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第142話 大幹部の依頼【③】

前回のあらすじ)ゼノスは地下ギルドの大幹部――ピスタの父親であり恨みを抱いた相手でもある【獣王】の手術に臨むことになった

【獣王】のベッドに新しいシーツを敷いて、そのまま手術台として活用することにした。

 ゼノスは懐から睡眠薬を取り出して見せる。王立治療院のベッカーに以前もらったものだ。


「手術は肺の腐った部分を切り取って、正常な部分を可能な限り再生させる。怖いなら眠り薬を出すが」


 ベッドに横たわった【獣王】はそれを横目で見て一笑に付す。


「ふあはは、そんなものはいらん。わしの身体がどうなってるか、この目で見たいからの」

「そう言うと思ったよ」


 睡眠薬をしまうと、ピスタが背中をつんつんとつついてきた。

 仮面で表情は見えないが、随分と戸惑っている印象だ。


「どういうつもりにゃ。あたしに手術の手伝いなんてできないにゃ」 

「余分な血を拭き取ったり、身体を押さえたり、言われた通りやってくれればいい。そんなに難しいことは頼まないよ」


 それに、とゼノスは続ける。


「相手は弱ってる。復讐をするなら今しかないぞ」

「……」


 ピスタは依然困惑した様子で言った。 


「闇ヒーラーちゃんは治療をしたいのか、あたしに復讐を遂げさせたいのか、どっちだにゃ?」

「治療と復讐は全く別の話だ。俺は治癒師だから、勿論病気を治療する。そして復讐はお前の事情だから、お前が決めろ」


 ピスタは仮面の奥の瞳を、自分を捨てた父親に向ける。

 そして、静かに拳を握りしめた。


「わかった、にゃ……」


 ゼノスの《診断》の詠唱とともに、白色光が【獣王】の巨体を通り過ぎる。

 【獣王】はわずかに身じろぎした。


「今のはなんじゃあ」

「体の中を調べた。予想通り両肺とも腐敗で壊死が進んで、ガスや浸出液が出ている。腐蝕肺の所見だ。むしろよくこれで生きてられるもんだ」 

「わしゃあ、しぶとさだけで生きてきたからの」

「両肺を一度に治療すると息ができなくなるから、片方ずつやっていく。それなりに時間はかかるぞ」

「ようわからんが、お前さんに任せる」 


 【獣王】の声はかすれているが、奇妙な迫力はある。


 患者の身体を横に向け、後ろからピスタに支えてもらう。無言で父親の背中を支えるピスタを横目に、ゼノスは《執刀メス》で胸の一部を切り開いた。途端に腐臭が強くなる。


「だいぶ進んでいるな……」


 自動回復魔法で局所の痛みを押さえ、防護魔法で血管を保護。気管と血管の走行に注意しながら腐った部分を切り取っていく。かなりの繊細さが要求される手術だ。集中力を極限まで高めて、真っ黒に腐敗した臓腑の一部を取り出した。


「それがわしの呼吸袋か」

「呼吸袋? ああ、肺のことか。そうだ」

「ひどいもんじゃ」

「想像よりも悪いな……」 


 肺を手術中だが、もう一方があるので、【獣王】はなんとか喋ることはできているようだ。


 しかし、息は浅い。予想はしていた。だが、予想よりも状況は悪い。


 ピスタは依然として無言のままだが、その視線は部屋の角に無造作に転がっている斧に向かっている。

 ゼノスは肩で息をしている巨体の患者に言った。


「【獣王】。何か言い残しておきたいことはあるか?」

「なんだと……?」


 【獣王】の声色が変わった。


「お前さん、まさか――」

「勘違いするな。あくまで念のためさ。勿論、治療には全力を尽くす。だが、あんたは肺だけじゃなく、肝臓も腎臓も心臓もぼろぼろだ。これまで相当の無理と荒れた生活をしてきたんだな。加齢と蓄積したダメージで細胞自体が回復力をかなり失っている」


 治癒魔法とは細胞が本来持っている自然治癒力を増幅して後押しするものだ。細胞そのものが回復する力を失えば、当然魔法の効果も大きく落ちてしまう。 


「万が一のことだってあるからな」

「……」


 【獣王】は血のような赤い瞳でゼノスを凝視した。

 張り詰めた空気は、やがて、ゆっくりと弛緩していく。


「……不思議じゃの、他の誰かに遺言など求められようものなら引きずり倒すところだが、お前さんの言葉には妙な説得力がある。おそらく多くの命と真摯に向き合ってきたのじゃろう」  

