第164話 レーデルシア学園
前回のあらすじ)ゼノスはベッカーの誘いを受け、貴族の学園で臨時教師をすることになった
王立治療院から召集を受けた五日後。
ゼノスはベッカーとともに貴族特区に位置する国家の支配階級の子弟が通う学校――レーデルシア学園に来ていた。
「え、これ学校なのか?」
天を衝くような鉄柵が連なった門の奥には、さながら宮殿のように広大で豪奢な白亜の学び舎が横たわっている。
「代々の貴族が学んだ由緒ある学園ですからねぇ」
白い外套をまとったベッカーが、ゆっくりと頷いて先を促す。
「こんなところに通えたら、それだけで賢くなりそう」
その後ろでは耳当てをしたリリが、ぽかんと口を開けていた。
リリは今回も妹という設定で同行している。学園には教師のための寮があるらしく、任期中はそこに滞在する予定だった。
「くくく……今度は何が起こるのか楽しみじゃのう」
リリの持っている古めかしい杖がぶるぶると震える。
ゼノスはベッカーに気づかれないよう小声で杖に話しかけた。
「わかってると思うけど、大人しくしといてくれよ」
「勿論わかっておる。ちなみに学校と言えば夜の怪談が定番じゃが?」
「こいつ、わかってねぇぇ」
「ゼノス君、どうしました?」
「ああ、いや、何でもない」
ゼノスは杖から離れ、ベッカーの後に続いて学園内に足を踏み入れた。
「ゼ、ゼノスっ、なんかいい匂いがするよ」
「くっ、これが貴族の体臭か」
「ただの花壇からの香りだと思いますよ。相変わらず君たちは面白いですねぇ」
ベッカーは苦笑しながら、入り口脇の守衛室で手続きをした。
辺りには物々しい装備をまとった警備が多数おり、人の出入りに鋭く目を光らせている。近衛師団だろう。ざっと見渡したが、クリシュナの姿はないようだ。
近衛師団は王宮の守護、貴族特区の警備、市中の治安維持などの部隊に分かれているようで、貴族学校の警備はクリシュナの管轄外なのかもしれない。
まずは職員寮にリリを送り届けて校舎に入ったが、中も当然ながら豪華だった。
十人が横に並べるほどの広々とした廊下。壁には見るからに値の張りそうな絵が等間隔に幾つも掛かっている。毛並みの長い深紅の絨毯に足を取られそうになりながら向かった先には、応接室と書かれたドアがあった。
「さあ、最初の関門です」
学園の責任者との面談。
奥のソファでふんぞりかえっているのは禿頭の中年男だった。
「私は教頭のダンゲ・ビルセンだ。君がゼノ、という輩か」
男は腕を組み、やけに威圧的な態度で物を言う。
隣のベッカーが口を開いた。
「ビルセン教頭。学園長は?」
「急用で留守にしている。ここの対応は私に一任された。それとも私では不満かね」
「ああ、いえ」
こほん、と咳払いをしてベッカーは胸に手を当てる。
「私は王立治療院特級治癒師のエルナルド・ベッカーです。臨時教員のゼノ君をお連れしました」
「ああ、聞いてはいる」
教頭は忌々しげに言うと、机に置かれた書類をめくった。
「王立治療院、ゴルドラン教室の元研究生ね。失脚した男の下にいたというだけで怪しいのに、正式な職員でもないらしいじゃないか。ベッカー先生、特級治癒師に失礼かもしれんが、引率の君も逮捕されたという噂を耳にした。本当に大丈夫なのかね」
「あはは、私は一応無罪になりましたから」
「……ふん。それにしたって、その男はろくな実績もないんだろう。臨時教員とは言えフェンネル卿はなんだってこんな得体の知れない男を……」
「……」
どうやらあまり歓迎されてはいないようだ。ただ、今のやりとりで今回の件に七大の貴族の一角であるフェンネル卿が絡んでいることがわかった。
教頭は座ったまま、ゼノスを指さす。
「フェンネル卿には多額の寄付金を頂いているからな。学園長の一存で、次の担当者が見つかるまで期間限定で受け入れたんだ。だが、何か問題を起こしたらすぐにクビにしてやるからな。覚えておけ」
こういう対応に慣れているので、とりあえずそれらしい顔で頷いておく。
しかし、教頭の顔にはすぐに嗜虐的な笑みが浮かんだ。
「……ま、その前に自分から辞めさせてくれと言うだろうがな」
「教頭、それはどういうことですか?」
ベッカーが口を挟むと、教頭は鼻で笑って言った。
「ゼノ君。君には一年のFクラスの担任をしてもらおう」
「……担任? 治癒魔法学の教師と聞いていたが」
「人手不足でね。治癒魔法学も多少は教えてもらうが、正式な担任が決まるまではそっちを頼む。こちらだって無理な要求を受けているのだ。そのくらいのことは飲んでもらおう」
ベッカーが一歩前に出る。
「待って下さい、教頭。そもそも学園にはEクラスまでしかなかったと記憶しておりますが」
「最近になって新設されたクラスだよ。やりがいもひとしおだろう」
教頭はそれだけ言って、話は以上だ、と面談を打ち切った。威圧的な教頭が応接室を出て、ベッカーとゼノスが残される。この後はクラス委員が迎えに来ることになっているらしい。
「すみません、ゼノ君。なんだか妙なことになってしまって」
「まあ、俺は本場の学校教育に触れるのが目的だから、治癒魔法の講師でも担任でもどっちでもいいんだけど……」
ゼノスはそこで言葉を止めて、ベッカーに目を向けた。
「そもそも担任って何?」
「ですよねぇ……こういう展開は想定してなかったので、ちゃんと教えてませんでしたね」
召集があった時から今日まで、治癒魔法学の教師としての基本的な授業構成や講義内容の伝達をベッカーから受けていたが、担任の役割については未学習だ。
とりあえず担任とは勉強以外も含めてクラスメンバーの面倒を見る教師、という簡単な説明だけを聞いた。
「弱りましたね……もっと色々お伝えしたいところですが、私もさすがにそろそろ王立治療院に戻らなければなりませんし……」
「ま、いいや。なんとかなるだろ」
「いやいや……と言いたいところですが、あなたが口にすると本当になんとかなりそうな気がするから不思議ですね」
ベッカーは両手の指を絡ませて、空のソファを見つめた。
「なぜか、もう思い出せないはずの彼も同じような雰囲気を持っていたような気がします」
「師匠か……」
確かに師匠は結構適当な物言いをすることも多かったが、不思議とその言葉には安心感があった。
しばしの沈黙の後、ゼノスは言った。
「ベッカー、あんたには感謝してるよ。あんたから聞いた手記のこと、あれを探す過程で大事な仲間と過去に向き合うことができた。今回もここまで連れてきてもらったし、後はなんとかするから任せてくれ」
「ゼノス君。しかし――」
「ふん、やっと来たようね」
甲高い声とともに、応接室のドアが勢いよく開いた。
颯爽と現れたのは、明るい栗色の巻き毛に、少しつり上がった気の強そうな瞳をした美しい顔立ちの少女だ。
「……誰だっけ?」
「は、はあっ? この私を忘れたっていうの?」
「冗談だよ。急に入ってきたから一瞬戸惑ったけど、関わった患者はみんな覚えてる。傷はもういいみたいだな」
「え、ええ……」
少女は頬に手をやり、薄い唇を引き結んだ。
七大貴族、フェンネル卿の愛娘――シャルロッテ・フェンネル。
ゼノスがかつて奇面腫という腫瘍の手術を施した少女だった。