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第110話 告白の行方

前回のあらすじ)リリは雨の中、リズの企みを阻止しようと、ゼノスとリズの後を追う

 その頃、ゼノスとリズの姿は山の中腹にあった。

 荒れた獣道を抜けた先に小さな泉が沸いており、その脇に薄暗い洞窟がある。


「いやぁ、懐かしいな。秘密基地」


 中に足を踏み入れたゼノスは感慨深げに言った。

 声が壁に反響し、雨の音が少し遠く聞こえる。


「まだ落書きも残ってるんだな」


 昼間のお勤めをうまく抜け出して、班のみんなで時々ここに集まっていた。

 木の実で飢えをしのぎ、冷たい泉で体を洗った。

 魔石の欠片で火を起こして、愚痴と夢を語り合ったりもした。

 あの時、みんなは何と言っていただろう。   


「って、なんで脱いでるんだ、リズ姉?」

「ん?」


 振り返ると、リズが上着を脱いで、薄着一枚になっている。


「だって、雨で濡れちゃったから……」

「いや、そうかもしれんが」

「別にいいじゃない。昔は裸になって一緒に泉で遊んだ仲だし」

「子供の頃だけどな……?」


 ゼノスは腰に手を当てて尋ねた。


「ところで、記憶のほうはどうなんだ?」

「うん、ぼんやりとだけど、だんだん思い出してきた」


 リズは少し黙った後、まっすぐにゼノスを見た。


「思い出したのは、ゼノスちゃんは、やっぱり私にとって特別だってこと」

「……俺?」

「あっ」

「おっと、と」


 歩き出そうとしてつまずいたリズが、ほぼ半裸状態でゼノスの上に乗りかかる。 


「大丈夫か、リズ姉」

「うん」


 しっとりと濡れた肌。妙に甘い香りが鼻腔の奥底にまで侵入してくる。

 上に乗ったリズは、ゼノスの両肩を掴んでこう言った。


「ねえゼノスちゃん、私とずっと一緒に暮らさない?」


  +++


「きっと、もうすぐっ……」


 降り注ぐ雨の中、リリは草をかきわけながら道なき道を進んでいた。

 足が泥に取られ、素肌に幾つもの擦り傷ができてひりひりと痛む。

 しかし、そんなことを気にしている場合ではない。

 重たくなった足を持ち上げ、枝葉を掴み、小さな体を必死で前に進める。

 そして、ようやく少しひらけた場所に出た。


「あった……」


 視界の先には、藻で緑色になった泉と、小さな洞窟があった。

 雨が水面で跳ねて、幾つもの波紋ができている。

 リリは肩で息をしながら、よろよろと洞窟に近づいた。そして、入り口までもう一歩のところでふいに足を止めた。


「ゼノスちゃん、私とずっと一緒に暮らさない?」


 そんな台詞が洞窟から響いてきたからだ。

 恐る恐る中を覗くと、半裸のリズがゼノスにのしかかっている。 


 ――うわ、わわわわっ。


 リリは口を押さえ、顔を引っ込めた。

 心臓が早鐘を打っている。

 早く行かなければ。

 頭ではわかっているのに、足がすくんで動かない。

 リズが一方的にゼノスを篭絡しようとしているなら止めるべきだ。

 でも、ゼノスだってもしかたら――と、そんな思いが一瞬頭の中をぐるぐる巡る。

 リズは美人だ。話も上手いし、家事もなんでも上手にできる。それにリズとゼノスの間には、過酷な孤児院の環境を一緒に過ごしたという強い絆がある。 


 ――ゼノス……ゼノスは……。


 足が震え、くらくらとめまいがしてきた。

 洞窟の中でリズは続ける。


「ゼノスちゃんにもう一回会って、私に必要な人だと思った。昔みたいに私と――」


 下になったゼノスは、しばらく黙った後、口を開いた。


「一緒に暮らさないかって言われても……今一緒に暮らしてるだろ」

「そうじゃなくて。私と二人、ここではないどこかで」


 鈴のような声が甘い匂いを放っている。リズはサキュバスの力を操るとゾフィアが口にしたが、その魔力のせいなのか、強烈な媚薬のごとき何かが洞窟内に充満し、リリですら吸い寄せられそうな強い引力を感じる。

