第136話 最初の依頼【中】
前回のあらすじ)地下ギルドに潜り込んだゼノスとピスタは、小型魔獣の治療という最初の依頼に着手することにした
澄んだ青空を雲の切れ端が流れていく。
草いきれを胸いっぱいに吸い込みながら、ゼノスとピスタは緑の草原を並んで歩いていた。
「小型魔獣の治療……なんでそんな依頼が地下に来てたにゃか? わざわざ地下ギルドに頼まなくてもよさそうな依頼だにゃ」
「うーん……魔獣ってのは普通のギルドにとっては討伐対象だからな。魔獣を治療するなんていう依頼は基本的には受け付けられないんだよ。反面、地下ギルドは金さえ払えば何でもやるから、そういう理由で地下に来たんじゃないか」
「にゃるほど……さすがボスにゃ」
「その、ボスっていうのやめてくれない?」
「やだにゃあ。ボスはボスにゃ。もう、喧嘩も強いだなんて頼りがいがあるにゃ。これからも全力で擦り寄るからよろしくにゃ! 我こそは虎の威を借る猫だにゃ!」
なんという潔い良い奴だ。
王立治療院に潜入した時も似たような雰囲気の弟分がいたのを思い出す。
「でも、ちょっと緊張するにゃ」
ピスタは何度も深呼吸をして両手で腹を押さえた。
二人のいるのは牧歌的な田園地帯だが、一応街区と呼ばれるエリアに入っている。
つまり、依頼主は市民だ。
繁華街からこれだけ離れているということは、身分としては下級市民なのだろうが、それでも最下層に位置する貧民の地位とは比べ物にならない。この国では、市民以上と貧民の隔たりは海より深いのだ。
勿論、市民の中にも差別意識が薄い者もいるし、実際そういう人間にも会ってきたが、一般的には少数派だ。依頼主がどういった人物かピスタは気になっているのだろう。
「まあ、わざわざ依頼してきてるんだから、そこまで邪険な扱いはされないと思うが……」
「そうだといいにゃ……」
のどかな風景を通り過ぎると、山あいに一軒の赤い屋根の家屋があった。
「あそこだな」
家の前には畑が広がっており、中年の男が一人、鍬を振るっている。
「あんた、デンバーさんか?」
近づいて声をかけると、男はぎょっとした表情を浮かべた。
「あ、亜人と人間? な、なんだ、お前達はっ」
「俺達は地下ギルドの者だ」
「……地下ギルド? 地下ギルドだとっ!」
男は慌てた様子で、鍬を振り上げる。
「悪党がこんなところに何の用だっ! 帰れっ、金目のものなどないぞっ!」
「……あれ? なんか話が違うぞ」
【受付】から、この家に住むデンバーという者が依頼主だと確かに聞いたはずだ。
「ほ、ほら見るにゃっ。結局そういうことになるにゃっ」
「早く帰れっ。近衛師団を呼ぶぞっ!」
男は今にも鍬を持ったまま襲ってきそうだ。
状況が読めないため、一瞬引き返すことも考えたが――
「待って、パパっ!」
家から小さな女の子が飛び出して、こちらに駆けてきた。
「アイシャ、どうしたんだ? こっちに来るなっ!」
「違うの。違うのっ、パパ」
少女は父を止めるようにその足にすがりつくと、こっちを見て口を開いた。
「あの、地下ギルドの人達ですかっ?」
「そうだけど」
頷いたところ、少女は戸惑いながらも嬉しそうな顔で言った。
「ア、アイシャ・デンバーです。私が依頼したんです」
+++
その後、通されたのは家の隣に建つ納屋だった。
中は広々としており、鍬や鋤などたくさんの農具が置かれていた。使い古されているが、どれもよく手入れされている。代々受け継がれてきたものなのだろう。
「あの、正しく言うと、私がお願いしておじいちゃんに依頼してもらったんです」
藁と同じ髪の色をしたアイシャという少女が言った。
横に立つ父親と思しき男が血相を変える。
「おじいちゃんだって? どうして父さんに相談しなかったんだ?」
「だって、パパに相談すると止められるから……」
「当たり前だ。いいか、アイシャ。地下ギルドってのはろくでもない悪人の集まりなんだ。金次第でどんな薄汚い真似もする。奴らはほぼ貧民だし、付き合いをもっていいことなんて一つもないんだぞっ」
なかなかの言われようだが、実際そうなのかもしれない。
「で、でも、このままだとミーが死んじゃう」
アイシャは泣きそうな声で父親に反論した。
「だけどな、アイシャ」
「ミーは悪い子じゃないよ。害虫も食べてくれるし、畑も助かるっておじいちゃんが」
「だからと言ってこんなクズ共にっ」
「よさんか、バズ。依頼をしたのはわしじゃ」
奥から現れたのは手ぬぐいを首にかけた老人だった。顔は皺だらけだが、よく日に焼けていて、手足はずんぐりと太い。現役の農夫といった出で立ちだ。
アイシャの父親は、老人を睨みつけた。
「父さん、勝手な真似をしないで下さいっ」
「アイシャが不憫でのう。それにこの歳になると、多少の悪党なぞ怖くないわ。わしは畑のほうが大事じゃ」
