第131話 幼馴染の思惑
前回のあらすじ)ヴェリトラと再会したゼノスだが、部下のエルゲンの手によって廃墟の底に落とされた。周りを囲むのは無数のゾンビだった。
旧治療院の地階から見上げる月は遠い。
周囲は暗くて見通せないが、暗闇のあちこちで腐臭を伴った醜悪な息遣いが響いている。
「アンデッドが得意分野って何にゃ……?」
「俺は治癒師だからな。アンデッドには治癒魔法が効く」
「そ、そうにゃのか?」
アンデッドに治癒魔法が効果的なのは一般的知識と思っていたが、そうでもないようだ。
最高位のアンデッドが常に身近にいるので忘れそうになるが、確かに普通に暮らしていれば、アンデッドに出会うことなどそうそうないのかもしれない。
「で、でも、めちゃくちゃたくさんいるにゃよ」
「ピスタは辺りが見えるのか?」
「猫人族は夜目が効くにゃ。あっちにもそっちにも、ゾンビだらけだにゃ」
身のこなしが素早く、夜目も効くなら、猫人族は確かに【情報屋】としてうってつけだろう。
「うわわ、一斉にやってくるにゃ!」
「ふぅん」
「ふぅん、て……!」
ゼノスは手首を軽く回して、両手に魔力を集める。手の平にじわりとした熱を感じ、白い光が宿った。その場で上半身をひねりながら、聖なる輝きを周囲に放つ。
「《高度治癒》」
熱波がごうっと吹き荒れ、白い津波が八方に広がる。
ゾンビ達の断末魔の悲鳴があちこちで響き渡り、辺りには再び闇と静寂が訪れた。
「へ……?」
ピスタは目を何度もぱちくりさせる。
「い、いなくなったにゃ。あんなに沢山いたのに」
「だから、得意分野って言っただろ」
「す、すごいっ。すごいにゃ、闇ヒーラーちゃん! ぺろぺろしたいにゃ」
「そんなことより、ちょっと気になることがある」
「そんなこと呼ばわりされた……」
軽くショックを受けるピスタを横目に、ゼノスはその場で身を屈めた。
「どうしてゾンビが、急にたくさん現れたんだ?」
「ここは旧治療院だから、遺体がたくさんあっても驚かないにゃよ」
「それはそうなんだけど……」
この世の大気中には魔素と呼ばれる物質が漂っている。自らの魔力を魔素と反応させることで発動するのが魔法だが、その魔素が死や怒りなど負のエネルギーを発するものに高濃度に取り込まれると、魔物や魔獣が誕生すると言われている。
ゼノスはざらついた地面を指で撫でた。そこには複雑な魔法陣が彫り込まれている。
「ゾンビはこの魔法陣が発動した後に現れた。ということは、ゾンビ発生とこいつが関係しているかもしれないな」
「魔法陣でゾンビを生み出すなんてできるにゃか?」
「普通は自然発生的に生まれるんだが……ネクロマンサーという特殊な職業の奴らはゾンビを生み出すこともできるらしい」
あのエルゲンという男が、ネクロマンサーなのかもしれない。
「だけど、なんでこんなところに……」
ゼノスは魔法陣についてあまり知識がないが、師匠は変な魔法陣を創るのを趣味にしていた。
そして、師匠を強く慕っていたヴェリトラも同様だ。
ヴェリトラは一体何のためにネクロマンサーを従えているのだろう。
「……」
ピスタが後ろで自らの腕をさすりながら、恐る恐る言った。
「ここはなんだか怖いにゃ。長居は無用。さっさと帰ろうにゃ」
「いや、俺はもう少し残るよ」
「は……?」
「この場所は先方が指定してきたんだよな。ということは、あいつらの息のかかった施設の可能性がある」
実際、エルゲンと呼ばれた男は、ここが実験場だと口にしていた。
「だから何にゃ?」
「せっかくの機会だから調べてみようかなって」
「ええっ。嫌だっ。帰ろう。もう帰ろうにゃっ」
「ピスタは先に帰っていいぞ」
「こ、こんな真夜中に一人にする気かにゃっ。放り出されるくらいなら闇ヒーラーちゃんと一緒にいるにゃ……」
「そうか、それならそれで構わないが」
「う、ううぅぅ。もうぺろぺろしてあげないにゃあ」
空が白み始めるのを待ち、ゼノスはピスタを背負いつつ能力強化魔法で脚力を強化、壁の足場を確認しながら地階を飛び出した。
淀んだ空気が鬱滞する建物を一通り探索し、廃墟街の治療院に帰り着いたのは、太陽が地平線からすっかり顔を出してからのことだった。
「ただいま」
「あっ、おかえり、ゼノス」
入り口の扉を開くと、リリが満面の笑みで駆け寄ってきた。
「先生、お疲れ様」
「リンガは待ちくたびれた」
「とりあえず無事でよかったぞ、ゼノス」
「なんでお前達まで?」
亜人の頭領達も、食卓で安堵の表情を見せている。
「そりゃ、先生。地下ギルドの大幹部に会いに行くなんて、どんな危険があるかわからないじゃないか。いてもたってもいられなくてここに来たのさ」
