第128話 黒の治癒師【前】
前回のあらすじ)地下ギルドの黒の治癒師の情報を得たゼノスは、多額の金を払い、客として黒の治癒師に会いに行くことにした
七日後、灰色の叢雲が空に薄く広がる夜。
廃墟街の外れに、二人分の人影があった。
「それにしても、本当に金を用意できるとは驚いたにゃ」
身をかがめて進むのは【情報屋】のピスタ。横を歩くゼノスは小声で答える。
「こつこつ働いてきたからな」
闇ヒーラーとして労力に見合う対価はもらうようにしているので、改めて確認すると結構な額が貯まっていた。それに普段の治療院の暮らしでは、あまり金を使うこともない。日々の食料は亜人達の差し入れでほとんど賄えているし、目立たないよう住居にも最低限の費用しかかけない。
「闇ヒーラーちゃんはお金持ちなんだにゃあ。あたしのパトロンにならないかにゃ?」
「欲しい情報があったら、またお願いするよ」
「ふふふ、いいけど、あたしのスリーサイズは高くつくにゃよ」
「別にいらないが」
「真顔で返すなにゃあ。そこは乗るところだにゃぁぁ」
ピスタは残念そうに肩を落とすと、ゼノスの背後に目を向けた。
「それはそうと、お仲間は連れてこなかったにゃ?」
「さすがにここまで付き合わせる訳にはいかないからな」
今から会うのは謎めいた地下ギルドの大幹部――【黒の治癒師】。
相手はかつての親友ヴェリトラかもしれないし、そうではないかもしれない。リリや亜人達は一緒に行くと主張したが、単なる旧交を温める場にはならない可能性もあるため、ここは単独で臨むことにした。
「あんたも、怖いなら一緒に来なくてもいいぞ」
不安げな表情で辺りを見回すピスタに、ゼノスは声をかける。
「そうはいかないにゃ。あたしがいなきゃ、誰が現場まで案内するにゃ」
ふん、とピスタは鼻を鳴らした。
今回の【黒の治癒師】の依頼は、ピスタが【情報屋】のツテを使って行っている。
「道を教えてくれれば一人でも行けるけどな」
「この辺りは道が入り組んでいてややこしいにゃ。ならず者がたむろしている場所も多いから、裏道をうまく抜けないと面倒なことになるにゃ」
「意外と義理堅いんだな」
実はここに来る前、今回の件がピスタの罠である可能性をゾフィアは懸念していた。すなわちこちらに大金を用意させ、それを持ち逃げする。しかし、それはリンガが否定した。【情報屋】は信頼が命。一度でもそういう真似をすれば地下で生きていけなくなる、と。
では、どうしてリスクを冒して付き合っているのだろう。
「本当は情報だけ渡して、こんな危険なヤマからはすぐに手を引くつもりだったにゃ」
ピスタはぽつりと言った後、薄闇の奥に猫目を向ける。
「ただ、あたしにも【情報屋】としてやりたいことがある。これは大幹部に遭遇する滅多にないチャンスにゃ」
「……」
「勿論、現地についたら、あたしはすぐに隠れるから後は宜しくにゃ」
「ああ、それで構わない」
夏の夜の空気は、どこか湿り気を帯びている。
蛇行する薄暗い路地を抜けると、ようやく目的地らしきものが見えてきた。
「あそこが待ち合わせ場所にゃ」
ピスタが指さした先には、横に長い石造りの廃墟が横たわっていた。壁には無数の亀裂。ガラスのない窓枠が、まるで迷い人を誘うように真っ黒な口を開けている。建物は随分と古いようで、蔦が蜘蛛の糸のように幾重にも絡みついていた。
「昔はそこそこ大きい治療院だったと聞いてるにゃ」
「ふぅん」
言われてみると、建物には一種独特なじっとりとした雰囲気が漂っている。
「待ち合わせ場所は一階のロビーエリアにゃ。あたしは柱の後ろに隠れて様子を見てるにゃ」
「わかった」
振り返ると、もうピスタの姿はなかった。猫人族が素早いというのは本当らしい。
建物の中に入ると、足音がひと際大きく響いた。
屋根も壁も大部分が倒壊しており、瓦礫の散らばる廃墟然としたロビーの姿を、薄い月明かりがぼんやりと浮かび上がらせる。
ゼノスはロビー中央に立って、辺りを見回した。
待ち合わせまでは多少の時間がある。まだ、【黒の治癒師】の姿はなさそうだ。
腕を組み、ゆっくりと息を吐く。腰に結んだ大量の金貨入りの皮袋を指で撫でた。病人を装って相手を呼び出すのは若干気が引けるが、ピスタに言わせれば地下ギルドの大幹部に会う方法は限られているらしい。
「ま、一応、怪我人ではあるのか」
ゼノスは左手の人差し指を眺める。
指先にある鋭利な切り傷は、夕飯の準備で包丁を使った時についたものだ。いつもならすぐに治癒するのだが、せっかく【黒の治癒師】に会うのでそのままにしておいた。
ただ、相手の正体が、ヴェリトラなのかはまだわからない。
「もしヴェリトラなら……」
元気にしているか。
どう過ごしていたのか。
師匠の手記は持っているのか。
尋ねようとした言葉が、脳裏に浮かんでは消える。
しばし感慨にふけっていると、乾いた靴音がロビーの奥から近づいてきた。
ちょうど月明りの届かない、陰となっている場所に、何者かが立っている。
こちらを観察するように無言で佇んでいたその人物は、やがて、ゆっくりと声を発した。
「……お前が依頼人か」
遭遇…!?
明日も更新予定です。
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