第129話 黒の治癒師【中】
前回のあらすじ)ゼノスは幼馴染のヴェリトラかもしれない【黒の治癒師】との接触を試みることにした
暗闇に現れた【黒の治癒師】の声を聞いて、ゼノスは眉をひそめた。
――ちがう……?
最後に会ってから結構な時間が経ってはいるが、記憶にあるヴェリトラの声とは異なり、どこかかすれたような声色をしている。
相手の姿が次第に大きくなってくる。
月光の下に現れたのは、やせた中年の男だった。
神経質そうな尖った顎。墨染めのローブをまとい、細い瞳が値踏みするようにこちらに向けられている。
「あんたが【黒の治癒師】か?」
「いかにも。依頼人はお前だな」
「……ああ」
落胆とも安堵ともつかない溜め息とともに、ゼノスは頷いた。
【黒の治癒師】はヴェリトラではなかった。
そうだとすると、指の切り傷程度で地下ギルドの支配者層たる大幹部を呼び出してしまったことになる。笑って許してくれるようには見えないが、とりあえず釈明はしつつ、ヴェリトラという人物が地下ギルドにいるかくらいは聞いておくことにする。
「指を怪我したんだが、実は――」
「まず金を渡せ」
説明しようとすると、相手はそれを遮って右手を差し出した。
どうやら先払いということらしい。
ゼノスは腰につけていた革袋を【黒の治癒師】に投げた。それは放物線を描いて、相手の腕におさまる。ずっしりとした重さの革袋を二、三度振った相手は、中に手を入れて複数枚の金貨を取り出した。それらを月明りにかざし、軽く匂いをかいでいる。
「本物だな……いいだろう」
相手は満足したように口の端をわずかに上げた。
【黒の治癒師】は、金貨以外の硬貨を受け付けないとピスタから事前に聞いていた。手間賃としてはかなり高額だが、呼び出したのはこちらなので払わない訳にもいかない。
ゼノスは相手に一歩近づいた。
「それで、悪いんだが、地下ギルドにヴェリ――」
「では、お前はもう用済みだ」
「は?」
首を傾げると、【黒の治癒師】は革袋を床に置き、懐から銀色に光る何かを取り出した。
「死ね」
投げつけられたのは、分厚い刃のナイフだ。
「闇ヒーラーちゃんっ!」
一瞬耳に聞こえたのは、どこかで見ている【情報屋】ピスタの声だろうか。
左胸に重たい衝撃が走る。【黒の治癒師】は踵を返して、ロビーに背を向けた。
「いや、ちょっと待ってくれ。状況が理解できないんだが」
「なに……?」
思わず呼び止めると、相手は少し驚いた顔で振り返った。
「貴様、なぜ無事なんだ。確かに心臓に当たったはず。どうなっている」
「防護魔法を使ったんだが、それよりどうなってるか聞きたいのは俺のほうだ。なんでいきなり攻撃されるんだ。俺は一応客だし、【黒の治癒師】は治療するのが仕事じゃないのか?」
しかし、相手はそれに答えず、顔に警戒心を浮かべた。
「防護魔法……? 貴様、魔導師か」
「魔導師っていうか――」
「では、もう少し力を込めるとしよう」
「って、おいっ」
今度は五本のナイフが、立て続けにゼノスに襲い掛かる。
額、首、胸などの急所に、鋭利な衝撃が連続で走った。だが、それらはゼノスの皮膚に突き刺さることなく、弾き返される。
「いや、だから話を聞け。なんでいきなり攻撃してくるのか理由を――」
「なんだとっ?」
今度は相手の顔に、明確に焦りの色が滲んでいる。
「これでも無傷だと? 貴様どうなっているっ」
「だから、防護魔法を使ったんだが、それより――」
「直接なで斬りにしてくれるっ」
「話を聞けえっ!」
相手は腰から長剣を引き抜いた。毒々しい紫色の刃がゼノスに向けられる。
しかし、今度は防がない。能力強化魔法で瞬間的に脚力を強化し、間合いを一瞬で詰める。
そのままの勢いで、相手の剣が振り下ろされるより早く、右拳を腹部に叩き込んだ。
「がふぅっ!」
「おっと。でも、悪いのはあんただぞ」
あまりに理不尽に攻撃されたので、つい地下ギルドの大幹部に腹パンを決めてしまった。
相手は胃液を盛大に吐き出し、その場に崩れるように膝をつく。腹部をおさえて呻きながら、ぎろりと殺気のこもった視線をゼノスに向けてきた。
「き、貴様っ。この俺を誰だと――」
「エルゲン、勝手な真似をするな」
どこまでも冷たい、凍えるような声が鼓膜をぞわりと撫でた。
瞬間、さっきまで怒りに燃えていた目の前の男の顔が、恐怖に歪む。
「……」
ゼノスは視線を正面に向けた。
声は視界の先、ロビーから通じる廊下の奥から聞こえてきたからだ。
静かな足音とともに、誰かが近づいてくる。
薄闇に慣れた目で見ると、その人物は陰と同化するような漆黒のローブを羽織っていた。
顔はわからない。なぜなら、表情のない黒い仮面をつけているからだ。
現れた人物は、膝をついている男にぞっとするほど冷たい声を投げかける。
「前にも言ったはずだ。勝手な真似をするな、と」
「こ、このような些事に、あなた様の手を煩わせるまでもありません。資金はわたくしめが回収しておこうと」
「勝手な真似をするな、と言っている。聞こえない耳ならもう必要はないか」
「も、申し訳ございません。【黒の治癒師】様っ」
男はぶるっと震え、仮面の人物に向け、床と同化せんばかりに平身低頭した。
「……黒の……治癒師?」
ゼノスは土下座している男と、新たに現れた黒仮面を見比べた。
さっきまで【黒の治癒師】を名乗っていた男が、今は小刻みに震えながら、もう一方の人物に平伏している。もしかしたら、現れた人物こそが本物の【黒の治癒師】で、頭を下げているエルゲンと呼ばれた部下が勝手に【黒の治癒師】を名乗っていた、という状況だったのかもしれない。
だが、正直そんなことはどうでもいい。
ゼノスは顔を上げ、新たな登場人物に一歩近づいた。
冷たい声色。
その佇まい。
仮面で顔はわからないし、雰囲気も大きく変わっている。
それでも、わかる。
わかってしまう。
最悪の孤児院で、最高の師匠の元で、苦楽を共にしてきた仲間なのだから。
ゼノスは仮面の人物を凝視し、その名前を口にした。
「久しぶりだな。ヴェリトラ」
久しぶりだな
4章はゼノスと師匠の過去にまつわる区切りの章となる予定ですので、やや真面目っぽい展開もでてきますが、最終的にはいい感じになると思いますのでゆるりとおつきあい下さい。
多分、明日も更新予定です。
見つけてくれてありがとうございます。
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