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第152話 地底の邂逅【中】

前回のあらすじ)力尽きたヴェリトラは部下のエルゲンの凶刃に倒れた

 温かい。


 それがゼノスの魔力に包まれた時の印象だった。


 まるで羽毛に包まれているような、母親の腕に抱かれた赤ん坊のような、そんな心地。

 冷たい痛みが温もりに変わり、すぐそばに立っていた死神が名残惜しそうに遠ざかって行く。


「ああ――」 


 ヴェリトラは呻いた。


 魔力をほとんど使い果たしたことで、手足の脱力がひどく、満足に起き上がることもできない。

 それでも、否応なくわかってしまった。


 この魔力に包まれたのは、初めてだということに。


「そうか……そうだった、のか」

「やっと気づいたか」


 ゼノスは右手を前に掲げたまま、疲れた顔で言った。


 子供の頃に、孤児院の金を盗み、結果背中を刺されて死を覚悟した。

 しかし、ヴェリトラは一命を取り留めた。


 目を覚ました時には、そばにはゼノスがへたりこんでいて、師匠が倒れていた。

 追ってきた師匠も刺され、ゼノスが二人を治療した。

 しかし、ヴェリトラは助かったが、師匠は助からなかった。


 ずっとそう思っていた。


 ヴェリトラはごろんと仰向けになり、呻くように呟いた。


「あれは……あの時、私を助けた魔法は、お前のものじゃなかった」


 目尻が熱くなり、涙が滲む。


「あれは……師匠だったんだ」

「ああ、俺のこともな」


 ゼノスの治癒魔法が身体の深いところを巡り、二人の記憶がシンクロしていく――


  +++

 

 あの日、あの時、あの場所で。


「ヴェリトラっ!」


 麻袋を抱えて突然師匠の家を飛び出したヴェリトラを、ゼノスは反射的に追った。 


「待て。俺が行く。お前はここにいろ」


 師匠が後ろから、走ってくる。


 だが、ゼノスは止まらなかった。ヴェリトラの様子は只事ではなかった。金庫泥棒と疑われて大人達に殴られた傷が痛むが、それを治すのも忘れてゼノスは親友の後を追った。日頃から肉体労働をさせられているため師匠よりは足が速い自信がある。


「あっ」


 幾つか角を曲がった先に、ヴェリトラの姿があった。

 うつ伏せに倒れており、周りでガラの悪い男達が争っている。

 ヴェリトラの背中は赤く染まっていた。


 血が沸騰するような怒りと焦燥を覚え、ゼノスは叫んだ。


「何やってるんだ!」

「ちっ、ずらかるぞ」


 男達が散り散りにばらけていく。

 何が起きたのかわからないが、今は相手を追っている場合ではない。


「ヴェリトラ、大丈夫かっ!」 


 倒れ伏した親友の脇に、ゼノスは膝をついた。

 背中を刺されている。

 反応はない。目は虚ろで、息が細い。


 咄嗟に治癒魔法を唱えようとしたが、すぐそばにヴェリトラが持っていた麻袋が落ちていることに気がついた。反射的に手を伸ばした時、背中に激痛が走った。


「おい、それも渡せ」


 後ろから野太い男の声がして、荒々しくひったくられる。 


「がっ……」


 ――しまった。


 背後から刺された。


 傷を負ったヴェリトラに意識をとられて、まだゴロツキが残っていたことに気づかなかった。


 治癒魔法の詠唱を試みるが、痛みと呼吸困難で集中が乱れ、魔力を練ることができない。まずいと直感するが、身体の力は抜けていくばかり。ゼノスは背中に手を当てたまま、ヴェリトラの隣に倒れこんだ。視界がぼんやりしてきて、真横にいるヴェリトラの顔もよくわからない。


 終わる時はこんなにあっさり終わるのだと、どこか他人事のように感じながら瞼が降りてくる。 


 その時――


「ヴェリトラ、ゼノスっ!」


 知った声が、今にも閉じようとする意識を押しとどめた。


「おっ、さん……」


 声の刺激で少しだけ輪郭がはっきりした世界。

 黒い外套をまとった男が、猛然と駆けてくる。


「なんてこった。刺されたのか」


 師匠は額に汗を浮かべて、驚いた様子で言った。

 答えようと思ったが、言葉は言葉にならず、ただ生温い血がごぼごぼとあふれる。


「まだ二人とも息があるな。よかった」


 よかった? 何がよかったのだろう、と薄れかけた意識で思う。

 今にも命の火は消えそうだと言うのに。


「待ってろよ。必ず助ける」


 ゼノスの疑問をよそに、師匠は両手をそれぞれ二人の傷に優しく当てた。

 まるでこれから魔法を使おうとでもせんばかりに。


 だが、ゼノスは知っている。


 この男は魔法陣を趣味にしている自称治癒師で、この一年間で一度も治癒魔法を見せてくれたことがないことを。


 なのに――


「《高度治癒ハイ・ヒール》!」


 滑らかな詠唱の言葉とともに、背中に当てられた手の平から、魔力の波動が流れ込んできた。


 ――え?


