第143話 大幹部の依頼【④】
前回のあらすじ)【獣王】の治療は成功し、ピスタは父親をビンタした。
「そうか、苦労をかけたな……」
【獣王】は、巨体を申し訳なさそうに傾ける。
手術が無事に終わった後、ピスタから地下を出た後の母娘の生活を聞いたのだ。
「あいつは今どこにおる?」
「母さんはあるところで野菜を作ってるけど、居場所は言えないにゃ。やっと落ち着いて平穏に暮らしてるんだから、余計なことはしないでいいにゃ」
「そうか……生きてるんやったら、それでええ……」
【獣王】は遠い目を虚空に向けた後、ゼノスをひたと見据えた。
「さて、本題じゃ。お前さんはわしの命の恩人。どんな報酬でも渡そう。欲しいものを言ってくれ」
「それじゃあ、大幹部にしてくれないか」
素直な要求を伝えると、獣の瞳がすぅと細まる。
「……治療の前にもそれを言っておったが、どうやら冗談ではなさそうじゃの。理由を聞こうか」
「ああ、会いたい奴がいるんだ」
これまでの経緯をかいつまんで伝えると、【獣王】は腕を組んで唸った。
「なるほど……そういうことか。【黒の治癒師】とは大幹部会で会ったことはある。いつも仮面をつけておるし、不気味な奴じゃと思っていたが、お前さんの知り合いだったとはの。お前さんも含めてその若さで大したもんだ」
既に仮面を外しているゼノスは、【獣王】を真っ直ぐ見て言った。
「あいつが妙な真似をする前に、会う必要がある。なんとかなったら嬉しいんだが」
「大幹部になるには過半数の大幹部の賛同が必要だ。わし一人の意見では決められん。特にわしはほとんど引退しているようなものじゃけんの」
「そうか……」
じゃが――、と言って【獣王】はのそりと立ち上がった。
獅子のような顔が間近でゼノスを覗き込む。そして――
べろり。
「うお、おっ」
ざらざらした舌の感触が、額を通り過ぎる。
「ふあはは、親愛の情じゃ。お前さんはわしの恩人だが、ぺろぺろした今、友人にもなった。恩人で友人の頼みなら聞いてやらねば男がすたる」
「あんたら確かに親子だよ」
ゼノスが頬を押さえて苦笑すると、【獣王】の隣に立っていたピスタが「にゃはは」と舌を出した。
「わしの名はダイアムだ」
「俺はゼノス。闇ヒーラーのゼノスだ」
【獣王】が差し出した手を、ゼノスは握り返した。分厚い肉球に包み込まれる感触。巨大な猫人族はごろごろと喉を鳴らすと、ベッドに再び腰を下ろした。
「まず、大幹部の候補者になるには圧倒的な上納金と実績を積み上げにゃあならん。お前さんのためなら、わしの全財産を報奨金として渡してやってもいいが、それで上納金は足りても実績が届かん。数年に渡って結果を出し続ける、というのが目安じゃからの。派閥を作って一ヶ月ではどうしようもない」
「なるほど……」
大幹部への昇格基準は下々の者には知らされないが、いかに高い壁かがよくわかる話だ。
そして、ヴェリトラはその壁を越えたのだ。
【獣王】はそこでにやりと笑った。
「しかし、大幹部になるにはもう一つ方法がある」
「もう一つ?」
「推薦じゃ。大幹部は候補者を大幹部会に推薦することができる。過半数の賛同を得られりゃ晴れて大幹部じゃ。ライバルを作るだけじゃから、行われたことはほとんどねえが」
「過半数の賛同を得るってのは難しい気がするんだが」
「その通りじゃ。だが、お前さんの目的は【黒の治癒師】との再会じゃろう。推薦される者は候補者として大幹部会に出席できる。賛同を得られようが、得られまいが、その場で言葉を交わせるはずじゃ」
「なるほど、それで十分だ。ありがとう」
ふあははは、お安い御用だ、と【獣王】は笑った。
大幹部会は通常二、三カ月に一回。次回は七日後にひらかれる予定らしく、落ち合う場所を決めて、話し合いは終わった。
