第162話 招集状【前】
前回のあらすじ)模擬授業で成果があげられなかった中、王立治療院の特級治癒師であるベッカーが現れた
「本物の教師が来たよ、ゼノス!」
「うんうん、紛れもない本物だねぇ」
「しかもリンガの記憶ではこいつは特級治癒師」
「キョウシ……ホンモノ……」
王立治療院の白衣をまとったベッカーに、リリと亜人達がわらわらと亡者のように群がる。
レーヴェに至っては興奮のせいか、なぜかカタコトになっている。
「あの、皆さん……?」
亡者達の発する圧に、ベッカーは両手を挙げて後ずさりする。
「ちょっと待ってくれ、みんな。本物の教師が困ってるだろ」
助け舟を出すと、リリと亜人達はその場でぴたりと足を止めた。
「キョウシ……コマル……」
「コマッテル」
「リンガ。ヨクナイ、オモウ」
「ワレ……ヤメル」
「なんで全員カタコトっ?」
その後、本物の教育者に飢えた面々はようやく正気を取り戻し、ベッカーを治療室に案内した。
「いやはや、間違えて魑魅魍魎の住まう魔窟にでも足を踏み入れたのかと思いました。熱烈な歓迎を頂いて恐縮です」
相変わらず何を考えているか読みにくい笑顔で、ベッカーは頭を下げた。
「しかし、あんたがここに来るなんて、どういう風の吹き回しだ?」
前回この男がやってきた時は、失踪した研究生を探すという目的で、半ば強引に王立治療院に招待された。食えない相手なので、ただ旧交を温めに来ただけではないだろう。
「まあ、ちょっと色々ありまして」
「と言うか、釈放されたんだな」
「ええ、先日ようやく。その節は本当にありがとうございました。ゼノス君とクリシュナさんのおかげです」
表情を少し緩めて、ベッカーは手荷物をゼノスに差し出した。
失踪者を探す過程で、この男は王立治療院で起きた前代未聞の大量毒殺未遂の犯人として、近衛師団に逮捕された。ただ、本物の毒を盛った者が別にいる可能性をゼノスが指摘、近衛師団副師団長のクリシュナが、釈放に向けて動いてくれたようだ。
もらった手荷物を開けると、高級フルーツがずらりと入っていた。
「で、要件は? ただ、礼品を持って来ただけじゃないんだろ」
「さすがに鋭いですね。とは言え、私としてはお礼を渡すためだけに来たかったんですがねぇ」
ベッカーはぽりぽりと額をかくと、今度は懐に手を入れた。中から一枚の手紙を取り出す。
「実は王立治療院からゼノス君に召集状が来ています。正確にはゼノ君にですが」
「……」
ゼノというのは、ゼノスが王立治療院に潜入していた時に使っていた偽名だ。
「なんで俺に? 当時の俺の身分はただの特別研修生だぞ」
特別研修生は、将来有望な者が推薦によって一定期間王立治療院の各部署を体験できる制度。
ゼノスは以前その制度を使って王立治療院に潜入したが、立場上はあくまで部外者だ。
「私も正確な経緯は把握していないんです。どうやら上の方で決まったみたいでして」
「あんた特級治癒師だろ。十分、上の方にいるんじゃないか」
「私の釈放前に決まったみたいなんです。それに私は毒殺未遂の件でやらかしてしまったので、当面は主要会議の場から外されるんですよ。あははぁ」
能天気な笑い声を遮るように、壁際のゾフィアが言った。
「気に入らないねぇ」
ゾフィアは腕を組んで、ベッカーを睨みつける。
「さっきは本物の教育者の出現につい取り乱したけど、今回も都合のいい時だけ先生を担ぎ上げようっていう訳かい?」
「お怒りはごもっともです。なので、私は今回の件は断ろうと思っています」
ベッカーがあっさり答えたので、ゾフィアは拍子抜けした様子で組んでいた腕を離した。
「なんだい。随分と簡単に引き下がるじゃないか」
「ゼノス君には前回色々と迷惑をかけてしまいましたし、借りもあります。王立治療院にはゼノという人物は外国に行っており、連絡がつかなかったとでも伝えておきますよ。わざわざ来たのは、私の代わりの誰かが探しに来る可能性もあるので、一応注意するように伝えるためです」
「ふーん……俺を連れて行かなかったら、あんたの立場は更にまずくなるんじゃないか?」
「お気遣い感謝しますが、自分で蒔いた種なので仕方ありませんねぇ。では、そろそろおいとまするとしましょうか」
立ち上がったベッカーに、ゼノスは尋ねる。
「一応聞くけど、王立治療院は俺を召集して何をさせる気なんだ?」
「ああ……それが少し変わった依頼なんですが――」
ベッカーは握った召集状をおもむろに開いて、ゼノスに向けた。
「貴族の子弟が通う学校の臨時教員だそうです」
「……教員?」
意外な内容に、一同の目が紙面に釘付けになる。
「学校……って書いてあるよ、ゼノス!」
「うん、確かにそう言ったねぇ」
「リンガも聞いた。しかも貴族の学校!」
「我が思うに、この国で最高の教育を受けられる場所の一つじゃないか?」
「あの……どうしたんですか、皆さん?」
学校という単語に異様に反応する女子達を、ベッカーは不思議そうに見渡す。
「ひとまずこの件は上手いこと断っておきますので、私はそろそろ――」
「ちょっと待ったぁっ」
玄関ドアに向かおうとしたベッカーをゼノスは呼び止めた。
貧民街に学校を作ろうという企画は、模擬授業の段階で既に頓挫しかかっている。なぜなら、誰もちゃんとした学校に通ったことがないからだ。
振り向いたベッカーに、ゼノスは言った。
「もう少し、詳しく聞かせてくれ」