第115話 邂逅と決戦【後】
前回のあらすじ)リズを助けに来たゼノスに、かつての孤児院院長のダリッツが襲い掛かる。
孤児院跡で、ゼノスはかつての院長と向かい合っていた。
「があっ!」
再度襲いかかってきたダリッツの攻撃をかいくぐり、ゼノスは【執刀】で腕の一本を斬り飛ばす。
「ふん、何度やっても――」
余裕の笑みを浮かべる相手に、ゼノスは右手をかざした。
「【高位治癒】」
「は?」
溢れた白い光が、ダリッツの腕の切断面に絡みつく。
驚異的な治癒の力で、失われた腕は瞬く間に再生した。
「回復だと? 貴様、なんのつもり――」
ダリッツが言いかけると、その治った腕が、更に拡大を始めた。
それはあっという間に二倍、三倍へと膨れ上がる。
「ぬ、うおおおっ、これはっ」
「治癒魔法ってのは、壊れた細胞の再生力を後押しする魔法だ。普通は回復すれば再生は勝手に止まる――」
右手を前に掲げたまま、ゼノスは続ける。
「だけど、多分あんたに埋め込まれたのは腫瘍細胞の一種だ。腫瘍細胞が普通の細胞と違うのは、際限なく再生するってとこだ」
「そ、それがどうした」
「つまり、俺の治癒魔法で再生を後押しすれば、腫瘍細胞はどこまでも増殖するってことだ」
「なんだ、とっ」
ダリッツの腕は更に拡大を続ける。
制御が困難になったダリッツは、たまらず自らそれを切り落とした。
そこに再びゼノスは治癒魔法をかける。
「や、やめろっ」
「そうはいかないな。なんせ俺は治癒師だ。傷は治してやる」
「き、さまあっ」
ダリッツは膨れ上がった細胞を切り落としながらも、嵐のような乱打を始める。
衝突の瞬間、防護魔法に切り替え、隙を見て相手に治癒魔法を再開。
膨張、衝突、衝撃、発露。
残骸となった孤児院の舞台で、破壊音が響き渡り、白い閃光が瞬く。
「なんなの、これは……」
リズは膝ついて目の前の光景を見つめた。
どこか温かな白色光に包まれて、ダリッツは呻く。
「私に、逆らうな。私を、見下すなっ」
まるでだだをこねる子供のように、無数に増えた腕をダリッツは振り回した。しかし、増殖し膨れ上がった腕の制御は困難になり、互いに絡み合い、まともな攻撃に繋がらない。
「私は、かつて、孤児院にいたっ。虐げられていたっ」
「そりゃ奇遇だな。俺もだ」
再生能力は次第に、確実に弱まっている。おそらく埋められたのは完璧な腫瘍細胞ではない。
いつかは再生も止まる。
「私は、もう支配されないっ。私が支配するのだっ」
「残念だよ、ダリッツ」
ゼノスは眉の端をかすかに下げた。
「あんたは、虐げられる者の気持ちをわかってやれるはずだったのにな」
幾度も膨れ上がり、幾度も切り落とされた腕は、もう枯れ枝のような頼りない何かを生やすだけだ。ただ青白い顔をした弱弱しい男の姿がそこにあった。
ゼノスは治癒魔法を止め、肩で息をしながら前に一歩進んだ。
「く、来るな……」
後ずさりしたダリッツは、右手を前に向けて言った。
「そ、そうだっ。お前を部下に雇ってやろう。な、好待遇を用意してやる。私はお前達の王――」
「却下」
「げぶっ」
ゼノスの右拳がダリッツの胸の中心を穿つ。
「今のはリズ姉を利用してきた分」
「ちょっと待て――げほっ」
次の一撃に、ダリッツは盛大にむせた。
「今のは俺の分。数えきれない体罰と懲罰と冤罪のお返しだ」
よろめきながら、ダリッツは懇願するように手を合わせた。
「わ、わかった。悪かった。も、もういいだろ――べふぅっ」
「今のはマーカスの分」
「え? ちょ、ちょちょ、あと何人いるんだ」
「何人いるかもわからないのか?」
「ちょ、ちょ、ま、まてっ」
「エミルの分。ロンバッドの分。アシュリーの分。クジャの分。ヴェリトラの分。そして――」
振りかぶった拳が、青白い光をまとう。
――【腕力強化】。
「お前に虐げられた全ての子供分だぁぁぁ」
「ぎゃふうぅぅぅぅっ!」
渾身のストレートを全身に受けたダリッツの身は大きく後方に吹き飛び、焼け落ちた孤児院の瓦礫の中に背中から突っ込む。
「こ、の、私に、こんな真似をして……」
「ダリッツ。あんたの夢はもう終わったんだ」
孤児院は焼け落ちた。
そして、リズの協力を失い、強化した肉体が朽ちた今、ダリッツに残されたものは何もない。
「……馬鹿、な」
ダリッツは仰向けのまま、喘ぐように口を開閉した。
だが、声は言葉にならず、乾いた空気に溶けて消えていく。
ゼノスは倒れ伏したダリッツを見下ろした。