「まあ、三流なりにな」

「……心残りは幾つかあるが、地の底でこんな風に死に絶えるのも、わしに相応しい最後かもしれん。もし手術が失敗しても、お前さん達に報酬を渡し、無事に帰す。それを遺言にすりゃええ。必要なら部下を呼ぶ」

「そういう気遣いは有難いが、もっと大事なことがあるんじゃないか。今、心残りが幾つかあるって言ったよな」

「……」


 【獣王】は口を閉じ、ぼんやりと天井を見上げた。

 しばらくそうしていた後、首をゆっくりひねって自身の背中側にいるピスタに目を向ける。


「助手のお前さんは、猫人族か。仮面で顔はわからんが、飛び出した耳でわかる」

「……」


 ピスタは無言で頷いた。


「わしにも……妻がおり、娘がおった。わしが追い出すまでの短い期間だったがな……」


 【獣王】の朧げな視線が、今度はゼノスに向いた。


「もしも妻や娘に会うことがあったら……すまんかったと伝えてくれ。それが遺言じゃ」

「今さら、そんなことっ」


 大声を出したのはピスタだ。


「……?」

「あ、いや……」


 【獣王】が怪訝な表情を浮かべ、ピスタは言葉を詰まらせる。


「今さら謝っても、もう遅い……と思う、にゃ」

「そりゃあ、お前さんの言う通りだ」


 笑おうとしたのだろうが、【獣王】はごほごほと激しくむせた。 


「ちなみにどうして妻と娘を追い出すことになったんだ?」


 患者が落ち着くのを待って、ゼノスは手術を続けながら尋ねた。


「そりゃあ、邪魔だったからに決まっとる」

「……っ!」


 ピスタの毛が逆立ったのが横目で見えた。

 ゼノスは淡々と次の言葉を口にする。


「俺が言ってるのは本当の理由だよ」

「え……?」


 ピスタが顔を上げ、【獣王】が沈黙する。


「【獣王】。もしかしたらこれが最後の言葉になるかもしれないんだ。取り繕う必要はないだろう」

「……」


 【獣王】は虚ろな瞳を虚空に向ける。喉の奥が雷のようにごろごろと鳴っていた。


「嘘じゃあないわい……わしは、あいつらが邪魔だった」

「あんたはっ――」 

「大事じゃった」  


 ピスタの言葉と同時に【獣王】は言った。


「産まれてきた無垢な赤子を見た時、わしゃあ泣いた。あんなに大事なもんができるとは思っとらんかった。ろくな生き方をしてこなかったわしに、これほどまでに相手を愛しいと思える感情が残っとるとは知らんかった」


 腐敗臭漂う空気の中に、【獣王】の言葉が溶け込んでいく。


「じゃが、今度は子が育っていくほどに不安になった。わしぁ地下ギルドの大幹部。敵は星の数ほどおるし、恨みも買っとる。わしの寝首をかこうとする者共は必ずわしの弱みを狙ってくる。もうそばにはおけん」

「そういう意味で、邪魔だった、ってことだな」

「わかっておったのか」

「大幹部は幾つもの拠点を持っているんだろ。一つの拠点に至ってもこれだけ厳重な警備と複雑な造りをしているんだ。どれだけ外敵から狙われる立場なのか肌身で感じたからな。だったら、妻子を遠ざけた理由も想像がついた」

「大幹部の娘として生きれば、わしの業まで背負うことになりかねん。わしは妻に話し、二人との縁を切ることにした……。定期的に金を届けるよう取り計らったが、それでは縁が切れたことにならないと妻は断った。中途半端に繋がっていれば、いつか娘は危機に合うとな……ありゃあ言い出したらきかん女だ。それでもしばらくは妻に黙って部下に見張らせていたが……気づかれて身を隠された。地下のことなら情報は入るが、地上の隅々まではさすがにわしの目も届かん。結局、二人とはそれきりだ……」   


