第108話 ダリッツ孤児院
前回のあらすじ)リズの正体に気づいた女達は、リズとゼノスの後を追って孤児院に向かった
天空から落ちてくる雫が、鬱蒼と茂った枝葉に遮られ、ぱらぱらと軽快な音を立てる。
ゼノスとリズは、貧民街の西の外れにそびえる山中へと足を踏み入れていた。
「ここに来るのは久しぶりだな」
苔むした石段に足をかけながらゼノスは言う。
一段一段昇るたびに、懐かしさとは異なる種類の感傷が身中にわきあがる。
「こんなところまで付き合ってもらってごめんね、ゼノスちゃん」
「いや、記憶の足しになればいいけどな」
申し訳なさそうに言いうリズに、ゼノスは顔を向ける。
「ただ、リズ姉。ダリッツ孤児院はもう……」
「うん、それは覚えてるわ。でも、あそこに行けば何かを掴めそうなの」
「それならいいが……」
ダリッツ孤児院は、敢えて人目を遠ざけるように、この山の中腹に位置している。
当然、周囲に娯楽などはなく、垂直に伸びた木々がただ無作為に乱立しているだけだ。
昼なお薄暗い山の中を、二人は黙々と進む。
「あ、これ」
ゼノスは座り込んで、地面から何かを拾い上げた。
つまんでいるのは赤黒い石のようなものだ。
「あら、懐かしいわ。ハグルの実ね」
一見石のように見えるが、ハグルという木になる実である。
「隙間時間によく拾っていったわよね」
「そうそう、当時の必需品だったよな」
ずっと口に含んでいると、ほんのりとした甘さを味わうことができる。
常に飢えていた子供達は、これをいつもポケットに忍ばせていた。
ゼノスは、腰をかがめて幾つかの実を手に取った。
「ほら、リズ姉の分」
「え、私? 私は別に……」
「まあまあ、昔はこれに救われたこともあったし、持っていれば何かを思い出すきっかけになるかもしれないぞ」
「あ、ありがとう」
リズは手に盛られた木の実をじっと眺め、それを懐にしまった。
更に上へと向かうと、見上げた先に錆びついた門が姿を現す。
二人は一度立ち止まり、再びゆっくりと足を進めた。
風に寂しげに揺れる鉄門を抜けると、少しひらけた場所に出る。
「来た、わね……」
「ああ、だけど――」
「うん、わかってるわよ」
二人の前に、かつてのダリッツ孤児院の姿はない。
そこには数本の柱と屋根が申し訳程度に残っているのみで、他には黒こげになった廃材があちこちに散らばっているだけだ。
糸のような雨が降る中、かつてここに在籍していた二人が言葉を交わす。
「リズ姉はあの日のことは覚えてるのか?」
「ええ、火が出て、ここが燃えてしまったのよね」
「あれでみんなばらばらになったんだよな」
永遠の牢獄のように思えた孤児院は、たった一度の火事で崩壊を迎えた。
火を消そうと躍起になる教官達。誰かの叫び声。阿鼻叫喚の中で、子供達は大人に捕まらないようにばらばらに逃げた。苦楽を共にした皆の行方も、今はようとして知れない。
「煙の中で、リズ姉がジーナを連れて行ったのを見た気がしたから、てっきり今も一緒にいると思ってたけどな」
「ジーナは――」
「思い出したか?」
リズは額に手を当て、苦しそうに目を閉じる。
「ぼんやり、とは……でも、まだはっきりしない」
「そうか。まあ、せっかくこんなところまで来たんだ。焦らず昔話でもしてみるか」
「ええ、お願い」
ゼノスとリズは、雨を避けるように、わずかに残った屋根の下に移動した。
「ところで、ゼノスちゃんは当時の私のことどう思ってたの?」
「ん、どうって……リズ姉はみんなのお姉ちゃんって感じだったかな」
「みんなのお姉ちゃん……?」
「優しくて頼りがいがあって、時々怒ると怖かったけど、うちの班はみんなリズ姉のことが好きだったと思う」
「ゼノスちゃんも?」
「そりゃあ、な」
ゼノスはぼりぼりと頭をかいた。
「特に覚えてるのは院長の金庫から中身がごっそり抜かれた事件のことだな」
「ああ、あったわね」
「誰かが俺のことを犯人だと密告して、教官達にえらい目にあわされそうになった」
孤児院の粗暴な大人達にも、怖いものがあった。
それは院長のダリッツだ。加虐趣味の塊のような人間で、顔を見るだけで、子供はおろか大人の教官まで緊張していたのを覚えている。
そんな院長の金に手を出したというのだから、ただで済むはずがない。臓器を売って返済しろという話になり、正直死を覚悟したと言っても過言ではなかった。
「だけど、あの時もリズ姉がかばってくれただろ。本当に感謝してるよ」
「そういえば、そんなこともあったわね。あの頃の私は、まだ……」
次第に強まる雨足で、リズの台詞の後半はよく聞こえない。
荒れ放題の雑草の上で、水滴が勢いよく跳ねた。
リズは一度大きく息を吐くと、突然手を伸ばしてゼノスの腕に絡めた。
「どうしたんだ、リズ姉?」
顔を向けると、リズは熱っぽい視線でこう言った。
「ねえ、ゼノスちゃん。私達の秘密基地、行ってみない?」
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斜めに振る雨の中、貧民街の通りを、三人の亜人と一人のエルフが疾走している。
リズの企みを止めるべく、水溜まりを跳ね上げて彼女らは行く。
「さあ、急ぐよ」
「言われてなくてもリンガは急いでいる」
「だが、リリが遅れているぞ」
ゾフィアが振り向くと、リリの姿は随分小さくなっている。
懸命に腕を振っているが、かなり息が上がっているようでどんどんと距離が開いていた。
「リリはついてこれそうにないね、どうする?」
「そんなの決まっているとリンガは思う」
「ああ、そうだな」
三人は同時に頷いて、その場で立ち止まった。
そして、リリの元に駆け戻り、レーヴェがリリをひょいと肩に乗せる。
「リリは我が運ぼう」
「え、悪いよ、レーヴェさん」
「構わん。ダイエットで失った筋肉を取り戻すにはちょうどいいくらいだ」
横を走るリンガが言った。
「ゼノス殿を篭絡して貧民街を手に入れようなど、リンガは許さない」
ゾフィアは頷いて、雨に煙る山を視界の中央に捉える。
「あたしもさ。とは言え、相手は地下ギルドの一員だ。油断はするんじゃないよ」
激しさを増す雨。黒雲の奥で雷鳴が轟く。
女達の戦いは今、風雲急を告げようとしていた。
3章も後半に差し掛かってきています。
最終的にはいい感じにまとまる(予定)はずですので、もうしばしお付き合い頂けると幸いです…!
見つけてくれてありがとうございます。
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