第156話 少女の企み
闇ヒーラー5章をぼちぼち始めます。
ハーゼス王国。
大陸の強国として長くその威光を周辺国に放ち続けるこの国は、厳格な身分制に支えられた国家である。興国の祖の末裔である王族を頂点に、建国の立役者達の子孫である貴族。その下に国民の大部分を占める市民が位置し、最下層には忘れられた民と呼ばれる貧民がいる。
王都では、王族の住む宮殿を囲むように貴族達の居住区である特区が広がり、中でも最も王宮に近い位置には貴族の中でも最上位とされる七大貴族の邸宅がある。
その一画、広大な緑の庭園を望むバルコニーに、一人の少女がいた。
明るい栗色の巻き毛をしたその少女は、気の強そうな少し吊り上がった瞳を空に向け、無言で佇んでいる。
ひげを蓄えた紳士が、バルコニーのドアを開け、少女に近づいた。
「そろそろ学校の時間じゃないかい。シャルロッテ」
「パパ……」
少女はゆっくりと振り返る。
二人は七大貴族の一角フェンネル卿と、その愛娘シャルロッテである。
父のフェンネル卿は娘を気遣うように言った。
「車両の用意はできているよ。準備はいいかい?」
魔導車両は魔石で走る車で、一般市民が何度生まれ変わっても買うことはできないほど高価なものだ。しかし、シャルロッテはゆるゆると首を横に振った。
「今日は馬車で行くわ」
「馬車? あれは遅いし、腰も痛くなるだろう」
「いいの。魔導車両だとあっという間に着いてしまって、物思いにふける時間もないんだもの」
「そうか。それなら馬車を手配させよう」
フェンネル卿はそう言った後、心配そうに娘の顔を見つめた。
「シャルロッテ。何か悩み事でもあるのかい」
「え、どうして?」
「最近ぼんやりしているというか、うわの空のことが多いだろう」
「そうかしら」
「あの手術の後から、少し様子が変わった気がするんだが――」
「……」
シャルロッテは無言で、右手を頬に当てた。
春頃に頬に小さな吹き出物ができた。そのうち治るだろうと思っていたが、父が当時懇意にしていた王立治療院の元教授から、それが奇面腫という腫瘍で、いずれ醜い老婆の顔のように成長すると聞かされ、ひどく動揺した。
その元教授が、二人の助手を伴って手術にやってきたが、顔に刃物を入れるなど許容できるはずもなかった。視界が真っ暗になるほどの絶望に襲われたが、結局、元教授が連れて来た助手の一人に促されるような形で、手術は行われた。
「シャルロッテ。まさか手術の後遺症が……」
「そんなのないわよ。ほら、どこから見ても綺麗でしょう」
シャルロッテは不安げな父を前に、頬を撫でてみせた。
後で聞いたら随分と難しい手術だったらしいが、もう痕跡すら残っていない。術者はかなりの腕前だったようだ。薬で眠っていたので術中のことは覚えていないが、朦朧とした中でかけられた言葉がなぜか今でも耳の奥に残っている。
――よくがんばったな。手術は無事に終わったぞ。
どこか温かく、優しく響いたその声は、元教授のものではなかった。
黒髪に黒い瞳。そして、黒いマスクをつけた助手の一人。
確か【ゼノ】という名前の男。
元教授はよく父の元を訪れていたため、いずれ助手にも会う機会があると思っていた。ただ、詳しいことは知らないが、その後元教授の大きなスキャンダルが明らかになったらしく、そのまま失脚。結局、助手の男との再会も叶っていない。
「ほら、またぼうっとしているよ。シャルロッテ」
「え? そんなことないわよ、パパ」
シャルロッテは明るく顔を上げたが、父のフェンネル卿はますます心配そうな表情を浮かべた。
「手術が関係ないとすると……もしかして学校のことで悩んでいるんじゃないかい?」
「そういう訳じゃないわよ」
「本当かい?」
「本当よ」
言葉に力を込めるが、父はあくまで不安そうだ。
「先日、学園長に聞いたが、また担任が辞めたそうじゃないか」
「ああ、そうね。別に私は何もしてないわよ。あれはあいつらが……」
「あいつら?」
シャルロッテは一瞬口を閉じ、すぐに肩をすくめた。
「まあ、パパは気にしなくていいの。私はうまくやってるから」
父は短く溜め息をつき、首を緩慢に横に振る。
「やはりシャルロッテにあのクラスは相応しくない。私が学園長に掛け合ってクラスを変えてもらうよ」
「いいのよ。どうせいつまでもあそこにいる訳じゃないし」
「それはそうだが」
「もう私、行くから」
「シャルロッテ」
父の声を振り切って、シャルロッテはバルコニーを後にする。
が、その瞬間、一つの閃きが脳裏に浮かび、シャルロッテは立ち止まった。
ゆっくりと後ろを振り返り、困り顔の父に甘えた声色で話しかける。
「ねえ、パパ」
「なんだい?」
「そういえば、前の私の誕生日、ファイアフォックスのマフラーが欲しいって言ってたけど、くれなかったわよね」
「す、すまない。あれは任せたパーティがよくなかった。次のシーズンには必ず用意するよ」
「ううん、それはもういいの。その代わり一つお願いがあるんだけど」
「お、おお。なんでも言いなさい」
何度も頷く父に、シャルロッテは続きを告げる。
「学校なんだけど、担任が辞めちゃったから、代わりの教師が必要だと思うの」
「それはそうだろう。学園長も急いで探すと言っていたよ」
「それでね。私、最近興味のある分野があって」
「ほう、初耳だね。それは一体何だい?」
過保護な父に気づかれないよう小さく喉を鳴らし、シャルロッテは言った。
「治癒魔法。治癒魔法が得意な人がいいな」