第157話 ゼノスの提案【前】
前回のあらすじ)七大貴族フェンネル卿の愛娘、シャルロッテは学園の教師として治癒魔法が得意な人を探しているようで…?
入道雲。蝉の声。
厳格な身分制に支配されるこの国においても、真夏の太陽だけは明るい陽射しをあまねく階層に平等に降り注ぐ。それは貧民ゆえに正規のライセンスをもたない天才治癒師が廃墟街にひっそりと開いた治療院においても同様であった。
窓から斜めに射す陽光を浴び、額にうっすらと汗を滲ませたゼノスの前には、亜人の子供がちょこんと座っている。
「んー……」
ゼノスは小さく唸りながら、子供の右膝を丹念に触った。
「あの、先生。どう?」
「これ……ひびが入ってるな」
「ええっ」
子供は泣きそうな表情を浮かべる。
「先生、治る?」
「まあ、治るには治るが……」
ゼノスは頷いて、子供の膝に右手を添えた。
「《治癒》!」
詠唱とともに、かざした手の平から白色光が溢れる。治癒の光が骨の亀裂部を優しく包み込み、みるみるうちに修復していく。
「あ、痛くない。すごい、先生、ありがとう!」
診察室の椅子から勢いよく下りると、子供は嬉しそうにその場で跳ねた。基本的に子供からは料金は取らないようにしているが、少年はお礼と言って珍しい木の実を幾つか渡してくる。
「へぇ、アビアの実か。珍味だな。有難く頂いておくよ」
「えへへ、じゃあね」
「あ、ちょっと待ってくれ」
帰ろうとした亜人の子供を、ゼノスは呼び止める。子供は不思議そうに振り向いた。
「なに?」
「いや、つい最近も同じようなところを怪我したばかりだよな」
「あ、うん」
子供はばつが悪そうに頷く。
「でも、仕方ないんだ。まだ仕事に慣れないし」
少年は木の伐採や運搬の仕事をしていると聞いた。仕事場は貧民街の背後に広がる森で、魔獣が出ることもある危険な地域だ。
「あまり無理はするなよ。まだ骨も筋肉も関節も弱いんだ。大人と同じように動ける訳じゃない」
「そうだけど、妹の分も稼がないと……」
「まあ、なぁ」
ゼノスはぼりぼりと頭を掻く。
「とりあえず怪我は治してやる。ただ、死んだらどうしようもないからな。それは忘れるな」
「うん、わかった」
子供は手を振って、元気よく出て行った。
本当にわかったのだろうか。溜め息をついて閉じたドアを眺めていると、横から氷入りのグラスが差し出された。
「ゼノス、お疲れ様」
治療院のナース兼受付嬢であるエルフのリリだ。
礼を言って冷えた紅茶を喉に流し込むと、爽やかな刺激が体中に広がった。
「いやぁ、リリの入れる紅茶はいつも沁みるねぇ」
「茶葉を変えたのは正解だとリンガは思う」
「うむ、冷たい紅茶にはこっちのほうが合うな」
「くくく……なんちゃって紅茶ソムリエ達」
奥の食卓にはいつものように貧民街の亜人勢力を率いるリザードマンのゾフィア、ワーウルフのリンガ、オークのレーヴェが陣取っている。更に最奥に座るのは黒衣をまとったレイスのカーミラだ。
グラスを片手に食卓の端に座ると、カーミラが声をかけてきた。
「どうしたのじゃ、ゼノス。浮かない顔をして。外はこんなにいい天気じゃというのに、もっと気分あげあげでいこうではないか」
「いや、逆に好天を喜ぶレイスもどうかと思うぞ」
太陽はアンデッドの天敵のはずだが、カーミラは不敵に笑う。
「くくく……ここ最近、生者の貴様らとつるんでおるからの。なんだかわらわも直接太陽を浴びても大丈夫な気がしてきたぞ」
カーミラは強気で言って、ふわふわと玄関に移動した。
そして、勢いよくドアを開け、陽光の下で仁王立ちになる。
「ふはは! 見よ、わらわは遂に太陽を克服した!」
力強く声を上げている割に、足元から猛烈な勢いで煙が上がっている。
「ありゃ……? 溶けておる」
「わ、わああああっ。カーミラさんっ」
リリが慌てて走って行って、ドアをばたんと閉めた。リリははぁはぁと肩で息をする。
「だ、駄目だよっ、カーミラさんっ。浄化されちゃうよ」
「むむ……忌々しい太陽め」
カーミラはあっさりとさっきの意見を翻すと、再び食卓に戻って来た。
「で、どうして浮かない顔をしておるんじゃ、ゼノス」
「さらっと今のくだりなかったことにしようとした? ていうかまじで危ないからその芸やめろ」
ゼノスはレイスを指さして忠告し、リリにもう一杯紅茶のおかわりをもらう。
「別にへこんでた訳じゃないさ。ただ、ああいう子供が多いなぁと思ってな」
「ああ、さっきの亜人の子か」
貧民街では子供の身で過酷な肉体労働に従事する者も少なくない。
腕を組むカーミラの横で、ゾフィアが口を開いた、
「まあね。あたし達はなんとか稼いじゃいるけど、貧民街の住人のほとんどは明日の生活がやっとだからね」
ゾフィア、リンガ、レーヴェが率いる三大亜人グループはそれぞれの生業を持ってどうにかやれている様子だが、貧民街の住人はいまだその多くが食うや食わずの生活をしているのも確かだ。時間が取れる時はリリ達と炊き出しもするようにしているが、何万人もいるとされる貧民街の住民全員を賄えるほどではない。
「貧民には何の手当も補償もないし、まともな職にもつけない。ある程度リスクのある商売に手を出すのも仕方がないとリンガは思う」
「うむ、ここはそういう国だ。今に始まったことではない」
「それはそうだが……」
亜人達の言葉に、ゼノスはゆっくりと頷く。
これまでは目立たないようひっそりと、必要な対価をもらいながら、自分のできることをやればいいと思っていた。勿論、今だってそう考えているが、先月同じ師匠の元で共に治癒魔法に励んだヴェリトラと対峙し、地の底で師匠の幻影と邂逅した。
それ以来、師匠のことを以前よりもよく思い出すようになった。
「治癒師は怪我を治して三流、人を癒して二流、世を正して一流、か……」
師匠の口癖の一つだ。
ゼノスは、グラスに入った紅茶をぼんやりと見つめる。
「実は……少し前から考えていることがあってな」
軽く咳払いをすると、ゼノスは一同を見渡し、こう続けた。
「貧民街に学校を作るってのは、どうかな?」