第13話 厄介な予感
"太陽王国"の異名を持つ大陸中央の大国——ハーゼス王国の王都は、大きく四つのエリアに分かれている。王族の住む王宮を中心に、貴族のいる特区、市民の憩う街区、そして貧民街と、外側に行くほど階級が下がっていく形だ。
貴族特区の中には、元老院や王立治療院などの国家機関が林立するエリアがあり、今その一角にそびえ立つ、無骨さと壮麗さを兼ね備えた建物で、二人の人物が向かい合っていた。
「お呼びでしょうか、師団長」
「待っていたぞ。クリシュナ副師団長」
奥の執務席に座るのは、髪を短く刈ったいかめしい顔つきの男。
その前に直立不動するのは、まだうら若い女だった。
長い金髪に青い瞳、プラチナ製の鎧をまとい、左右の腰には魔法銃をおさめたホルスターが掛かっている。人目を惹く美人だが、表情は石膏で固めたように変化に乏しい。
「師団長。急な呼び出しとは、どうされたのですか」
「実は少し気になる噂を耳にしてな」
「噂……?」
男はおもむろに頷いて、剃り残しのある顎をなでた。
「このところ、貧民街の様子がおかしいようだ」
「おかしい、とは?」
「なにやら、亜人どもの抗争がすっかり落ち着いているというのだ」
クリシュナと呼ばれた金髪の女は、かすかに眉を動かした。
「ご冗談を。あそこは長年に渡ってリザードマンとワーウルフ、オーク族が互いに縄張りを主張し、小競り合いが絶えないエリアです。抗争が落ち着いたなど、到底信じられません」
「信じられないのは私も同じだ」
男は両肘を机につき、顔の前で指を絡めた。
「だが、万が一本当だとしたら、無視はできん。君も知っているように、我らハーゼス王国は王族を中心とした厳格な身分制を敷くことで繁栄してきた歴史がある」
「勿論、存じております」
「市民の鬱憤は貧民へ。そして、貧民共の鬱憤は互いの敵対種族に向けられることで均衡が保たれていた。だが、もしも貧民街の有力者どもが一枚岩になったとしたら——」
「市民や貴族、ひいては支配体制への脅威になりうる、と?」
「その通りだ。王都の警備を一手に引き受けている我々近衛師団にとっても由々しき事態と言える」
王族の守護部隊として始まった近衛師団は、次第に規模を拡大し、今では王都の守護者として君臨している。
微動だにせぬまま、クリシュナは言った。
「ですが、師団長。私はいまだに懐疑的です。三種族は互いに深い恨みを抱えていたはず。そう簡単に和解などできる訳がありません」
「それを、ある人物が仲裁したという噂があるのだ」
「ある人物……? ますます不可能です。疾風のゾフィア、暴君のリンガ、剛腕のレーヴェ。いずれも厄介な裏社会の大物です。あの三人をまとめられる人物が存在しうるとは思えません」
「私も君と同意見だよ。仲裁者というのも不確実な情報に過ぎない。しかしだ——」
男の瞳の奥が、鈍い光を湛える。
「仮に噂が本当だとしたら——。万が一そんな影響力を持つ人物がいるとしたら、放置しておくわけにはいかん。近衛師団としてマークせねばならん」
「それで、私が呼ばれたわけですか」
「国家の安全保障にかかわりかねない問題だ、末端には任せられん。副師団長の君に頼みたい」
クリシュナは部屋に入った時と同じ表情のまま、ゆっくりと敬礼した。
「お任せください。もしも、そんな人物がいれば、この私が必ずや捕えてみせましょう」
「期待しているぞ。——<石の淑女>よ」
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「はっくしょん」
廃墟街の治療院で、ゼノスがくしゃみをした。
「ゼノス殿、風邪か? リンガが毛皮で温めてやろう」
「それは我の仕事だ。筋肉は意外と温かい上に、我は胸もあるぞ」
「リ、リリは毛皮……ない。筋肉……ない。胸……もないっ。紅茶淹れるっ」
「過保護か」
治療室の椅子に座るゼノスが、前を見たまま言った。