「ピスタはどうする?」
彼女の目的だった父親との再会は果たした。このままここに残ることもあり得るかと思ったが、ピスタは当然のごとく言った。
「勿論、闇ヒーラーちゃんと一緒に戻るにゃ。今のあたしは【カーミラ様と愉快な僕達】のナンバーツーにゃ。ボスの目的が達せられるまではついていくにゃ」
「ふあはは、そりゃあ道理だ。そうせい」
「今さら父親面するにゃ」
「ぐ、むぅ」
「でも、気が向いた時に、たまになら会いに来てやらんでもないにゃ」
「そ、そうかっ……いや、しかし、それでは危険がっ」
「子供扱いしてないで欲しいにゃ。こう見えて地下で何年も【情報屋】としてやってきたにゃ。あたしはもう守られるだけの弱い存在じゃないにゃ」
「……そう、か。そうじゃな……」
【獣王】はベッドの上で微笑んだ。
それは少し寂しそうで、少し嬉しそうな笑顔だった。
去り際に、ふと気になったことをゼノスは尋ねてみた。
「そういえば、大幹部会に出席すればボスにも会えるのか?」
一切が謎に包まれている地下ギルドのボス。
大幹部会ともなれば、さすがに姿を現すのだろうか。
しかし、【獣王】はゆるゆると首を振った。
「ボスには会えん」
「大幹部会には来ないってことか?」
「いや。わしらも、もう何年も会っておらん。どこにいるかもわからん」
「……?」
首をひねると、【獣王】は声を落として足元を見つめた。
「今の大幹部でも当時を知る者は少ないが、地下ギルドというのは、元々わしらがガキの頃に、ボスが表社会で過ごせない奴らを集めて作った地下の遊び場じゃったんじゃ。生きていくために仕事はしたが、あの頃は最低限の仁義は守っておった。今みたいになんでもありの非合法組織の集合体になったのは、あいつが姿を消してからじゃ。わしゃあ正直、最近の奴らのやり方にはついていけんでの、おかげでほとんど引退状態じゃ」
空笑いを響かせた後、【獣王】は毛むくじゃらの拳を握った。
「それでも、あいつが帰ってくるまでは居場所を守ろうと大幹部の座に残っておった。時々地下水路を彷徨ってあいつの影を探す時もある。だが、もうわしも歳を取った……」
【獣王】は手術の時、幾つか心残りがあると言っていた。
一つは妻と娘のこと。
そして、おそらくもう一つがボスのことだったのだろう。
【獣王】はそこで気を取り直したように、たてがみを掻いた。
「まあ、ええわ。それはこっちの話じゃ。今はお前さんの目的を叶えるよう全力を尽くそう」
「ああ、助かるよ」
地下ギルドに潜入して一ヶ月。ようやく大幹部への足掛かりを掴んだ。
大幹部会まで、あと七日。
+++
同じ頃。地下水路の別の拠点で、【案内人】が【黒の治癒師】と向かい合っていた。
「こっちの準備は終わったよ。なかなか大変だったけど、キミの合図があればいつでも始められる」
【案内人】の場違いに明るい声と対照的に、【黒の治癒師】の声色は冷たい。
「ご苦労。礼ははずもう」
「金はそれほど必要ないよ。それよりキミの壮大な試みがどんな結果になるのか、どんな人間模様が見られるのか楽しみで仕方がないね。そのために手を貸したんだから」
「相変わらず変わった奴だ」
【黒の治癒師】――ヴェリトラは抑揚のない声で呟き、漆黒の仮面の奥の瞳を、隣に控える部下に向けた。
「エルゲン、例の場所への資材の運搬は?」
「完了しています。後は【黒の治癒師】様を待つだけです」
満足げに頷いて、ヴェリトラは懐に入れた黒革の手記を握りしめる。
「決行は一週間後。大幹部どもが勢揃いする日に、蘇生魔法を発動する」
4章もいよいよ終盤です。ゆるりとお付き合い下さいませ…!
明日も更新予定です。
見つけてくれてありがとうございます。
気が向いたらブックマーク、評価★★★★★などお願い致します……!