第163話 招集状【後】
前回のあらすじ)特級治癒師のベッカーが、貴族の子弟が通う学校の臨時教師の案件を持ってきた
「詳しい話? え、ええ。私は構いませんが……」
引き留められたことにベッカーはわずかに戸惑いを見せる。
一同はそのまま治療室の奥の食卓へと移動した。
「ゼノス君。君は当然断ると思ったのですが、どうしたんです?」
「まあ、ちょっと色々あってな」
「そうですか……簡単に言うと、貴族の子弟が通う学校に教師の欠員が出たので代わりが必要という話のようです」
「代わりの教師か……」
正面に座るベッカーの言葉に、ゼノスはじっと耳を傾ける。
貧民街に学校を作るため、教育の何たるかを知るという意味では、貴族が通う学園という案件は興味深い話ではあった。
だが、よくわからないこともある。
「それがどうして俺なんだ? 別に幾らでも代わりはいるだろ?」
「どうやら治癒魔法の使い手を探しているようなんです」
「治癒魔法? 貴族が治癒魔法を習うのか?」
素直な疑問を口にすると、ベッカーは顎をひと撫でして答えた。
「ゼノス君。そもそもこの国の教育制度については、どのくらいご存じですか?」
「自慢じゃないが、ほとんど知らん」
かつて師匠にちらっと聞いた気はするが、貧民の自分に関係がある話とは思えなかったので、あまり覚えていないというのが正直なところだ。
ベッカーは軽く頷いた後、一同を見渡して言った。
「まず市民以上の階級は、七歳から初等学校に通う資格を得られて、読み書きや計算、大陸の地理や歴史なんかを学びます」
早速、食卓に座る亜人達が口を挟んだ、
「へぇ、いいご身分だねぇ。あたしが七歳の頃はまだ街角の残飯を漁ってたけどねぇ」
「うん、食べ物が手に入りやすい場所の地理ならリンガも頭に入っていた」
「読み書きより、我らはまず生きて明日を迎えられるかが問題だったからな」
「いやはや、壮絶ですね……まあ、市民もお金の問題や、両親の意向もあって全員が通う訳ではないですが」
ベッカーはぽりぽりと頬をかいて話を続ける。
「初等学校が終わると、希望者は試験を受けて中等学校に行けるんですが、ここは職業適性を見る場に近いですかね」
「職業適性?」
ゼノスの言葉に、ベッカーは頷いた。
「ええ、魔力があれば魔導師に、手先が器用なら職人に、戦いが得意なら軍人に、といった風に色々体験してみて適性を判断される訳です。その後はそれぞれの専門教育コースに進むというのが定番ですね」
例えば治癒師になるなら、中等学校卒業後に王立治療院の支部である治癒師養成所に通うという形らしい。
「なるほどな。でも、その話と貴族が治癒魔法を学ぶ話とどう関係するんだ?」
「はい。実は今までのは市民の話であって、貴族は少し違うんです。市民の場合は中等学校で適性を判断され、それぞれの専門教育に進む訳ですが、貴族は国家の統治者としてそのまま総合教育を学ぶ高等学校へと進むのが一般的です」
総合教育なので、あらゆる分野を広く学ぶ必要があり、治癒魔法もその一分野ということのようだ。今回はその治癒魔法の教員を探しているのだとベッカーは言う。
ゼノスは首を傾げながら口を開いた、
「そこまではわかったけど、治癒魔法の使い手だって王立治療院には幾らでもいるだろ。それこそあんたでもいい訳だし。なんで俺なんだ?」
「私も詳しくは教えられていないのですが、どうも学園長からの指名らしいんですよね」
「ますますわからんな。貴族学校の学園長なんて会ったこともないぞ」
「ですから、私が思うに、更に上から学園長に依頼が来たのではないかと」
「更に上?」
ベッカーは内緒話をするように、体を少し前に倒した。
「一口に貴族と言っても、力関係は様々です。教員の採用にまで口を出せるとしたら、相当の寄付金を提供している上位貴族だと思われます。例えば七大貴族」
「七大貴族……」
貴族の中の最高権力。王族に次ぐ力を持つと言われる七つの貴族。
その中でゼノスが会ったことがあるのは――
「フェンネル卿……?」
ベッカーは何も答えず、ゼノスの目をじっと見つめた。
「ちなみに、期間は?」
「さすがに普通ではない採用なので、扱いは期末休みに入るまでの臨時教員です。二か月程度と聞いています」
「それくらいなら丁度いいな。治療院を長くは留守にできないし。休みの日はここに戻ってきてもいいんだよな?」
「ゼノス君……?」
怪訝な表情を浮かべるベッカーに、ゼノスは言った。
「やってみるよ。俺にできるかわからないけどな」
「……!」
ベッカーの糸目が大きく開かれる。ゾフィアが不安げにベッカーを指さした。
「先生、いいのかい? 貧民街の学校はこの男に手伝わせればいいんじゃないか? 一応教育のことはわかってるだろうし」
「だけど、毒殺未遂の件でただでさえ立場が危ういところに、貧民街に関わってるなんてことになったら下手すりゃ再逮捕になるぞ」
そうなれば、ベッカーの研究室に属しているウミン達にも影響は及ぶだろう。
それに本当に七大貴族が関わっているとしたら、下手に逃げ回るとむしろややこしい事態になりかねない。
ゼノスは机に手をついてゆっくりと立ち上がる。
「国家の最高峰の教育ってやつを直接体験できるいい機会だ。期間限定だしな」
ベッカーは少し驚いた様子で言った。
「いやはや、予想外の反応でした……君の身に何かあったんですか?」
ゼノスは自身がまとった黒衣の襟を軽く握る。
「地下でもう一度会ったんだよ。何の得もないのに、貧民街のガキに教育を施した最高にお節介な男にな」
「……そう、ですか。君は、彼と……」
ベッカーの細目がもう一度見開かれた。
師匠はかつてベッカーの友人だったと聞いた。蘇生魔法に手を出した代償として、師匠の名を知る者が徐々に師匠のことを忘れていく呪いを受けたが、親交が深かったベッカーは辛うじて師匠の面影を覚えており、手記を探すようにゼノスに助言した。
「……わかりました。君がその気なら全面的に協力しますよ」
ベッカーはうっすら微笑んで、ゼノスに呼応するように腰を上げる。
「教育のことはおいおいお伝えしますが、一つだけ覚えておいて下さい」
ふと真面目な顔つきになり、ベッカーは人差し指を立てた。
「子供と言えど相手は貴族です。くれぐれも対応には注意して下さい」