「そうか、それは心配かけたな」
こっちは昔の仲間の顔を見に行くだけのつもりだったが、傍から見ればそうかもしれない。
「用事はすぐに終わったんだけど、帰れない状況になってな」
「帰れない状況?」
「ふぅ……本当に散々な目にあったにゃ」
ゼノスの後ろからピスタがどんよりした顔で姿を現すと、リリが笑顔のまま横に倒れた。
「ひゅ……」
「リリぃっ、どうしていきなり気を失うっ?」
慌てて駆け寄って支えると、亜人達が一斉に立ち上がった。
「あんた【情報屋】のピスタだっけ。やってくれたねぇ」
「遂に別れの時が来たと、リンガは思う」
「新参者の分際で、ゼノスと朝帰りとは許し難し!」
亜人達は殺気を迸しらせている。
「いや、お前ら何か勘違いしてないか?」
「そうにゃっ、そんなロマンチックな話じゃないにゃ。こちとらあんな恐いところ少しでも早く出たかったのに、闇ヒーラーちゃんに付き合わされて散々な目にあったにゃあああ」
喚くピスタを落ち着かせ、ゼノスは事のあらましを殺気立つ亜人達に説明した。
地下ギルドの大幹部【黒の治癒師】は、予想通り幼馴染のヴェリトラだったこと。
手記についてはヴェリトラが持っている可能性が高いが、確認はできなかったこと。
そして、ヴェリトラの指示で部下の男に襲撃されたこと。どうやらゾンビが人為的に生み出されていたようで、旧治療院を調べたところ、あちこちに実験の痕跡があったこと。
「ヴェリトラは、あの施設で何かの研究をしていたのかもしれない」
「でも、そもそもなんで先生を狙ったんだい? 親友だったんじゃないのかい?」
ようやく落ち着いたゾフィア達が、不思議そうに首をひねる。
「俺は、そう思ってたけどな」
ゼノスは虚空を眺め、ぽつりと呟いた。
「くくく……自分だけ友達と思っていた悲しいパターン」
「まじ? いや、でもそうかも――」
二階から降ってきた揶揄にゼノスは頭を抱える。
仮面を外した親友の顔には、確かにかつての笑みはなかった。
地下ギルドの大幹部。師匠の手記。ネクロマンサーの従者。ゾンビ発生の魔法陣と研究の痕。
変わってしまった友を取り巻く状況が示すものは一体何か。
ゼノスはしばらく側頭部を押さえた後、おもむろに顔を上げた。
「ヴェリトラ、お前はもしかして――」
+++
「【黒の治癒師】様。不届き者は、このエルゲンが始末しておきました」
貧民街の底と呼ばれる場所。水滴の音が不気味に響く古い地下水路の一角で、細目の男が膝をついて言った。目の前の玉座には黒い仮面をつけた人物が座っている。
「……ご苦労」
ヴェリトラはしばらく沈黙した後、そう静かに応じた。
その脇で、妙に甲高い声が響く。
「本当に? キミみたいな奴にゼノス君がやられるとは思えないなぁ」
エルゲンが反射的に立ち上がり、声を発した鼠色のローブの人物を憎々しげに指さす。
「部外者の分際でえらそうな口を聞くな。【案内人】」
「ふふふ、確かに部外者だけど、今回は協力者でもあるんだけどね」
「ふん、俺は貴様なぞ認めんぞ。わざわざ言われずとも、あいつらはちゃんと生き埋めにして、アンデッド共の餌にしてくれたわ」
「死体はちゃんと確認した?」
「穴底に落とした死体を夜中にどう確認しろというのだ。あそこには実験で使った死霊魔法陣が幾つもある。確認の必要もない」
【案内人】はやれやれと肩をすくめた。
「詰めが甘いなぁ。ゼノス君は治癒師なんだから、ちょっとやそっとアンデッドをけしかけても意味ないよ」
「なんだと? あいつは防護魔法の使い手だろう」
「え、知らなかったの? ちゃんと教えてあげなかったのかい? 【黒の治癒師】」
【案内人】の顔が、ヴェリトラを向いた。
「それとも、わざと教えなかったのかな?」
追加の質問に、黒仮面のヴェリトラは抑揚のない口調で気だるげに応じる。
「詮索好きは結構だが、格と優先度の問題だよ、【案内人】。ゼノスごときの相手はエルゲンで十分だ」
「そうは思わないなぁ」
「お前はゼノスを随分とかっているようだな」
「まあね。なんせ彼には何度も煮え湯を飲まされたからね。とても興味深い逸材だ」
「買い被りすぎだ。あいつにそんな力はない」
「へぇ……」
【案内人】の声のトーンが変わる。
「随分と評価が厳しいじゃないか。親友なんだよね」
「……」
ヴェリトラはそれには答えず、暗闇の奥を睨みながら独り言のように呟いた。
「もしゼノスが一流の治癒師なら、師匠はあの時――死ななかったはずだ」
あの時とは。
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