第116話 もうもらってるよ
前回のあらすじ)ダリッツとの戦いを終え、ゼノスはリズの妹ジーナのところへと向かう
ゼノスはリズについて貧民街の底と呼ばれる場所に向かった。
空気が淀み、腐敗臭が立ち昇る地域に、辛うじて建っている一軒のあばら家を訪ねる。
「ジーナ、久しぶりだな」
「もしかして、ゼノス、お兄ちゃん……?」
廃墟街の治療院よりも更に質素な内装。
リズを幼くした顔のジーナが、驚いて口を開いた。
声は弱弱しく、あの頃から身長は伸びているが、体は枝のように細い。
早速【診断】をかけ、線状の白い光がジーナの全身を透過した。
「胸腔にでかい腫瘍があるな。これが長年心臓や肺を圧迫して機能が落ちてるんだ」
「え、もうわかるの?」
「ただ、悪性ではなさそうだし、基本的には取ればいいんだけどな」
「で、でも、広範囲に臓器に広がってるから普通は取れないって……」
「臓器を同時に修復しながら取ればいい」
「簡単に言うけど、そんなこと」
「まあ、この辺りは衛生状態も悪そうだし、それなりに繊細な作業がいるから、さすがにここだと不安があるな。俺の治療院に連れて行こう」
その後、リズとともにジーナを背負って治療院へと運び込んだ。
「ゼノス、おかえ……って、リズさん?」
「あ、あの、ごめんなさい。私、あなた達に色々とひどいことを――」
恐縮するリズを見上げたリリは、少しほっとしたように言った。
「よかった。リズさん急にいなくなるから、心配しました」
「え? でも、私は」
答える前に、リリの視線はゼノスに向かう。
「それで、ゼノスが背負ってる女の子は?」
「リリ、患者だ。治療の準備を」
「うんっ!」
リリはすぐに頷いててきぱきと準備をする。
ジーナを清潔なシーツを敷いたベッドに寝かせ、ゼノスは腕まくりをした。
「さ、始めるぞ。いいか、ジーナ?」
「……」
ここに来る道中、手術の話はしていたものの、ジーナは不安そうに姉の顔を見る。
リズはゼノスに視線を移し、そして、安心させる声色で妹に言った。
「大丈夫よ、ジーナ。私はゼノスちゃんを信じる」
ゼノスは穏やかな表情でジーナの肩を叩いた。
「まあ、急に手術なんて言われたら、誰だって怖いよな。決心がつかなければ、後でもいいぞ」
「ううん、大丈夫。私もゼノスお兄ちゃんを信じる。だって、孤児院の時にいっぱい助けてもらったもん」
「……よし、いい子だ。少しだけ眠っていれば終わるからな」
ゼノスは笑顔で言って、ベッカーにもらった睡眠薬で、ジーナを眠らせた。
「《執刀》」
ゼノスの右手に魔力の刃物が出現する。
先端を胸の中央に押し当て、慎重に縦に引いた。塊のようなものが胸の中央に居座っている。
これが腫瘍だ。
「ジーナ……」
リズが祈るように指を絡める前で、ゼノスは腫瘍を削りながら、回復魔法で正常組織を修復、防護魔法で出血に蓋をする。《執刀》と魔法を瞬時に切り替えながら、着実に腫瘍の除去は進んでいった。すぐそばでリリがガーゼや洗浄用水などを的確に用意していく。
「すご、い……」
リズは手を合わせたまま、感嘆の声を漏らした。
柔らかな白色光がきらきらと瞬きながら、治療院内を乱舞する。
じっとりと、息の詰まるような時間が過ぎていき――やがて、手術は終わった。
額の汗を拭いて、ゼノスは言った。
「終わったぞ、リズ姉」
「ジーナっ」
リズは慌てて駆け寄る。
ジーナの胸には、傷一つない。
まだ眠っているが、常に重苦しかった表情が、随分と軽いものになっていた。
「もう大丈夫だと思うけど、念のために今日一日はうちで様子を見るよ」
「信じ、られない……」
孤児院を出た後から悩み続け、このために全てを捧げてきたことが、一日も経たずに解決しようとしている。力が抜けたようにその場に座り込んだリズは、顔を上げ、恐る恐る口を開いた。
「その、ゼノスちゃん、お金……」
「ああ、この内容の手術だと、普通ならこれくらいもらうんだが」
紙に書かれた値段を見て、リズは拳を握りしめる。
「ご、ごめん……今はないけど、必ずちゃんと働いて返すから」
「ん? この額なら、そんな必要はないぞ」
「え? どういうこと?」
「ほら、孤児院の時に俺が院長の金を盗んだって疑われたことあっただろ。臓器を売れみたいな話にまでなって、その時リズ姉が助けてくれた。おかげで何千万ウェンもの謎の負債を背負わなくて済んだんだ」
「そ、そうだったけど…‥それが?」
不安げに言うリズに、ゼノスは軽く答えた。
「だから、お代はもらってるよ。その時に」
「……!」
リズは絶句して、口元を押さえた。
やがて、その両目の端から、ぽろぽろと涙がこぼれ落ちる。
「ありが、とう……ありがとう、ゼノスちゃん」
うららかな陽射しの注ぐ治療院に、リズの泣き声が響き渡る。
くくく、青春……と、二階から密やかな声が漏れ聞こえた。