第113話 その背中は
前回のあらすじ)ダリッツは捕えた亜人達をリズに操らせ、爆弾の魔石を飲ませた状態で頭領達に抱き着かせ、亜人勢力を一掃しようと企んでいた
貧民街の大通りには、ゾフィア、リンガ、レーヴェとその部下達が集まっていた。
ゾフィアの横には鎖で縛られたガイオンが座らされている。
「部下の無事を確認したらあんたを解放する。どこへでもいきな」
「ふん……」
ガイオンが鼻を鳴らすと、部下の一人が声を上げた。
「あ、お頭、帰ってきました!」
行方不明になっていた亜人達が、通りの向こうに姿を現した。
さすがに衰弱しているようで、若干ふらついているが大きな怪我はなさそうだ。
亜人の男達はよろよろとした足取りでこちらに近づいてくる。
「一応、無事みたいだねぇ。ったく、勝手に動くからこうなるんだ。あんたら、後で説教だよ」
ゾフィアが声をかけると、男達はふいに顔を上げ、一斉に走ってきた。
「なんだ、結構元気じゃないか」
駆け出した男達は、思い切りジャンプして飛び掛かってくる。
「お頭ぁぁぁっ!」
「あ、おい、ちょっと」
「喜びすぎだとリンガは思う」
「こら、お前達、そんなにはしゃぐな」
部下達はゾフィア、リンガ、レーヴェに感極まったように抱き着いた。
だが、すぐに頭を殴られ、悶絶する。
「大の男がみっともない真似するんじゃないよ」
「ボスのリンガに気安く触るな」
「まあ、抱き着きたい気持ちもわかるがな。なんせ我のプロポーションは抜群だ」
「何の話だい、レーヴェ……」
「す、すんません、お頭の姿を見たら嬉しくてつい……」
頭を押さえながら慌てて釈明する亜人の男達に、周囲から笑い声が起こった。
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貧民街で繰り広げられた和やかな風景。
それを山の中腹で見ていたダリッツは、焦燥混じりに声を上げる。
「なぜ……なぜだ。なぜ爆発が起こらない」
望遠魔具から目を離し、怒りを滲ませてリズを振り返る。
「リズっ。貴様、ちゃんと石を飲ませたのか?」
「ええ、ダリッツ院長も目の前で見ていたじゃないですか」
リズは懐から赤黒い石のようなものを取り出した。
「しっかり飲ませましたよ、これを」
ダリッツは細い眉を寄せる。
「なんだと? これ、は……」
「まるで魔石みたいでしょう。ハグルの実っていうんですけど、山のあちこちに落ちてます。当時ここにいた私達にとっては重要な食料だった。でも、あなたはそんなものには興味なかったからわからなかった」
「……貴様」
ぞっとするほど冷たい声が、ダリッツの乾いた唇から漏れる。
「この私を、騙したのか」
「そうなりますね」
「……なるほどな。死にたい訳か」
ダリッツは懐から鋭利なナイフを取り出し、リズに向かって振り上げた。しかし――
「伏せ」
踊りかかってきたダリッツの膝が、リズの一言で、がくりと折れる。
大地に這いつくばったまま、ダリッツは驚愕に目を見開いた。
「こ、これは……」
「ダリッツ院長。あなたは私の力をずっと利用してきた。でも、同時に私に利用されないように警戒もしていた。常に一定の距離を取り、ナイフを手放さない。だけど、成功を確信し、それがうまくいかず動揺した。油断していたわね」
ダリッツの左手には小さな傷がある。
「今さっき背後からつけたのか。こんな、真似をしても……」
「そう、私が操れるのは血が代謝されるまでの数時間程度だし、あなたが大幹部になれない以上、ジーナは助からない。かと言って私が単独で大幹部になるのは難しい」
ダリッツの悪知恵があってこそ、この力は地下で生きることをリズは知っている。
だから、ここでダリッツを操ったところで、ジーナが助かる訳ではない。
「なのに、裏切る、のか」
「あなたにはもうついていけない。ジーナには悪いと思っている。だから私もジーナと運命を共にする」
「……」
訪れた沈黙は、かすかな笑い声で破られる。
それを発しているのは、ダリッツだった。
「くははは……もう少し使えると思っていたが、とんだ出来損ないだったな」
「……!」
ダリッツは持っていたナイフで、自身の左手首を勢いよく斬り落とした。
「えっ?」
