第112話 人質交換
前回のあらすじ)リズの背後にいた地下ギルドの幹部は、かつての孤児院院長ダリッツだった。
リザードマンのアジトからほど近い場所に、石造りの頑丈な建物がある。
元は修練場として使われており、壁は分厚く、多少の衝撃では亀裂すら入らない。
今その一室に、後ろ手を鎖で縛られた状態の大男がいた。
ゾフィアの手招きで、ゼノスはその部屋へと足を踏み入れる。
「てめえはっ……」
男が顔を上げて睨みつけてきた。
「あんた、ガイオンというらしいな。顔を合わせるのは、夜祭りの襲撃の時以来か」
「何しにきやがった」
「まあ、ちょっと話をしようと思ってな」
ゼノスは男のそばへと無警戒に近づく。
「地下から人質交換の申し入れがあったんだ」
「人質交換だぁ?」
ガイオンが怪訝な表情を浮かべると、ゼノスの横に立つゾフィアが口を出した。
「こっちの部下があんたのとこの地下派閥にさらわれちまったようでねぇ。部下が無事に帰ってき次第、あんたを解放することにしたよ」
「はっ、そりゃ結構なことだな」
「嬉しくないのかい?」
「てめえは地下を甘く見ている。敵に捕まった俺が戻ったところで、粛清されるだけだ」
「なるほどねぇ。ま、それはあたしには関係ないけど」
ゾフィアの視線がちらとゼノスを向いた。
ゼノスはガイオンの前に腰を下ろし、おもむろに口を開く。
「それはそうと、リズ姉のことであんたに話を聞きたいんだ」
「俺が話すと思うか?」
「駄目か?」
「はっ、たとえ粛清される身だろうが、敵の頭に余計な情報を与えるつもりはねぇよ」
ゼノスはぽりぽりと頬をかき、こう続けた。
「俺は頭じゃないし、そもそも敵じゃないぞ」
「あぁ……?」
「なんかさ。敵とか、支配者とか、操るとか、裏をかくとか、お前等には色々あるかもしれんが、俺にとってはそんなことはどうでもいいんだ」
「そ、それじゃあ、てめえは一体っ」
眉をひそめるガイオンを正面から見つめ、ゼノスは言った。
「いいか。俺はリズ姉のただの幼馴染だ」
+++
その頃、地下水路の一角にある地下牢では、数人の亜人達がぼんやりした顔で座っていた。
彼らの指先には小さな傷跡がある。
「さあ、これを飲みなさい」
小さな石のようなものを、リズは男達に渡した。
既に操られた状態にある亜人達は、言われるがままにそれを飲み込む。
「解放されたら真っ先にボスの元へ行きなさい。そして、喜びのあまり抱き着くの」
焦点のぼけた目で、亜人達は首を縦に振った。
「抱き着いた衝撃で【爆弾】の魔石が爆発、首領共を軒並み葬る。混乱の隙に私の部下共を突入させ、亜人の三大勢力の力を一気に削ぐ」
リズの後ろではかつての孤児院の院長であり、今や地下ギルドの幹部に名を連ねるダリッツが立っていた。黒いスーツに身を包んだ姿は、まるで影そのもののように見える。ダリッツは低い声で笑った。
「この実績で私は地下ギルドの大幹部にのしあがる。そうすればお前の望みも叶えてやれる。妹のことも助けてやれる、私ならばな」
「はい……」
目の前に広がる暗闇に向かって、リズは返事をした。
暗闇。
そう、目の前に広がるのは深い闇だ。
孤児院が原因不明の火事で燃え落ちた後、リズは妹のジーナを連れて空き家に身を落ち着けた。
食べ物もろくにない生活の中で、次第にジーナが弱っていく。
元から体の弱い娘ではあったが、明らかに何かがおかしいと思える衰弱具合だった。
途方に暮れていた時、偶然、通りで院長のダリッツに出会った。
孤児院と資産を失い、落ちぶれた様子ではあったが、その目の奥には冷たい野望が残っていた。
思わず逃げ出したが捕まる。
しかし、ダリッツはリズ達に食べ物を与え、ジーナを治癒師に診せた。