「くしゃみくらいでおおげさだぞ。治療中なんだから静かに頼む」
ゼノスの前には、リザードマンのゾフィアと、その弟であるゾンデが座っていた。
両者とも腕に裂傷を負っている。
ゼノスは二人の創部に手をかざした。
淡い白い光が傷口を覆ったと思ったら、次の瞬間には綺麗に塞がっていた。
「先生の治療はいつ見ても惚れ惚れするねぇ。これを見たいがために、わざと怪我をしてしまいそうだよ」
「動機が不純な怪我人は治療しないぞ」
「ふふ、金さえ払えばいいとか言うくせに、そういうところは真面目なんだねぇ」
盆にのせた紅茶を、リリが一同に配っていく。
「そういえば、ゾフィアさんがお客さんとして来るの久しぶり」
「やだよ、リリ。まるであたしがいつも客でもないのに来てるみたいじゃないかい」
「客でもないのに来てるけどな」
ゼノスが突っ込むと、ゾフィアは妖艶に微笑んで、治癒された腕を愛おしそうに撫でた。
「一応言っとくけど、この怪我は、そこにいるリンガやレーヴェと揉めたわけじゃないよ。仕事のほうでちょっとね」
「ああ、ゾフィアは盗賊だったな」
と言っても、盗みの対象は悪徳商人や不正な事業に手を染めた特権階級だ。
そういう相手から富を奪っては貧民街に還元する、いわば義賊的な存在だった。
「あたしらは近衛師団に目をつけられてるからねぇ。昨日も仕事中にやり合って、ちょっと不覚を取ったのさ」
「そういえば、前も姉弟そろって腕を怪我したことがあったよな。あれも近衛師団が相手だったのか」
弟のゾンデは火炎魔法で腕を焼かれ、姉のゾフィアは毒属性の魔法銃で撃たれていた。
治癒はしたものの、街中で目にすることは少ない傷だったので覚えている。
「ああ、そうさ。特区に盗みに入った時に、あいつにやられた傷さ」
「俺の腕もだよ、姉さん。あいつにいきなり火炎魔法弾をぶっ放されて」
「……あいつ?」
リザードマンの姉弟は、辟易とした顔で言った。
「近衛師団に、やばい女がいるんだ。いつも無表情で、えげつない攻撃してくるんだよ」
「俺、今でもあいつに追われる夢で目が覚めるぜ。確か副師団長で、<石の淑女>って言われてる奴だ」
「<石の淑女>、か……」
その名を繰り返すと、ベッドに腰かけたカーミラが、口の端を引き上げた。
「くくく……もしも、そんな女に目をつけられたら大変じゃのう。ただでさえ、ここには厄介な女しかおらんというのに、さらに厄介なのが増えるぞ」
「……え、リリだけはまともだよね、カーミラさん?」
不安げに呟いたリリを横目に、ゼノスはぼりぼりと頭をかいた。
「俺には関係ないだろ。天下の近衛師団の副師団長が、廃墟街のしがない闇ヒーラーのことなんか気にかけるとは思えないしな」
「レイスの予感は当たるんじゃがのぅ」
「気にするだけ無駄だって。そろそろ昼飯にするか、リリ」
「うんっ、ゼノスは何が食べたい?」
「あたしは野菜料理がいいねぇ」
「リンガは魚を希望する」
「おぬしら正気か。ここは肉一択であろう」
「お前らには聞いてないからな? ……というか、ここで食べる気?」
せめてメニューを揃えるように言うと、三人は渋々承諾し、くじ引きの結果、魚に決まった。
歓喜するリンガと、ぎゃあぎゃあ不満を訴えるゾフィアとレーヴェを眺めながら、カーミラは「さて」と浮き上がった。
「わらわは二階で一休みしようかの。しかし、貧民街の顔役がこうも懐く相手は、王都広しと言えど貴様くらいのものじゃろうのぅ、ゼノス」
「手のかかる猛獣を飼ってる気分だ。これ以上厄介な客が増えてたまるか」
「こうしてゼノスは、人知れずフラグを立てていくのであった……」
「不吉なナレーションを残して消えるのはやめろぉぉ」
知らぬ間に、近衛師団にも目をつけられている闇ヒーラーであった。
フラグを立てるゼノス……!
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