第159話 模擬授業【前】
前回のあらすじ)貧民街に学校を作るというゼノスの案に従い、皆で模擬授業をしてみることになった
あっという間に二週間が経過し、模擬授業の日がやってきた。
外では相変わらずの蝉がうるさく鳴いているが、治療院の空気は程よく張りつめている。
「リリ、なんだかドキドキする……」
闇市で手に入れた黒板を前に、生徒役のリリがちょこんと座っている。
「そろそろ時間じゃな」
カーミラのつぶやきとほぼ同時に、治療院のドアが勢いよく開いた。
「やってきたよ、先生。いや、今日はむしろあたしが先生だね」
眼鏡をかけたゾフィアが意気揚々と入ってくる。
「リンガのことは、これからリンガ先生と呼ぶがいい!」
眼鏡をわざとらしく持ち上げるリンガが後に続いた。
「ふはは、我こそは教官なりぃぃ!」
レーヴェの顔にも眼鏡がきらりと光っている。
「って言うか、なんで全員眼鏡?」
思わず突っ込むと、三人の亜人は気まずそうに顔を見合わせた。
「いや……やっぱり眼鏡ってなんだか賢そうじゃないか」
「リンガはとってもいいアイデアだと思った」
「だが、まさか三人とも同じことを考えていたとは……」
「くくく……全員同レベル」
カーミラがぼそりと呟き、大仰に肩をすくめる。
「こんなことでは、先が思いやられるのぅ」
「馬鹿言っちゃいけないよ、カーミラ。評価を下すのは、あたしの授業を見てからにしな」
まずはゾフィアが教師役を務めるようだ。
黒板の前に颯爽と立つ姿は、それなりに様になっており、さすが多くの部下を従えているだけのことはある。ゾフィアは眼鏡の端をくいと人差し指で持ち上げた。
「それじゃあ、早速始めるよ。準備はいいかい?」
「はい、ゾフィア先生!」
生徒役のリリが右手を挙げた。
「どれ、俺も見学させてもらうか」
ゼノスはリリから少し離れた場所に立って腕を組んだ。隣にカーミラがふよふよとやってくる。
「くくく……どうなるかのぅ」
最高位のアンデッドはやけに楽しそうだ。
何はともあれ貧民街に学校を作るという計画の第一歩が始まろうとしていた。
軽い緊張を覚えながら見守っていると、ゾフィアはごほんと咳払いをした。
「さて、私の授業は――」
生徒役のリリがごくりと喉を鳴らす音が聞こえる中、教師はこう続けた。
「盗賊の極意」
「おい……」
なんだかいきなり雲行きが怪しい。
ゾフィアは鋭い目つきで、リリを指さした。
「そこの生徒、盗賊をやるに当たって重要なことは?」
「わ……わかりません」
「あら、いけないねぇ。でも、今日は初日だからオマケして三択にしてあげよう。一、素早い身のこなし。二、咄嗟の機転。三、度胸。どれだい?」
「え、えっと、えっと……一、ですか?」
「不正解」
「じゃ、じゃあ、二?」
「不正解」
「さ、三」
「不正解」
「え、ええっ」
茫然とするリリの前で、教師ゾフィアは言った。
「三つの中に正解はない。真の正解は事前準備さ」
「事前準備……」
「そう。標的の屋敷はどういう構造をしているか。お宝はどこに隠してあるのか。人員配置はいつどのようになされているか。警備の装備は何か。意思決定者は誰か。逃げ道のルートはどう確保するのか。失敗した場合のプランはどうするか。入念な調査と計画立案こそが肝なのさ。素早さや機転や度胸ってのはあくまでその次に過ぎない」
ゾフィアはもう一度眼鏡を持ち上げ、厳かに言った。
「覚えておきな。盗賊は事前準備が九割」
「盗賊は……事前準備が九割」
「もう一回。盗賊は事前準備が九割っ!」
「盗賊は事前準備が九割っ!」
「いや、あの、お前達ね」
ゼノスが腕を伸ばしかけた瞬間、リリが少し不満げに声を上げた。
「で、でも、先生。今のは選択肢になかったです……」
するとゾフィアは、突然リリの頭をがしりと掴んだ。
「いいところに気づいたね、生徒」
「え、そ、そうですか?」
「なぜ選択肢に答えがなかったか、わかるかい?」
「わ、わかりませんっ」
「普通は選択肢に答えがある。常識ではそうだ。だけど、この常識って奴を疑うのが重要なんだ」
「常識を、疑う……?」
「ああ。こんなところからまさか侵入して来ないだろう。こんな方法は取らないだろう。そんな常識を逆手に取ることで相手の死角を突くことができる。あたしはそれを教えたかったのさ」
「な、なるほど……!」
リリはペンでメモを取り出す。
しゃっしゃっとペン先が紙を滑る様子を満足げに眺め、ゾフィアは言った。
「盗賊の真の極意。常識を疑え」
「常識を疑え」
「もう一回。常識を疑えっ!」
「常識を疑えっ!」
「もう一回ぃぃ。常識を疑えぇっ!」
「常識を疑えぇぇぇっ!」
「いや、だから、ちょっと待とうかゾフィア、リリ」
「ひーひひひっ、やっぱり面白いのぅ」
カーミラが大笑いする隣で、ゼノスは堪らず授業に割って入った。
「なんだい、先生。授業中だよ」
「いや、盛り上がってるのはわかるし、ところどころいいことを言ってる気はするんだが、そもそも題材が気になるんだが――」
「……っ」
懸念を伝えると、ゾフィアは茫然として目を見開いた。
盗賊の極意というのは、義賊をやっているゾフィアからすれば自然な題材だとは思うが、子供達に率先して教える内容としてはいかがなものか。学校というよりむしろ盗賊養成所になってしまうし、事実リリは盗賊に片足を突っ込みかけていた気がする。
「た、確かに……そもそも盗賊なんてしなくても生きていけるように学校を作るんだよね。私としたことが……ごめんよ、リリに先生」
がっくりと肩を落とすゾフィア。
「う、ううん。リリ思わず乗せられちゃった……」
「真剣に取り組んでくれて感謝してるよ、ゾフィア。まだ誰にも正解はわからないし、懲りずに色々試してみよう」
そう告げると、ゾフィアは少し元気を取り戻した様子だった。
内容はともかく、授業の熱量と生徒役を巻き込む力に、大勢の部下を束ねる頭領としての器を見た思いだ。
続いて黒板の前にずいと躍り出たのはワーウルフのボスだ。
「ふはは、次はリンガの番。後ろに下がっているがいい、ゾフィア。リンガが真の授業を見せてやろう!」
得意満面のリンガを眺め、ゼノスはぽつりと言った。
「なあ、なんとなく嫌な予感しないか?」
「ひひひ……するのう」
カーミラがわくわくしながら腕を組み、第二の授業の幕が上がる。