第111話 地下ギルドの男
前回のあらすじ)リリ達の奮闘もあってリズの告白は失敗し、リズは姿を消した。
翌日の空は、昨日の雨が嘘のような清々しい青をしていた。
治療院の食卓で、亜人達に囲まれたゼノスは神妙な顔つきを浮かべる。
「リズ姉が地下ギルドの刺客……?」
前の席に座ったゾフィアが大きく頷く。
「間違いないよ。祭りの襲撃、あの女の登場、通り魔事件、一連の出来事は全て繋がってたんだ」
「……」
ゼノスは無言で腕を組んだ。
結局、先に戻ると言って山を降りたリズは、治療院にはいなかった。
翌日になっても姿を現さず、行方はようとして知れない。
「しかもリンガ達の見立てでは、あの女はサキュバスの【混ざり】だと思う」
「ゼノスを迎えに行った我らの前に立ちはだかったのが操られた男共だった。間違いなかろう」
リンガとレーヴェの言葉に、ゼノスは眉をひそめてつぶやいた。
「リズ姉が、【混ざり】……」
秘密基地で告白を受けた時の、甘い香りと頭がくらくらする感覚を思い出す。
【混ざり】とは突然変異的に魔物の力が使えるようになった人間のことだ。
孤児院時代のリズがそれを認識している様子はなかったが、言われてみれば、リズがなだめるといきり立った大人達も急に態度を軟化させることが多かった。もしかしたら無意識に力を使っていたのかもしれない。
孤児院を出た後、きっとどこかでリズは自分の力を認識した。
そして、地下の住人になることを選んだ。
「先生、多分だけどあの女の目的は、影響力の大きい先生を操って貧民街を手中に収めることだったと思う」
「うーん……」
「そして、その計画はまだ終わっていない」
「どういうことだ?」
尋ねると、ゾフィアは少し前傾姿勢になって言った。
「実は昨日から今日にかけて、あたしらの部下が何人か行方不明になってるんだよ」
「行方不明?」
「多分、地下の連中にさらわれたんだとリンガは思う。あれほど一人で出歩くなと言っていたのに」
「通り魔事件の件で若い奴らは気が立っている。勝手に犯人探しを始めたかもしれんな」
亜人の頭領達は淡々と口にするが、部下の身が気がかりなのか表情は曇っている。
「なんだか、きな臭い話になっとるのぅ」
机の端で紅茶をすすっているのはカーミラだ。
「ラブコメ勝負では決着がついたんじゃから、それでいいではないかのぅ」
「ラブコメ勝負って何?」
「くくく、こっちの話じゃ」
カーミラとやりあっていると、リンガが拳を握って口を開いた。
「部下のことは心配だけど、こっちはこっちで人質を取ってるから条件は同じだ」
「しっ、馬鹿っ。まだ言うんじゃないよ、リンガ」
「あ、しまった」
「どういうことだ?」
怪訝な表情を浮かべるゼノスに、ゾフィアは少し申し訳なさそうに答える。
「いや……実は昨日山で襲ってきたリーダー格の大男を昏倒させて捕えたのさ。貧民街の存亡がかかってるからね。こっちとしても手札は持っておきたい」
レーヴェがうんうんと頷く。
「操られてるだけの雑魚は大したことなかったが、あの大男はかなり強かったな。とは言え、ダイエットをしていなければ余裕だったが」
「あ、先生。一応誰も殺しちゃいないよ」
弁解するように手を振るゾフィアに、ゼノスは嘆息して言った。
「それで、何か聞けたのか?」
「当然だけど何も吐かないね。多少脅したくらいで口を割るような奴じゃない」
「リンガに任せてくれれば吐かせるのに」
「あんたはやりすぎるだろ。相手は地下ギルドの人間だ。元から簡単に話すとは思っちゃいないさ。交渉材料になればいいくらいのもんだけど」
「ゼノス……」
リリは盆を抱いて、不安げにゼノスを見る。
「うーん……なんか俺がぼやっとしている間に、裏で色々起こってたんだな。悪かったな、みんな」