 リズの声。所作。息。それらに聴覚、視覚、嗅覚が刺激され、女の自分ですら脳が快楽の海に溺れそうになる。

 そして、リズは言った。


「私のほうが、ゼノスちゃんを幸せにできると思う」


 押さえた胸の奥が、ズキと傷んだ。


「美味しいご飯をつくるし、身の回りのこともやるし、それ以上のこともなんでも。ゼノスちゃんが望む

ことは全部叶えてあげる。だから、私と――」


 リズの顔が、ゆっくりとゼノスに近づいていく。

 眩いほどの色香。熟成された蜜の香りが、濁流のように洞窟内から溢れ出した。 

 今すぐ飛び出すべきだ。それなのに、足が動かない。


 ――な、なんで? でも――


 葛藤するリリの耳に、こんな声が届いた。


「リズ姉。それはできないよ」

「……え?」


 リリは雨に打たれながら、突然夢から覚めたように思わず声を出した。

 外の冷気が洞窟内に入り込み、立ち込めた芳香をじんわりと中和する。

 中からは困惑した様子のリズの言葉が聞こえてきた。


「……どうして?」

「その前に……なんか甘い匂いで頭がくらくらするな。リズ姉、めちゃめちゃいい香水でも使ってるのか」

「い、いえ、これはサキュバ……」

「え?」

「な、なんでもないわ」


 ゼノスはリズの下敷きになったまま、かすかに眉間に皺を寄せる。


「悪いな。うっかり意識が持っていかれそうになったから、能力強化魔法で痛覚を何倍にも強めて舌を噛んだぞ。もう治したけど」

「は、なにそれ? 意識持っていかれてよかったのに……!」

「え……? 何か大事な話っぽかったから、さすがに寝たら悪いだろ」

「……」


 絶句するリズの下で、ゼノスはゆっくりと身を起こす。


「ええと……二人で違うとこに住もうって話だったよな。俺はリズ姉には本当に感謝してるんだ。俺だけじゃなく、孤児院でみんなの居場所を作ってくれた。その後に入った冒険者パーティではさんざんな目にあったけど、俺の想い出が真っ黒なものだけじゃなかったのは、リズ姉と師匠のおかげだ」


 リズの背中が途端に前のめりになる。


「だ、だったら」

「でも、パーティを追放された後、リリと出会って一緒に治療院をひらいて、気楽にひっそりやるつもりだったけど、まあ本当に色んなことがあった」  


 ゼノスの淡々とした言葉が、雨の中に溶け込んでいった。


「ただ、確かに言えるのは、あそこは俺の――いや、俺も含めた、ちょっと変わった奴らの居場所になりつつある」 

「それは、でもっ」


 どこか穏やかな調子で、ゼノスは言った。


「孤児院でリズ姉がみんなにそうしてくれたようにな」 

「……」


 口を閉じたリズに、ゼノスは真面目な声色で続きを語る。


「出会いと別れはたくさん経験してきた。この先だってあるかもしれない。だけど、少なくとも今はあの傾きかけた治療院を……皆の居場所を守るつもりだ。だからリズ姉とは行けないよ」


 喉を詰まらせて、リズは口を開いた。 


「私、は……」

「なあ、何か困っているのか、リズ姉?」

「……え?」

「いや、もしかしたらだけど、記憶喪失ってのは何かの口実なのかと思ってさ」

「……!」


 リズが息を飲んで、体を起こした。  


「ど、どうして?」

「やっぱりそうか。リズ姉の料理が豪華すぎてちょっと気になったんだ」

「なんで料理で……?」

「だって、孤児院の時は材料もないし、あんなもの作る機会なかっただろ。孤児院を出た後に覚えたんじゃないかと思ってな。だとしたら孤児院の後の記憶がすっぽりなくなってるというのは嘘だってことになる」