 【獣王】はそこで大量の血を吐いた。


「ふあはは、困ったな。どうやら……本当に最後の言葉に……なりそうだ」


 細胞の力がやはりかなり弱っている。ゼノスは魔力の出力を一段上げた。


「まだだ、諦めるな。患者に諦められたらどうしようもなくなる。だが、諦めない限りは俺がなんとかしてやる」   

「はっ、無茶を言う先生だ……」


 【獣王】は力なく笑った。もう声は吐息のようにか細い。


 ゼノスは更に魔力の放出を強化した。白い光が嵐のように室内に吹き荒れる。それでも、死神はぴったりと患者のそばに張り付き、容易には立ち去ってはくれない。


「【獣王】。重要な質問だ。あんたは娘に会いたいか?」

「何を……言っておる。わしは、娘とはもう……」

「死の淵に立ってるんだ。立場とか過去の経緯とかはどうでもいい。あんたの本音を聞かせろ」


 薄く目を開き、【獣王】はこう言った。


「そりゃ……………………会いてえよ」

「ピスタっ!」


 ゼノスが声を上げ、ピスタがびくんと身を震わせる。


「瀬戸際だ。お前も腹を決めろ。想いを果たすのか、果たさないのか」  

「闇ヒーラーちゃんは、だから無理やりあたしを立ち会わせたんだにゃ……」


 ピスタは息を呑み、やがて、おもむろに仮面を外した。


 【獣王】の閉じかけていた瞳が、大きく見開かれる。


 おそらく別れて十年以上の時は経っているだろう。それでも幼き日の面影はあっという間に時を超え、顔を見た瞬間に【獣王】は相手を理解したようだ。


「ペ、シューカ……?」

「その名前はあんたと別れた時に捨てたにゃ。今は【情報屋】のピスタだにゃ」


 名状し難い表情で、【獣王】は唇を震わせた。


「本当に……本当に、お前なのか……なぜ」

「あたしはあんたが憎かったにゃ。母さんを捨て、あたしを捨て。いつか復讐してやろうと思って地下ギルドに近づいたにゃ。色々あったけど、ようやく絶好の機会が来たにゃ」


 眉を歪め、

 両の拳を握りしめ、

 大きく息を吸い込み、

 ピスタは、怒鳴るように叫んだ。


「この馬鹿親父っ! 大幹部の癖に何をあっさり諦めてるにゃ、生きろにゃっ!」

「……!」


 ゼノスはにやりと笑って、ベッドに横たわる【獣王】に言った。


「だそうだ。あんたはどうする?」

「お、お……お」


 喉の奥から声が漏れ、【獣王】は吠えた。


「おお、おおおお、おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」


 巨大な咆哮。大気が激しくうねり、石造りの拠点が上下に揺れた。

 何事かと入って来ようとした部下達を【獣王】は声を荒げて追い返す。


「出て行け、治療中じゃあ!」

「し、しかしっ」

「わしゃあ、必ず生きて戻る。それまで邪魔をするなあっ!」

「は、はいっ」

「その意気だよ、【獣王】」


 ゼノスは腐った肺の再生に、渾身の魔力を注いだ。


「ここから先は俺の仕事だ」


 生存への渇望が、時に細胞の働きを活発化させることがある。

 今なら確かな手応えを感じられる。


 温かな白色光が、部屋全体を覆った。

 腐敗部を取り除き、出血を最小に抑え、わずかな正常部を増幅させ、そして――


 手術は、ようやく無事に終わった。


 ベッドに横たわった【獣王】が、大きく息を吐いて言った。


「……ありがとうよ、先生。お前さんにゃ感謝の言葉もねぇ」

「俺も生きてここを出られそうで安心したよ」

「はっ」


 【獣王】の視線は、続いてかつて別れた娘へと向かう。


「ペシューカ……いや、今はピスタってのか」

「待つにゃ。治療を終わった今、話をする前にやることがあるにゃ」

「?」


 ピスタはすたすたとベッドサイドに近づき、怪訝な表情を浮かべる父親に向かって、大きく右手を振り上げた。


「この大馬鹿親父っ、あんたの独りよがりの考えのせいで、こっちはどれだけ苦労したと思ってるんだにゃああああっ!」


 ばしぃん、とどこか子気味よい叩打音が地下に響き渡り、【獣王】は唖然とした様子で、はたかれた頬を押さえた。


 肩で息をするピスタの背中に、ゼノスは声をかける。


「お、おい、ピスタ」

「……なるほどにゃあ。確かに闇ヒーラーちゃんの言った通りだったにゃ」

 

 溢れ出す涙とともに、ピスタはにこやかに振り返った。


「思い切り殴ったら、結構すっきりしたにゃ」

すっきりしたにゃ。


明日も更新予定です。


見つけてくれてありがとうございます。

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[気になる点] せっかくシリアスで感動的なシーンなのに、 何故にゃーにゃー言うかなw あれキャラ作りじゃなかった? こんな時くらい普通に喋れや せめて父親がにゃーにゃー言わないのが救いだが、 父親も言…
[良い点] 予想通りの展開だったのに涙が・・・
[一言] いつものことだけどこいつ一人治すだけで二人救ってるよいつものことだけど
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