原因ははっきりしなかったが、胸の中に悪いものがあるのではないか、という話だった。おそらく広範囲に渡っているため切除は困難で、薬はあるが進行を少し遅らせる程度の効果しかないと。
しかも、その薬ですらとても払える額ではない。
一つ方法がある、と言ったのはダリッツだ。
「私は地下ギルドに多少顔が効く。最近大幹部になった者に、どんな怪我や病気も治す奴がいるらしい」
希望の光が見えた。
しかし、すぐに絶望がやってくる。
「だが、地下ギルドの大幹部は滅多に姿を見せない。会えるのは同じ大幹部だけだ」
消沈するリズにダリッツは続けて言った。
「だから、お前の力で私を大幹部にのしあがらせろ」
「力……?」
「ふん、やはり気づいていなかったか」
ダリッツは冷たい笑みを浮かべる。
話はこうだ。
孤児院時代、金庫の金が盗まれ、リズ班の子供が疑われた。
激高する大人達を止めようと、飛び出したのは班長のリズだった。
揉み合った末、急激に大人達は静かになり、追及をやめたという。
その現場を見たダリッツは、リズはサキュバスの【混ざり】ではないかと疑った。
これまでも何度かそれらしきことはあったのだ。
その力をうまく使えば、失った金を補って余りある巨大な権力を手にすることも夢ではない。
密かに計画を練っていたが、行動に移す前に、孤児院で火事が起きて皆が散り散りになった。
再起を図るためにも、リズの力は是が非でも必要だった。
「ずっと貴様を探していた。もう孤児院の院長の座などどうでもいい。私は地下でのしあがる」
ダリッツは細い目に、暗い炎をくゆらせる。
そして、リズには他に選択肢がなかった。
薄暗い地下に身を移し、血を吐く思いで【混ざり】の力を磨いた。全ては妹のために。
地下ギルドに入った後、騙されているのではないかと不安になり、本当にどんな病気も治す大幹部がいるのか調べたことがあった。
会うことは困難だったが、確かにそういう力を持つ大幹部はいるようだ。
ならば、やるしかない。
【混ざり】の力は同時に操れる人数や効果時間に制限はあるが、悪知恵の効くダリッツはリズの力を使って地下でのしあがり、数年で幹部にまで昇進した。
もう一つ上、大幹部の座につければ、その人物と会うことができる。
そうすれば、リズに紹介するとダリッツは言った。
苦しんでいるジーナを救うことができる。
「やるしかないのよ……」
リズは暗闇に向けてそうつぶやいた。
+++
眩しいほどの陽射しを貧民街に届ける太陽が、中天にさしかかろうとしていた。
人質となった亜人の解放は正午に予定されている。
「ふん……またここに来ることになるとはな」
その時間。
リズはダリッツについて、孤児院の跡地を訪れていた。
山の中腹にあるこの場所からは、貧民街を高い位置から見渡せる。
人目につきにくく、外界から孤立しており、そして、下界を見下ろすことができる。孤児院をこの場に作ったのはそういう理由だと、かつてダリッツに聞いたことをリズは思い出す。
ここは支配欲に取り憑かれた男の箱庭だった。
そのダリッツは、右手に筒のようなものを手にしている。
「それは?」
「以前、【案内人】という変わった奴が地下ギルドにいただろう。そいつから買った望遠魔具だ」
筒の一方を片目に当て、冷たい口調で言った。
「爆発が起きれば、すぐに部下共を亜人達のアジトに突入させるよう手配してある」
含み笑いがかすかに漏れる。
「今日をもって貧民街は混沌に還る。そして、私は大幹部に昇格する」
リズはダリッツの背中を無言で見つめた。
時刻は正午になろうとしていた。
3章もだいぶ終盤です。次回いよいよ主人公が動き出す…!
見つけてくれてありがとうございます。
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