第120話 幼馴染の行方
前回のあらすじ)ゼノスは親友とともに師匠のもとで治癒魔法を習っていた時のことを思い出していた
「はい、治ったぞ。これで存分に遊べるな」
廃墟街の片隅に建つ治療院。
簡素な内装と機能性を重視した調度品に囲まれた治療室で、ゼノスがかざした手を離すと、亜人の子供のすりむいた膝はすっかり綺麗になっていた。
「ありがとう、ゼノス先生」
子供は元気よくお礼を言って、嬉しそうに治療院を駆け出して行った。
「ふぅ、午前はこれで終わりだな」
「うん。お疲れ様」
受付嬢兼ナースの少女――エルフのリリがアイスティーを盆に乗せて持ってやってくる。
グラス内で揺れる氷が、からんと軽快な音を立てた。
「ありがとう、リリ。今日は暑くなりそうだな」
紅茶を一気に飲み干したゼノスは、診察机から立ち上がり、窓を開け放った。
夏を告げる蝉の声が、室内を賑やかに彩る。
「最近は平和だね、ゼノス」
「そうだなぁ」
治療院を開業してから事件続きだったので、こんな日々も悪くない。
水を差したのは、ベッドの端に腰かけて、足をぷらぷらさせているレイスのカーミラだ。
「ま、嵐の前の静けさかもしれんがのぅ」
「嫌なこと言うな。レイスの予感か?」
あまり認めたくないが、カーミラの予感は悪い意味でよく当たる。
すると最高位のアンデッドはぷるぷると首を振った。
「いや、単なる願望じゃ」
「もっとタチが悪いな⁉」
「くくく……血沸き、肉躍る体験をわらわは常に求めておるのじゃあ」
「血も肉もないのに……?」
それはともかく、とカーミラは言葉を続けた。
「ただでさえ暑いのに、貴様はどうしてそんな暑苦しいものを着続けておるんじゃ」
「ん? ああ……確かに」
ゼノスは自身のまとった黒い外套をしげしげと見つめた後、それを脱いで壁に掛ける。
「つい癖で羽織っちゃうんだよな。暑そうに見えるけど、めちゃくちゃ傷んでるから実は風通しは最高なんだ」
「胸を張って言うことではないぞ……。新調は考えぬのか、金はあるんじゃろ」
「うーん……まあ、愛着もあるからなぁ」
「ゼノス、その服って師匠っていう人のものだったんだよね?」
リリの問いに、ゼノスは頷いて応じる。
「ああ。胡散臭いおっさんだけど、俺の恩人でもあったからな」
「形見、というやつか」
「まあ……そんなもんだ」
ベッドで足を組むカーミラに、ゼノスはどこか感慨深げに答えた。
過去も素性も語らなかった師匠と自分を繋ぐものは、もうこの汚れた外套のみだ。
だが、師匠とかつて友人だったという王立治療院のベッカーからの手紙で、形見と言えるものがもう一つ存在している可能性に思い至った。
「手記……」
師匠が手にしていた黒革の手記。元特級治癒師だった師匠が全てを捨てて貧民街に身を落としたのは、蘇生魔法という禁呪に手を出したのが原因らしい。その呪いで、友人だったベッカーですら師匠のことをあまり思い出せないようだ。
もし詳しく知りたければ手記を探せ、と手紙には書いていた。
「それを持っているかもしれないのが、貴様の幼馴染、という訳か」
「あくまで可能性だけどな」
孤児院時代の幼馴染、ヴェリトラ。
師匠の元でともに治癒魔法を修行した仲間であり、親友。
もしも師匠の手記を持っているとしたら、ヴェリトラしかいないだろう。
「その人、今どこにいるんだろうね、ゼノス?」
「それがわかれば苦労しないんだけどな……」
孤児院の火事が起きた後、当時の仲間達は散り散りになった。
探したい気持ちはあるが、貧民街も王都も広大だ。正攻法で見つけ出すのは困難だろう。
嘆息しながらリリに答えると、カーミラがにやりと口角を上げた。
「くくく……だが、運が良ければ今日にでも判明するかもしれんぞ」
「……どういうこと?」
首を捻った瞬間、治療院のドアが勢いよく開いた。
「先生、いるかい?」
「リンガがやってきた」
「今日は陽射しが強いな」
リザードマンのゾフィア。ワーウルフのリンガ。オークのレーヴェ。
貧民街を統べる三大亜人勢力の女頭領達がわらわらとやってくる。
今日はどうした? と、聞く必要はない。
用事がなくても彼女らはまるで自分の家のようにここに入り浸っているからだ。
「昼飯はこれからだが、メニューはこっちで決めるからな」
言うと、ゾフィアが苦笑した。
「やだねぇ、先生。まるであたしらがいつも昼飯のためにここに来てるみたいじゃないか」
「いつも昼飯のために来てるが?」
「あはは、否定はしないけど、今日はちゃんと用事があるのさ」
「用事?」
ゾフィアの後を継いで、リンガが言った。
「リンガ達はできる範囲で調べてみた。ゼノス殿の幼馴染のこと」
「え?」
眼を丸くすると、次はレーヴェが話し始める。
「先月、我ら三人がここに立ち寄った時、ゼノスとリリは往診で留守でな。カーミラと世間話をしていた時に、ゼノスの幼馴染が師匠とやらの手記を持っているかもしれないという話をちらっと聞いたのだ」
確かに、リリとカーミラには以前その思いつきを伝えてはいた。
我が家の死霊王に目を向けると、カーミラは軽く肩をすくめて言った。
「問題なかろう。こやつらは半ば治療院の住人じゃ、いずれはわかることじゃ」
「まあ、別に構わないが……」
亜人達は一斉に口を開く。
「禁呪やら呪いやらは手が出せないけど、探し人ってことなら、あたし達も協力できるよ」
「ゼノス殿には世話になってるから、リンガとしてはそれくらい当然」
「それぞれ一ヶ月調べてみて、互いの情報を持ち寄ろうということになったのだ」
「それが、今日ってことか……」
正直、師匠やヴェリトラのことは個人的な問題なので、元々は亜人達を頼るつもりはなかった。
だが、こと貧民街の人探しについては、彼女達のネットワークが非常に役立つことは確かだ。
「そうか、手間をかけさせて悪かったな」
「何言ってるんだい。先生の問題はあたし達の問題さ。まあ、事前に伝えたら手助け不要って言われそうだから、悪いけど勝手に動かせてもらったよ」
どうやら余計に気を遣わせてしまったようだ。
ゼノスはふぅと息を吐くと、食卓に腰を下ろし、わずかに居住まいを正した。
「わかった。話を聞こうか」