第144話 黄昏の出立
前回のあらすじ)【獣王】の協力をとりつけたゼノスは大幹部会に参加できることになった。一方、ヴェリトラは大幹部会の日を蘇生魔法の発動日と定めていた。
夢を見た。
貧民街のいつもの廃屋。
その裏に広がる空き地で、いつものように三人で治癒魔法の訓練をしていた時のことだ。
草むらに憂鬱な表情で腰を下ろしている師匠にゼノスは近づいた。
「おっさん、どうしたんだ?」
「ああ……いや。いいのかなって思ってな」
「何が?」
「なんていうか、こんなに穏やかに過ごしてて逆に不安になるっていうかな」
「……?」
「俺は自分を見る目のない男だと思っていたが、思ったより見る目があったっつうかな。優秀な弟子がいて、そんな弟子に慕われて、こんな風に過ごせるとは想像してなかったな」
「俺は別に慕ってはいないけどな」
「そこは慕おう? ヴェリトラを見習え」
「まあ、でも、おかげで退屈しない日々を送れてるよ」
「そうか、そりゃよかった」
ゼノスは師匠の顔を見上げた。師匠は薄い夕陽を浴びて、眩しそうに目を細めている。
どこかで虫が鳴いていて、涼やかな風が前髪を揺らした。
「なあ、おっさん。あり……」
「なんだ?」
「いや……なんでもない」
――ありがとう。
魔法のことを教えてくれて。
孤児院の外の世界のことを教えてくれて。
この世にこんな穏やかな時間があることを教えてくれて。
喉まで出かかった言葉を、なんとなく照れくさくて飲み込んだ。
「なあ、ゼノス」
「なんだ?」
「治癒師ってのはよ、主役じゃないんだ」
「……?」
「主役ってのは、何かのために戦っている奴のことだ。だが、そんな奴は嫌でも傷を負っちまう。治癒師ってのはそういう奴のためにいる」
「……」
ゼノスは師匠の横顔を眺めた。
「おっさん、いつも言ってることはかっこいいけど、治癒魔法使えないよな」
「ははっ、こりゃ一本取られたな」
ぼりぼりと頭を掻く師匠に、空き地の中央で魔法の練習をしていたヴェリトラが声をかける。
「あの、師匠。魔力の出し方について聞きたいんですけど」
「おう、ゼノスと違って、俺を慕うヴェリトラには何でも教えてやるぞぉ」
「意外と執念深いな?」
「くはは、悪いことじゃない。その相手をよく覚えてるってことだ」
師匠はよくわからないことを言いながら、立ち上がってヴェリトラのもとへと向かう。
穏やかな表情で指導する師匠。
熱心に頷くヴェリトラ。
二人の様子をぼんやり見ていたゼノスは、何気なく空を見上げた。
黄昏色に染まった天蓋に、雲が薄く長く伸びていた。
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「……もう、夕方か」
ゼノスは薄目を開け、ベッドから身を起こした。
治療院の寝室の窓から覗く空は、あの日と同じ黄昏色をしている。
「おはよう、ゼノス」
診察室に向かうと、リリが笑顔で出迎えてくれた。
渡された紅茶を飲むと、全身にほのかな甘みが行き渡る。
「悪い、ちょっと寝すぎた」
「仕方ないよ、先生。今日は重要な日なんだろ」
「たくさん寝ておいたほうがいいとリンガは思う」
「うむ、いざという時に力が出ない」
亜人の頭領達も勢揃いしている。
今日は大幹部会の日。長い一日になる可能性もあるため、少し仮眠を取るつもりだったが、思った以上に寝すぎてしまった。もうそろそろ現地に向かわなければならない。
軽い準備をして、ゼノスは壁にかけた黒い外套を羽織る。
長年愛用している師匠の外套は、今では肌の一部のように身体に馴染んでいた。
「じゃあ、行ってくる」
「うん、行ってらっしゃい。気をつけて」
リリが笑顔で見送りにくる。
「相手は地下ギルドの大幹部。油断しないようにね、先生」
「本当はリンガ達も行きたいけど……」
「どうせ部外者は大幹部会には参加できない。健闘を祈るぞ、ゼノス」
「ああ、ありがとうな」
亜人達の応援に応え、ゼノスはドアの取っ手に手をかけようとした。
そこでふと面子が一名足りないことに気づく。
「そういえばカーミラは?」
尋ねると、リリは困った様子で眉の端を下げる。
「カーミラさんはやることがあるから、今日は二階にこもるって」
「ふぅん、そうか」
「それでね。代わりにこれをお守りとして持っていけって渡されたの」
手渡されたのはくすんだ銀色の腕輪だった。
随分と年季の入ったものに見える。
「これ、つけても大丈夫か? 呪われたりしない?」
「魔除けの腕輪って言ってたけど」
「……ま、いいか」
腕輪を左手にはめて、ゼノスは治療院を後にした。
外まで見送りに来たリリ達に笑顔で手を振り、貧民街の底と呼ばれる場所に向かう。
途中の道に、猫人族の少女が腕を組んで立っていた。
「待っていたにゃ、ボス」
「そう呼ばれるのも今日までだな」
今日の大幹部会をもって派閥は解散する。派閥員達にもそう伝えてある。
「みんな悲しんでいたけど、これからも一日一善を頑張るって言ってたにゃ」
「ああ、そうだな」
ゼノスは頷き、無意識に自身の外套を掴んだ。
顔を上げ、一歩を踏み出す。
「決着をつけよう、ヴェリトラ」
4章もいよいよ終盤です。ゆるりとお付き合い下さいませ…!
明日も更新予定です。
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