 清流のような爽やかな奔流が身中を駆け巡り、身も心も洗い流されていく感覚。 


 痛みが急速に遠のき、視界が次第に焦点を結び始める。


 ゼノスは右手をゆっくり動かし、目の前に掲げてみた。


 動く。

 見える。

 生きている。


「よかった。なんとか間に合ったな」

「おっさん、あんた……」


 ゼノスは何度も指を閉じたり開いたりしてみた。


 瀕死のはずだったのに、確かに生きている。

 その手を地面について、なんとか身体を起こした。

 隣のヴェリトラはまだ目を閉じたままだが、消えかけていた呼吸は規則正しいものに変わっている。 


 安堵の息を吐く師匠に、ゼノスは思わずつかみかかった。


「治癒魔法、使えるのかっ」


 なんせほんの一瞬で致命傷が消え失せたのだ。これが治癒魔法でなくてなんだと言うのだろう。


 師匠は当たり前、という風に頷いた。


「だから、前から治癒師だって言ってただろ」

「なんだよ、それっ。それならどうしてもっと早く――」

「なぁ、ゼノス」


 ふと真面目な声で、師匠は言った。


「お前だから頼むんだが、日頃から言ってるように俺が死んだら確実に燃やしておいてくれ。よからぬものの温床になる可能性がある」

「は?」


 唐突な頼みごとに、ゼノスは眉をひそめる。


「あとは……ええと、ヴェリトラと仲良くな」

「いや、だから何をっ」

「いかんな。いざとなると陳腐な言葉しかでてこない。一応仕込みをしといてよかった」

「仕込み……? おっさん……?」


 ゼノスは反射的に師匠の襟首から手を離した。


 師匠の口の端から赤い血が垂れている。


 それを右手で拭って師匠は言った。


「俺はな、ゼノス。本当はお前達の師になれるような人間じゃないんだ」

「なにを……」

「覚えておけ、大きな力ってのは大きな代償を伴う。俺はここに来る前、大きな罪を犯した。これからその代償を支払わなければならない」

「は? なんだよ、それ、おいっ!」


 不吉な予感に、心臓が早鐘を打つ。

 しかし、師匠のほうは落ち着いた様子で、とびきりの笑顔で言った。


「でも、後悔はないさ。今回は救えたんだ」


 そして、ゼノスと、うつぶせになったヴェリトラの頭をくしゃくしゃと撫でた。


「お前らに会えて、よかった」


 いつもの笑顔を残したまま、師匠はそこでゆっくりと土の上に倒れる。


「……おっさん?」


 ゼノスは師匠の身体を揺すった。だが、反応はない。


「おい、たちの悪い冗談はよしてくれ」


 繰り返し身体を揺するが、師匠の閉じた目が開く様子はない。 


 恐る恐る脈に触れ、拍動がないことを知る。いや、自分がうまくとれないだけだ。落ち着いて試してみる。しかし、何度やっても命の鼓動は感じられない。


「おい、なんで……なんでだよっ」


 認めない。認められない。認めたくない。

 だが、確かに師匠は息をしていない。


「ふざけるなよ、おっさん。俺はまだ――」 


 礼も言えてなかったのに――


 漆黒の外套を掴んで、ゼノスは叫んだ。


 どこまでも青い空の下に、慟哭の声が空虚に響き渡った。


  +++


「ああ……」


 地の底で、ヴェリトラは胸を押さえたまま、呆然と虚空を見つめた。

 ゼノスの治癒魔法で、部下に刺された傷はもう癒えている。


 だが、胸の底には鈍い痛みが残っていた。


「そう、だったのか……」 

「師匠が俺のことばかり気にかけていた? そうじゃない。おっさんは俺のことも、お前のことも気にかけていたんだよ」


 だから、命を賭けて二人を救った。


 今ならわかる。おそらくあれは蘇生魔法に手を出したことによる何らかの代償だったのだろう。

 それを知っていてなお、師匠は魔法の使用を一切躊躇しなかった。


「ヴェリトラ、俺たちは生かされたんだ」

「……ああ……」

「師匠が蘇れば、自分はどうなってもいいって? おっさんがどんな気持ちで俺達を助けたかわからないのか。この大馬鹿野郎っ。そもそも勝手に生贄にされかけた奴らの身にもなれ」


