第107話 反撃開始
前回のあらすじ)亜人達がそれぞれの動きを見せる中、リズはゼノスを孤児院に誘う。
「ゼノス、遅いなぁ」
治療院ではリリが受付に座って、柱時計に目を向ける。
買い物から戻ると書き置きが残されており、リズと廃墟街を歩いてくる、ということだった。
「むむぅ……」
記憶喪失の幼馴染は、ゼノスとやけに距離が近い。
「リリ、心配……」
溜め息がふぅと漏れる。
迎えに行きたい気持ちもあるが、すれ違いになっても困る。
「それとも事故にあったとかじゃないよね、カーミラさん」
「事故ごときで死ぬような男ではあるまいよ」
不安げなリリに、ベッドに腰を下ろしたカーミラは淡々と答える。
カーミラは曇天模様の空に目を向け、眉根に小さく皺を寄せた。
「うーむ……しかし、まさか今日仕掛けるつもりなのか。ゼノスの女達は後手にまわったかもしれんのぅ」
「何の話?」
「いや、こちらの話じゃが……」
少し迷うような素振りで、カーミラはつぶやいた。
「面白いから放っておいたが、そろそろわらわが一肌脱ぐべきか……しかし、関わりすぎるのはわらわの主義に反する……」
「さっきから何を言ってるの、カーミラさん?」
「ああ、いや……」
その時、勢いよくドアが開いた。
「ゼノス?」
立ち上がったリリの目に入ったのは、獣耳を揺らしたワーウルフだった。
「あ、リンガさん」
「ゼノス殿はいるか?」
リンガは切迫感を漂わせて言った。
「今、出かけてるよ」
「む、そうか。あの女は?」
「あの女ってリズさんのこと? ゼノスと一緒だけど」
「何っ、それはよくない。どこに行った?」
「廃墟街だけど……どういうこと?」
リンガが慌てた様子で外に出ようとすると、ドアに大きな影が立ちふさがっていた。
「ゼノスはいるか?」
「あれ、今度はレーヴェさん? ちょっとやせた?」
「ふはは、どうだ、か弱くなったか?」
「それはわからないけど……」
「わからんか……」
なぜかしょぼんとした後、レーヴェは言った。
「で、ゼノスは?」
「リズさんと出かけてるよ」
「なんだとっ、それはまずい」
「え、あの?」
リンガとレーヴェが一緒に表に飛び出そうとすると、更に新たな客が飛び込んでくる。
「先生っ!」
「ゾフィアさん、急にみんなどうしたの?」
「何の用だとリンガは思う」
「そこをどけ、ゾフィア。我は急いでいる」
「リンガにレーヴェ? ちょっとあんたらなんだい? 私は先生に用があるんだよ」
急に騒がしくなった治療院で、カーミラがからからと笑う。
「くくく……いいタイミングじゃ。やはりわらわが手を貸すまでもなかったようじゃな。少し落ち着け、貴様ら」
ふわりと浮き上がって、一同を睥睨して言った。
「これで役者が揃ったではないか」
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カーミラの提案で、一度状況を整理することにした女達は、治療院の食卓を囲んだ。
「なんだか妙だと思ったんだよ」
ゾフィアが早口でここに来た経緯を説明する。
「始まりは夜祭りの時の地下ギルドの襲撃。もともとあたしらと地下ギルドは暗黙のうちに不可侵を守ってきたはず」
「それを破ったということは、地下で何か動きがあったということだとリンガは思う」
リンガが後を継いだ。
「警戒したリンガ達は部下をパトロールさせたが、今度は部下が一人になった時に気絶させられるという小さな事件が起きた」
「そんな中で現れたのが、記憶喪失をうたうゼノスの幼馴染の女だ」
今度はレーヴェが口を出す。
「祭りの襲撃。部下の気絶。謎の女。妙な出来事が立て続けに起こっている時は、その裏で何かが起きている可能性がある」
次はゾフィアが頷いた。
「だから、あたしはゾンデにあの女と地下ギルドのことを秘密裡に調べさせたのさ」
「リンガもだ」
「ぬ、おぬしらもか……」
三人の亜人達は微妙な顔をしてお互い顔を見合わせる。
腕を組んで、口角を上げたのはカーミラだ。
「なるほど、裏に通じているのは地下ギルドだけではないということか。貴様らが一週間も姿を現さなかったのは、調査の結果を待っておった訳じゃな」
ゾフィアがゆっくりと首肯した。