「ただ、元院長として喜べ。ここから巣立った子供は――」
その視線を、山裾に広がる貧民街、そして更にその奥にある廃墟街に向ける。
「今は楽しくやってるぞ」
「……」
愕然と、ダリッツは両目を見開いた。
ゼノスはリズを伴って、そのまま山を降りる。
「……」
残されたダリッツは呆然としたまま、仰向けに空を眺めていた。
体は動かない。節々が激しく傷む。
だが、治癒魔法を浴び続けたせいか、体の奥はなぜか温かかった。
――なんせ俺は治癒師だ。傷は治してやる。
戦闘の際のゼノスの言葉が、耳の中に残っていた。
空は空虚なほどに青い。山間を抜ける風は優しい。陽射しは少し強かった。
そこにふと陰がさした。
「うーん、残念だったね。今回も軍配はゼノス君にあがったか」
倒れたまま視線を上に向けると、鼠色のローブをすっぽり被った人物が、ダリッツを覗き込んでいた。
「お前、は、【案内人】、か……」
大幹部の指示で、かつてダリッツに再生細胞の手術を施した人物だ。
貧民街のゴーレム事件の後、姿を消したという噂だったが。
「何しに、きた……」
「サンプルの回収にね。それと大幹部の指示で後処理に」
「なん、だと……」
「君は腐っても地下ギルドの幹部。失敗しているようじゃ相応しくないし、今後も使えないって」
「待て……待って、くれ」
【案内人】は孤児院の跡地を、興味なさそうに見渡す。
「それにしても、大幹部の言っていた通りわびしい場所だね、ここは」
「なぜ、大幹部、が……」
「あれ、知らなかったの? 大幹部もここの出身なんだよ」
「な、に……」
驚愕の表情を浮かべるダリッツに、【案内人】は面白がるように言った。
「ま、それはいいや。どうせ君とはお別れだ。こんなわびしい場所で悪いけど」
「ふざ、けるな。わびしい、場所、などでは、ない」
私の、城だ――
声は、もう言葉にならなかった。
孤児院ができたばかりの頃。
まだ己の中の加虐性や支配欲が膨れ上がる前のわずかなひと時。
明るい日の差す中庭で、響き渡った子供達の笑い声を、ダリッツは最後に聞いた気がした。
+++
孤児院跡での戦いを終え、山を降りたリズは遠慮がちにゼノスに尋ねた。
「それで、どうしてゼノスちゃんはここに?」
「ああ、色々経緯を聞いたんだよ。あのガイオンっていうでかい男に」
「ガイオンが……?」
「俺はリズ姉の敵じゃなくて幼馴染で、昔世話になった恩を返す気でいるって言ったら教えてくれたぞ」
ガイオンは地下ギルドの人間だけあって、人質交換が罠の可能性があることも想定していたようだ。
そして、ダリッツが貧民街を見渡せる場所にいるであろうことも。
念のためにゼノスはゾフィア達に防護魔法をかけて様子を見ていたが、結局何も起こらなかった。
それはリズがダリッツの要求を拒否したであろうことを示していた。
ゼノスはそう説明する。
「あとは魔法で脚力を強化して、猛ダッシュでここまでやってきたんだ」
「ありが、とう……ガイオンは単純なんだけど、時々鋭いのよ」
つぶやくように言って、リズは深々と頭を下げた。
「ごめんなさいっ。私ゼノスちゃんと周りの子達に色々ひどいことを……」
「まったくだ。あの大男のことを単純って言ったけど、リズ姉も大概馬鹿だぞ」
「ご、ごめんなさい……」
ゼノスは呆れたように溜め息をついた。
「潜入だとか、篭絡だとか、なんでわざわざそんなややこしいことするんだ。一言助けてくれって言ってくれればよかっただろ」
「え……?」
リズは濡れた瞳を大きく開いた。
「ジーナが病気なんだろ?」
「え、ええ……」
「それで、どんな病気でも治せるらしい地下の大幹部を頼ろうとしたんだろ? だからダリッツの言う事を聞いていた」
「そ、そうだけど」
「あのな。一応、ここにも治癒師の端くれがいるんだが? 無ライセンスだけど」
「で、でも……」
地下ギルドで、陰謀を巡らし、巡らされ。
利用し、利用され。
ずっとそういう世界にいたから、もっとも単純で、もっとも簡単なことに思い至らなかった。
助けて――たったその一言で、よかったなんて。
しかし、リズはふと気づいたように胸を押さえた。
「だ、だけど、もう私はお金が……」
大幹部に治療を依頼するために用意していた金は、ダリッツが身体強化のために全て使ったと言っていた。
ゼノスは腕を組んで、考えるようにして口を開いた。
「ま、主義として労働に見合った対価はもらうことにしてるけど、とりあえず診せてくれるか」