 ゼノスは親友の額を、ぺしっと叩いた。

 ヴェリトラは額を押さえて、わずかに口を尖らせる。


「……別に善人の命を奪おうとした訳じゃない。標的にしたのは地下ギルドの悪党共の命だ」

「俺達は治癒師だ。治癒師の仕事は命を救うことであって、奪うことじゃない」

「……」

「ま、実際は綺麗事なんだろうけどな」


 ただ、師匠は最後まで綺麗事を見せ続けてくれた。


 師匠の数々の口癖には、きっと過酷な現実を知っているからこその理想も多く含まれていたのだろう。

 これから治癒魔法を覚える弟子達にはせめて、治癒師としての理想を伝えたかった。


「理想の、治癒師……」


 ヴェリトラは、呆然とした表情で言った。


 師匠の遺言に従って、ゼノスは遺体を燃やすことにした。孤児院も燃え、行き場もなくなった。


 自分もひどく憔悴していたし、ヴェリトラもそのまま姿を消してしまったため、師匠の最後について話をする機会もなかった。


 残されたのは使い古された師匠の漆黒の外套のみ。

 世界のどこにも、もう居場所はない。


 それを羽織って道端にただ座りこんでいたところ、声をかけてきたのが、パーティ【黄金の不死鳥ゴールデン・フェニックス】のリーダー、アストンだった。そこから良くも悪くも冒険者として人生の第二章が始まることになった訳だが、それはまた別の話。


 ヴェリトラは苦悶に満ちた顔でぽつりと言った。


「ゼノス、全部、私のせいなんだ」

「なにが?」

「孤児院を出て、師匠のもとでもっと魔法の訓練をしたかった。お前に負けたくなかった。だから、ダリッツの金庫から金を盗んだ」

「……まじ? 金盗んだのお前なの? 俺、犯人と間違われて殺されかけたんだが」

「孤児院に火をつけたのも私だ」 

「おいおい……」

「恨んでくれて構わない。私が悪いんだ。金を盗んでしまった。そんなことをしなければ、師匠だって死ぬことはなかった」


 唇を噛むヴェリトラを見て、ゼノスは大きく息を吐いた。


「……もう、いいよ。師匠のことは誰にも予想できなかったことだ。孤児院についてはむしろなくなったほうがいいようなところだったし」

「ゼノスっ」


 ヴェリトラは身体を起こし、ゼノスの黒い外套を掴んだ。


「ごめん…………」


 それは袂を分かって以来、初めて聞いた素直な言葉だった。

 まるで子供の頃に戻ったような顔で、ヴェリトラは涙を滲ませ、傷んだ外套を握りしめる。


「それでも、私は師匠に会いたかった。どんな代償を払っても――」

「……」


 ゼノスは口を引き結んで、視線を奥に向けた。

 死霊魔法陣の奥には、ヴェリトラが描いたであろう巨大な魔法陣がある。


「あの魔法陣、めちゃくちゃ複雑だな。あれって、お前が開発したのか?」

「いや……あれは師匠の手記に隠されていたものだ。私も途中まで研究していたが、あれほどの完成度には至らなかった。だから、ほとんどそのまま使っている」


 ヴェリトラは地下に潜って死霊魔法や隠し文献、師匠の手記の断片を研究した。


 そして、蘇生魔法の発動には相応のサイズの魔法陣が必要なこと、価値あるもの捧げる必要があること、莫大な魔力が必要なこと、特別な詠唱が必要なことなどを見出したが、蘇生魔法陣そのものについては手がかりが少なく、手記にあったものをほぼそのまま使ったと言う。


「もしかして――」


 ゼノスはおもむろに立ち上がり、怪訝な表情を浮かべるヴェリトラの肩を掴んだ。


「おっさんに会えるかもしれないぞ」

次回、全ての過去に決着を。

次回が4章本編ラストで、その後はエピローグになります。


闇ヒーラーはコミックシーモア電子コミック大賞2023のラノベ部門にノミネートされています。

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明日も更新予定です。


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[一言] 想像してた過去と違ったけど、やっと自分が全部悪いと認めたか おせーよw で、結局男?女?
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