亜人達は首を横に振った。
「相手のやり口も巧妙だったし仕方ないさ。ただ、こっちも備えはしておいたほうがよさそうだよ、先生」
「地下ギルドは、横の繋がりが弱く、派閥ごとに勝手に動いてるとリンガは聞いている」
「しかし、統制がないゆえに行動が読みにくいな」
「なんだか複雑じゃのう」
亜人達とカーミラの会話を耳にしながら、ゼノスはつぶやいた。
「そうだな。ただ……俺にとっては――」
虚空をしばし眺めたゼノスは、やがてゆっくりと腕を解いた。
「とりあえず、その大男と話をさせてくれないか?」
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貧民街の奥の奥。
無数の蛇が絡まったように複雑に入り組んだ地下水路の一角で、男の声が響いた。
「失望したぞ、リズ」
重く、凍えるような声色だ。
「貧民街の支配者を操るのを待てというから、こちらは待った。それが失敗とはな。お前は私の大恩を仇で返す気か」
暗闇の前に立つリズは、膝をついて頭を下げる。
「……すみません」
「しかも、そいつは支配者でもなく、ただのヒーラーだというではないか。とんだ茶番だ」
「……」
「これでは例の件も考え直さねばなるまい」
顔を地面に向けたまま、リズはぶるっと身を震わせた。
「そこを、なんとか。もう一度だけチャンスを下さい」
じろり、と刺すような視線が向けられる。
「……ふん。まあ、いいだろう。私はお前には寛大だからな。もう一度だけ挽回の機会をやる」
「あ、ありがとうございます」
「だが、次はない」
「はい」
暗闇の中で、男は足を組んだ。ちらちらと光るのは手で弄んでいるナイフだ。
「今、地下牢に貧民街の亜人共を何人か捕えている。そいつらをお前の力で操れ」
「亜人を捕えている? その、私が支配者を操るのを待っていたのでは……?」
「保険だよ、お前が失敗した時のためのな。私はいつも備えている。だから、ものの数年で地下ギルドの幹部にまで昇り詰めることができたのだ」
「……」
リズは頭を下げたまま押し黙る。
「操って、どうすれば……?」
「お前の使えない部下が、今亜人の頭領共に捕まっているだろう」
「は、はい……」
「そいつらとこっちの捕えた亜人共の人質交換を申し出るんだ」
「ガイオンを助けてくれるのですか」
「馬鹿め。失態をおかしたクズに用はない」
唇を引き結んだ後、リズは言った。
「それじゃあ、一体何のために?」
「人質交換は亜人の頭領共を表に引き出す口実だ。交換の前に、捕えた亜人共を操って【爆弾】の魔石を飲ませろ。そしてそいつらを亜人の頭領共に突入させればいい」
亜人の頭領共を一遍に葬るのだ、と男は続ける。
「それは……」
リズは言葉を詰まらせた。
「で、ですが、それでは我らが貧民街を支配することにならないのでは?」
「特定の支配者が存在しない以上、そいつを操って貧民街を手中に収めるという当初の策は無効だ。次に亜人共を操って、互いを攻撃させることで抗争を生む手段も検討したが、それでは昔に戻るだけ。しかし、三大勢力のトップを同時に失えば、貧民街にはかつてないほどの大きな混沌がもたさられるだろう。我らはその隙をつく」
「その……これまで地下と貧民街は互いに不可侵を貫いていました。それが最近になってどうして?」
「貴様がそれを知る必要はない」
遠慮がちに問うリズに言い放ち、男は暗闇の中でゆっくり立ち上がった。
「だが、これがうまくいけば必要な条件は揃う。妹の件も考えてやろう。必ず成功させろ」
松明の明かりに浮かび上がった青白い顔の男に、リズは恭しく頭を下げる。
「承知しました。……ダリッツ院長」
かつての孤児院の院長であり、今は謎めいた地下ギルドの幹部に名を連ねる男は、にやりと口の端を上げた。