第161話 模擬授業【後】
前回のあらすじ)亜人達の模擬授業は物騒だった。次はいよいよ浮遊体が教壇に立つことに。
「くくく……では、大陸一の知恵者と呼ばれたわらわの授業始めようぞ」
教壇に降り立ったカーミラは不敵に微笑んだ。
「大陸一の知恵者……本当か?」
「嘘じゃ」
「嘘かよ!」
いつものやり取りの後、リリが相変わらず勢いよく右手を挙げた。
「お願いします、カーミラ先生っ」
「くくく、良い返事じゃ。こんな貴重な授業を受けられるとは、そちはなんたる果報者。千載一遇の機会を得られたことの有難みを噛み締めながら、歓喜の脳汁を垂れ流し、感激に打ち震えるがよい。しからば――」
「とりあえず早く始めてくれない?」
前置きが長いので思わず突っ込むと、カーミラはわずかに眉根を寄せる。
「そう急くな、ゼノス。では、とくと聞くがよい。わらわの授業は――」
思わせぶりに言葉を止め、こう続けた。
「魔族の倒し方じゃ!」
「……」
室内を沈黙が支配する中、カーミラは高らかに笑った。
「ふはは、これはすごい授業ぞ。なんせ魔王が率いた魔族は、三百年の人魔戦争で滅んだとされておる。現世においては、もはやおとぎ話。伝承と逸話が残るのみの神話の時代。三百年生きたわらわだからこそできる秘伝の授業じゃあっ」
「……あのさ、それって何の役に立つんだい?」
「は?」
ゾフィアの冷静な一言に、カーミラは目を丸くする。
「何を言っておる。これほど貴重な話があろうか」
「いや、だって、もう魔族は滅びたんだろ?」
「え?」
「この世にいない奴の倒し方を学んでも仕方ないとリンガは思う」
「なんじゃと?」
「うむ、まだ熊のほうが出会う確率が高いぞ」
「……」
亜人達に次々と指摘され、カーミラは次第に無表情になる。
しばらく黙った後、ぼそぼそと言い訳がましく別の話を口にした。
「……というのは嘘じゃ。本当の授業は三百年に流行った惚れ薬の作り方じゃ」
「先生、その授業がいいですぅっ!」
リリがめちゃくちゃ勢いよく右手を挙げた。
見ると、三人の亜人達も真っ直ぐに右手を天に伸ばしていた。
カーミラは少し機嫌を直したように含み笑いを再開する。
「くくく……浅はかな女共め。いいじゃろう。この薬は効果がありすぎて、出回った町では出生率が五倍になったという情報もあるくらいじゃ」
前のめりになる女達に、カーミラは人差し指を立てて告げる。
「惚れ薬で最も大事な材料は、モディスキュラの花弁じゃ。新月の夜にのみ咲く花で、異性の脳に作用し、判断をくるわせ、虜にさせる作用がある」
「先生、それはどこにあるんですかっ」
「次の新月はいつだいっ!」
「リンガは全ての部下を動員してその花を独占するっ」
「ならぬ。手に入れるのは我だっ!」
牽制し合う女達を睥睨し、カーミラは得意げに言い放った。
「くはは、甘いわっ。貴様らのような邪な考えを持つ愚か者が多すぎたせいで、発見されるや否やあっという間に乱獲されてすぐに根絶やしになってしもうたわぁぁっ」
「……」
凍えるほどの沈黙が室内に満ち満ちた。
絶対零度の視線を女達から浴びたカーミラは「……あれ?」という顔をした後、おもむろに眼鏡を教壇に置き、そのまますぅと薄くなって消えていった。
逃げた。
「カーミラ、ちょっとあんたっ」
「期待させて落とす力だけはすごかったとリンガは思う」
「我らは一体何を聞かされたのだ?」
「リリは楽しかったけど、惚れ薬は欲しかった……!」
わめく女子達を眺めながら、ゼノスは人に物を教えることの難しさを実感するのだった。
と言うか、そもそもカーミラはなんで魔族の倒し方を知っているのだろう。三百年前に生きていれば誰でも知っている知識だったのだろうか。それとも当時は特別な立場にいたのか。同居して数か月になるが、いまだにあのアンデッドのことはさっぱりわからない。
「ねぇ、先生」
ようやく落ち着いた様子のゾフィアが、ソファに腰を落ち着けて言った。
「やっぱり、ちゃんとした教育の経験がある奴が一人は必要なんじゃないかねぇ」
「まあ、そうだよなぁ」
腕を組んで頷くと、リンガとレーヴェも同意を示す。
「自分で言うのもなんだけど、リンガ達はろくに教育を受けていない。ろくな教育を受けてないリンガ達が無理やり教育をやってもろくなものにならない気がした」
「……うむ。思いつきの授業では限界があると我も思ったな」
「勿論、それができれば一番いいんだが――」
ゼノスは視線を虚空に向けて、これまで関わった者達を思い浮かべる。
その中で、正規の教育に、できれば教育者の立場で関わった者がいるだろうか。
師匠はもういない。
一時期、仕事で研究室に属していた王立治療院のゴルドラン元教授は失脚したと聞く。
他に浮かんだ教育者がもう一人いるが、果たして――
その時、治療院のドアが控えめにノックされ、ゆっくりと開かれた。
「どうも、ご無沙汰しています。ゼノス君」
「いたーっ!」
顔を出した人物の元に、リリと亜人達が殺到する。
「え、なんですっ?」
唐突な歓迎に、その人物は糸のような細目をわずかに見開いた。
「なんで、あんたがここに……?」
声に驚きを滲ませながら、ゼノスは来訪者に向かい合う。
現れたのはまさにゼノスが思い浮かべていた男――王立治療院が誇る特級治癒師の一人。
かつてゼノスを王立治療院へと誘った人物。
エルナルド・ベッカーだった。