「……」


 沈黙の後、かすれた声でリズは言った。


「……でも、それならどうして?」

「そりゃ、リズ姉がわざわざそんなことをするってことは、何か深い理由があるんじゃないかと思ってな。単なる冗談とは思えないし、それならとことん付き合ってみるつもりだった」

「……」


 沈黙が降り、雨の音だけが辺りに響く。


 ――ど、どうなったの……?


 リリがそっと洞窟の中を覗くと、リズは脱力したように座り込んでいた。

 やがて、その華奢な肩が小さく震え始める。

 どうやら笑っているようだ。 

 どこか投げやりにも聞こえる笑い声が次第に高く大きくなる。

 ひとしきり笑った後、リズは大きな溜め息をついた。 


「なーんだ……ばれてたのね。はーあ、失敗失敗。傷もつかない、色仕掛けもきかない、嘘もばれてるってんなら、もうどうしようもないじゃない。どんだけ手強いのよ、あなた。茶番もいいところだわ」

「リズ姉……?」

「ゼノスちゃん。私、先に戻ってるから」

「リズ姉、ちょっと」


 立ち上がったリズが、ゼノスの声を振り切って近づいてくる。

 洞窟を出た瞬間、リリに気づいたようで一瞬ぎょっと目を見開いた。

 だが、何も言わず雨の中に足を踏み出す。


「あの、リズさんっ」


 思わず呼び止めると、相手はゆっくりと振り向いた。


「……何? 見てたんでしょ。なんでさっさと止めなかった訳?」

「最初は、そのつもりでした。だけど」


 リリは一度言葉を止めて、言った。


「リズさん、真剣に見えたから……」

「……はんっ、そんな訳ないじゃない。かつての幼馴染をちょっと利用しようと思っただけよ」

「でも、涙……」


 リズはわずかに目を細め、頬を拭った。


「……これは雨よ」


 それだけ言って、水煙の舞う景色の中に消えていく。


「……わからん。結局なんだったんだ、リズ姉……っていうか、なんでリリがここにいるんだ?」


 中から姿を現したゼノスが驚いた様子で言った。

 リリはじっとその姿を見つめた。 


「みんなでゼノスのこと迎えに来たの」  

「俺を迎えに? 雨の中、わざわざこんなところまで?」


 辺りを見渡しながら、ゼノスは当惑した表情を浮かべる。

 なんだか朝に話したばかりなのに、随分と長い間会っていなかった気がする。

 でも、戸惑ったようなゼノスの顔は、何も変わらない。

 少しも変わっていない。

 胸に刻むようにその表情を眺めて、リリはゆっくりと頷いた。


「うん。雨の中、わざわざこんなところまで迎えに来たの」


 身体は濡れそぼっていても、胸の内にじんわりとした熱を感じる。

 今にも泣き出しそうになるのを堪え、リリは弾けるような笑顔で手を差し出した。   


「一緒に帰ろう、ゼノス。風邪引くよ」

「いや、風邪引きそうなのはむしろリリだぞ……?」


 ゼノスはそう言ってリリをしばらく見つめた後、ふっと口元をほころばせ、その手を握り返した。 


「そうだな。帰ろうか。俺達の治療院に」

帰ろうか


3章はもう少し続きますのでのんびりお付き合いください…!


見つけてくれてありがとうございます。

気が向いたらブックマーク、いいね、評価★★★★★などお願い致します……!

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― 新着の感想 ―
[一言] リズは泣いていい いや泣いてるけど
[良い点] ゼノスさん…もしかして鈍い?それとも冷静すぎ?リリさん、頑張って!ハッキリ言わないと分かってくれなそうだから!
[一言] 今のリリには木山裕策さんの『home』をバックミュージックに流してあげたい···。
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