「で……結局こっちはどうしたらいいんだ?」
ゼノスは軽く手をあげて、親子喧嘩に割って入った。おそらくアイシャが言ったミーというのが治療対象の魔獣だと思われたが、関係者の間で意見が割れているようだ。
「お願いします。ミーを助けて下さいっ」
アイシャが勢いよく頭を下げてくる。
「こんな奴らに頭を下げるな」
「お前は黙っとれ、バズ」
「お兄ちゃん達、こっち!」
うるさい外野とともに、アイシャに納屋の端に案内される。
そこには小さな木箱が置いてあり、中に青い毛並みをしたウサギ型の小型魔獣がいた。活気はなく、目を閉じてぐったりとしている。呼吸は浅く、背中が小さく上下していた。
「なるほど、ブルーラビットか」
腕を組んで言うと、アイシャが目を輝かせた。
「うん、森で拾ったの! お兄ちゃん、見ただけでわかるの?」
「ああ、普段は群れで行動する魔獣だ。徒党を組んで作物を食い荒らしたりする」
「……え?」
アイシャの顔が青ざめ、父親はぎょっとした表情でブルーラビットを眺める。
「そんなの治療して大丈夫なのかにゃ?」
不安そうに言ったピスタに、ゼノスは笑って答えた。
「本来はそうなんだけど、こいつは耳の後ろの一部が赤くなってるだろ。これは変異種なんだ。変異ってのはいい方向に働く場合と、悪い方向に働く場合があるんだが、これは無害なタイプだ。一部の地域では、畑の守り神って言われたりもする」
「にゃるほど。変異のおかげで、人には無害で害虫を食べてくれる魔獣が誕生したわけにゃか」
アストンのパーティの荷物係として、各地を何年も冒険をした経験がこんなところで生きた。
当時は大変だったが、何事も無駄ではなかったということか。
アイシャの目が再び輝いた。
「じゃ、じゃあ、ミーは治療しても大丈夫なの?」
「ああ、元気になってまた畑の害虫を食べてもらうといいと思うぞ」
すると、アイシャは嬉しそうに祖父を見る。
父親のほうは相変わらずの仏頂面をこちらに向けていた。
「ふん、地下ギルドなんかにまともな治療ができるか。お前らが得意なのは暴力や盗みだろう」
「そうかもしれないが、たまたま俺は治療が得意なんだ」
「どうせ適当な真似をして、金だけふんだくろうって腹だろうが」
「心外だな」
ゼノスは頭をかいて、アイシャの父親に言った。
「俺は治療に関して嘘をついたことはないぞ」
「……っ」
「《診断》」
ゼノスの言葉とともに、白線が小型魔獣を透過していく。
舌打ちをする父親と、固唾を飲んで見守るアイシャ。
「なるほど、そういうことか……」
ゼノスは弱ったブルーラビットを持ち上げると、右手に生み出した《執刀》で、腹を縦に切り裂いた。
「え、え、えっ!」
しかし、息を呑んだアイシャが瞬きをし終えた頃には、その傷は綺麗にふさがっていた。
「あ……あれ?」
同じくぽかんとしているアイシャの父親と祖父に、ゼノスは指先につまんだものを見せる。
それは中指ほどの長さをした針だった。
「内臓にこの針が刺さっていた。腹を少し切って、取り出して治癒魔法で閉じた」
「お、お前、何を言って――」
「針には毒があるようだが、自動回復魔法で体の回復力を強めたからなんとかなるはずだ。魔獣だから耐久性はそれなりにあるだろうしな」
ゼノスが小型魔獣をそっと木箱に戻すと、さっきまでぐったりしていたブルーラビットが、ぴょんぴょんと跳ね始めた。
「す、すごい、お兄ちゃんっ!」
「ふはははっ、どうだぁぁっ! うちのボスはすごいだろがにゃんっ」
ピスタは感激するアイシャを見下ろして高笑いをした。
どうやらボス呼ばわりをやめる気はないようだ。しかも、なぜかボスよりえらそうだ。
「う、ぐ……」
明らかな回復を目の当たりにして、アイシャの父親は悔しそうに呻いた。
「お、俺は……お前らなんか認めないぞっ」
「別に構わないよ。対価さえ払ってくれればな」
欲しいのは称賛ではなく、労働に対する適切な対価だ。アイシャの祖父が報酬を取りに母屋に向かった後、ピスタが魔獣に刺さっていた針を摘まんで首を捻った。
「それにしても、どうしてこんな針が刺さってたにゃ?」
しゃがんでブルーラビットを撫でているアイシャが返答する。
「十日くらい前かな。ミーが森に遊びに行って、戻って来たらもう元気がなかったの」
「……なんだって」
眉をひそめたゼノスはピスタから針を受け取り、仔細に眺めた。
やがて、眉間に皺を寄せてぽつりと言う。
「これは、ちょっと面倒だな」
「どうしたにゃ、ボス?」
ピスタが下から覗き込んできた。
深く嘆息しながら、ゼノスは一同を見回して言った。
「これ、よく見たら、A級魔獣デッドスパイダーの針だ。執念深い魔獣で仕留め損なった獲物は必ず追ってくるぞ」
明日も更新予定です。
見つけてくれてありがとうございます。
気が向いたらブックマーク、評価★★★★★などお願い致します……!