赤い血が噴水のように噴き出した後、その切断面から肉が盛り上がった。
それはもごもごと蠢き、再び手の形を作り出す。
指を握って開いてを繰り返した後、ダリッツはすくっと立ち上がった。
「ふん、これでお前の血は抜けた。もう私を操ることはできない」
「ど、どういうこと……?」
後ずさりしたリズの腹をダリッツの蹴りがうがち、リズは呻いて崩れ落ちる。
「くくく、いいことを教えてやろう、リズ。私は幹部昇進の時に、実は一度大幹部に会っている」
「え?」
大幹部に会えるのは大幹部だけ。そういう話ではなかったか。
「直接対面した訳ではないがな。仕切り越しに激励の声をかけて頂いた……その時に大幹部に相談したのだよ」
「……」
「お前の妹のこと? 勿論違う。私の身体機能の強化についてだ。地下には怪しげな技術が色々とあるからな」
聞き分けのない子供に教え諭すように、ダリッツは言った。
「お前の言う通り、子飼いのお前にいつ操られるか、それが私の懸念材料だった。だから、万が一お前に傷をつけられても問題ないような強化が必要だと考えていた。今後、他の幹部共と渡り合うためにもな」
冷たい視線が真上から見下ろしてくる。
「大幹部は快く聞いてくれたよ。ちょうど【案内人】と名乗る人物と進めている研究があるとね。そして、再生する細胞を私に植え付けてくれた。お前が妹の治療費として頑張って貯めてきた金を全て渡すことにはなったがな。くくく」
「……っ」
突如、ダリッツの背中から二本の腕がスーツを突き破って生えてきた。
盛り上がった筋肉が禍々しく波打っている。赤黒い粘液を垂らす腕は、孤児院跡に転がった太い廃材を拾い上げた。
「リズ。私はお前に対する警戒を怠った訳じゃない。もう警戒する必要がなくなっただけだ」
溜め息をついてダリッツが近づいてくる。
「面倒だが、私自ら動かねばならなくなった。馬鹿な女だ。私に付き従っていれば、もうしばらくはいい夢が見られたというのに」
「ほんと、ね……」
リズは顔を拭ってゆっくり立ち上がった。
蹴られた腹がずきずきと痛む。それでも心の内は、どこか静かだった。
「でも、この前ここに来た時、思い出したのよ、私」
「思い出した?」
「孤児院にいた時、私はみんなのお姉ちゃんだったって、ゼノスちゃんが言ったの」
「……」
無言で廃材を振り上げるダリッツの後ろに、リズは目を向ける。
そこには貧しくとも、活気のある街並みが広がっていた。
その更に奥には、廃墟街の片隅に建つ、傾きかけた治療院があるはずだ。
「私、ゼノスちゃんのところに潜入して、想像と違って、なんだか楽しそうだなって思った。華やかじゃないけど、色んなお客さんが来て、みんなで、よく笑って」
リズは荒く息を吐いた。
「私はずっと、ジーナが助かればなんでもいいと、思ってた。でも、ここでは――」
一度言葉を飲み込み、焼け落ちた孤児院に視線を移す。
「私は、みんなのお姉ちゃんだったんだ」
「それがどうした」
苛立った様子のダリッツに、リズは言い放った。
「だから、みんなの居場所を守らなきゃ。あんたなんかにもう奪われないように」
「くくく、哀れだな。地上の邪魔者は一掃するよ、この私がな」
ダリッツは持ち上げた廃材を、リズの頭上に思い切り振り降ろす。
避けなければ。
頭はそう認識するが、体は動かない。
リズは思わず目を閉じる。
だが――
なかなかその瞬間はやってこない。
恐る恐る目を開くと、すぐ目の前に男が立っていた。
黒い髪に、漆黒の外套姿。
その右手がダリッツの持つ廃材を受け止めている。
それはもう自分より身長の高くなった、かつての幼馴染の背中だった。
「なんとか間に合ってよかった。【脚力強化】してめちゃくちゃ走った甲斐があったな」
「ゼノス、ちゃん、どうして?」
「ま、それは後で」
軽く答えて、ゼノスはダリッツに向けて足を一歩進めた。
「なんていうかさ、リズ姉はここにいた時、いつも俺達をかばってくれたよな」
年上として。
みんなのお姉ちゃんとして。
いつも子供達の前に飛び出して、彼らを守っていた。
だけど、まだ小さかったその時の少年が今、自分の前に立っている。
かつての面影が重なる横顔を向け、ゼノスは言った。
「今度は俺がかばう番だ。リズ姉」