飾は心なしかぞんざいで、他の場所と比べるとどことなく薄暗く空気が淀んでいる気がする。
前を行くシャルロッテが廊下の先を指さす。
「この先が、あなたが担任を受け持つFクラスよ。今は私のクラスでもあるけど」
「Fクラス……」
事前にベッカーに聞いていた話では、レーデルシア学園では上級貴族はAクラス、中級貴族がBクラスとCクラス、下級貴族がDクラスとEクラスに分かれているらしい。Fクラスがあるという話は聞いていなかったし、ベッカー自身も知らなかったようだ。
「新設されたクラスと聞いたが」
「新しい学園長が今年作ったのよ」
「どんなクラスなんだ?」
シャルロッテの通うクラスというのだから、七大貴族レベルの子弟が集まっているのだろうか。そんな推測を口にすると、呆れた様子で溜め息をつかれた。
「何言ってるの? Eクラスの下なんだから、Fクラスは下級貴族に決まってるでしょう」
「ん? だけど――」
「私の所属は当然Aクラスよ。むしろこの私がAクラスでなくて、他の誰がAクラスになれるのか聞いてみたいものだわ」
「お、おぉ……」
この娘は言葉の端々に支配層としての自負が自然と漏れ出ている。
――子供と言えど相手は貴族です。くれぐれも対応には注意して下さい。
ベッカーの言葉がふいに脳裏をよぎった。
貴族の中でもトップ層に君臨する目の前の少女は、やれやれと肩をすくめる。
「あなた全然知らないのね。学園ではAクラスの生徒は模範として期間限定で他クラスに通うことになっているの。貴族の中の貴族である私達と同じ空気を吸わせてあげることで、中下級の貴族にも自然とエレガンスさを身につけてもらおうという訳」
「すごい自信だ……!」
「何か言った?」
「ああ、いや……それで今は一時的にFクラスにいるって訳か」
それにしても気位の高そうなシャルロッテが、期間限定とは言えどうしてこんな薄暗い場所にある教室を選んだのだろうか。
「頬のおできの件で一か月くらい無断欠席したから、Aクラスの連中に変に勘繰られるのが面倒なのよ。FクラスならAクラスと離れてるから滅多に会わないし、ほとぼりが冷めるまで距離を置きたいってだけの理由。べ、別にFクラスだったら臨時教員を雇いやすいとかそういう理由じゃないからっ」
「……」
最後は何を言っているかよくわからなかったが、要は奇面腫に罹患して治療をしていたことをクラスメイトに公にしたくないということらしい。
ふと窓の外に目をやると、緑の木々が整然と繁る裏庭が広がっていた。
そこに妙な光景がある。
点在する植え込みの一つで、一人の女子生徒が地面に這いつくばっているのだ。
「あれ何やってるんだ?」
奇妙な光景を指さすと、シャルロッテはそっちを見て窓を勢いよく開け放った。
「イリア、あなた何をしてるの」
「あ、はいっ」
イリアと呼ばれた少女は、慌てて立ち上がった。
焦げ茶色の髪をお下げにしており、貴族というより町娘のような素朴な外見をしている。
「あ、シャルロッテ様。ちょっと探し物を……」
「淑女がみっともない真似をしないの。教室に戻りなさい」
「あ、は、はいっ」
少女は恐縮した様子で、何度も頭を下げてその場を立ち去る。
「ええと……」
「Fクラスの娘。まったくあの問題児クラスは困ったものね。私と同じ空気を吸わせてあげてるのだから、もう少し素行を正して欲しいものね」
「問題児クラス?」
思わず口にすると、シャルロッテは当たり前という風に頷いた。
「ん? ああ、そうよ。FクラスはEクラスの下って言ったでしょ。下級貴族の中でもEクラスにすら入れない手に負えない厄介者の集まりなのよ。ま、私には関係ないけど」
歩き出したシャルロッテに、ゼノスはふと尋ねる。
「なあ、Fクラスって前の担任がいたんだよな。そいつはどうしてるんだ」
「辞めちゃったみたいよ。いつの間にか来なくなったって。みんな無責任よね。生徒が生徒なら教師も教師だわ」
「みんな?」
振り返ったシャルロッテは、長い睫毛をぱちくりと瞬かせて、こう続けた。
「そう。Fクラスの担任、あなたで五人目なのよ」