通りを抜ける湿った風が、治療院の窓枠をかたかたと揺らす。
「まあ、下手に動くと逆に気取られる可能性があるからね」
「だから、リンガはずっとアジトでごろごろしてた」
「ダイエットにはちょうどいい期間だったな」
「それで何がわかった?」
カーミラの問いに、亜人達は順番に答える。
「一週間で地下ギルドの全容を明かすのは無理だけど、紫色の髪の女が最近動きのある一派に属しているという情報は掴めたよ」
「男を操るのが妙にうまい奴だとリンガは聞いた」
「何やら特殊な力を持っているという噂もあったな」
「くくく……なるほどのぅ。ただでやられるようなヤワな女共ではないようじゃ」
リンガがふんすと鼻を鳴らした。
「だって、あの女はゼノス殿がリンガを嫌いになったようなことを言っていた。その時はショックを受けたけど、よく考えたらそんなの嘘に決まっている。ゼノス殿がリンガを嫌いになるはずがないのだ」
「あんたすごい自信だね」
ゾフィアの言葉に、レーヴェが頷く。
「うむ、あの女は我にもゼノス殿が非力で細い女が好きだと言っていた。それもよく考えたら嘘だ」
「いや、それは本当かもしれないよ?」
「ならぬ。我とゼノスは相思相愛。であれば細い女が好きなはずがない」
「じゃあ、なんでダイエットしたのさ?」
「うぅ……実はちょっとだけ不安だった……」
「くくく……意外と乙女」
リンガとレーヴェは、次にゾフィアに質問を投げかける。
「あの女はゾフィアには何を吹き込んだ?」
「……」
ゾフィアは少し黙った後、軽く肩をすくめた。
「別に、大したことじゃない。すぐに嘘だとわかるような話だよ」
カーミラがにやりと笑う横で、一人話題に取り残されているリリが首をひねる。
「えーっと……つまり、どういうこと?」
「つまり、あの幼馴染は地下ギルドの女で、何か目的があって先生に近づいているってことさ」
「ええっ、そうなの?」
「夜祭りの襲撃のことを考えると、地下ギルドの一勢力が貧民街にちょっかいをかけたいんだとリンガは思う。あの女はその先兵だ」
「確かにゼノスはこの街の結束の要だからな。ゼノスを落とせば貧民街を手中に収めたも同然だ」
リンガとレーヴェが続けて言うと、リリは困惑を顔に浮かべた。
「え? じゃ、じゃあ、記憶喪失は?」
「そんなの嘘に決まってるじゃないか。最初から計画的に近づいたんだよ、あの女は」
「えええっ!」
思わず声を上げた後、リリは少しほっとしたようにつぶやく。
「……そっか……よかった」
「いや、何がいいんだいっ」
「全然よくないとリンガは思うっ」
「ここまではあの女にいいようにやられているんだぞっ」
亜人達に詰め寄られて、リリはあわあわと答える。
「そ、そうだけど、その……リリはゼノスやみんなと出会ってから本当に楽しくて……この記憶がなくなったらとってもつらいから……」
「……」
亜人達は絶句した後、顔を見合わせて、やがてぷっと吹き出す。
「なるほどねぇ」
「まったく、リリは平和ボケだとリンガは思う」
「ああ、我はなくなったほうがいい記憶なんて山ほどある」
「ご、ごめんっ」
謝るリリに、ゾフィア達は笑いかけた。
「ま、いいさ。あんたはそこがいいところだしね」
「リリはそのままでいいとリンガは思う」
「うむ、我もゼノスに会ってからの記憶は失いたくないな」
立ち上がったゾフィアは、ぽきぽきと指を鳴らす。
「さて、じゃあ、そろそろ反撃開始といこうかい」
外に出ようとする亜人達にカーミラが声をかけた。
「待て、どこに向かう気じゃ?」
「ん? 先生達は廃墟街にいるんじゃないのかい?」
「いや、おそらくもうおらんじゃろう」
怪訝な表情を浮かべる女達に、カーミラは得意げに続ける。
「わらわの予想では、廃墟街の散策はゼノスを外に連れ出すための口実じゃ、そんなムードのない場所で勝負に行くとは考えにくい」
「ムードってあんた……」
「女が勝負を決めるなら、行き先はきっと二人にとっての思い入れのある場所じゃろう」
「二人の場所……」
リリはつぶやいて顔を上げた。
「もしかして、孤児院……?」
カーミラが口の端を上げて頷くと、亜人達は一斉に表情を引き締めた。
「リリ、先生の孤児院の場所はわかるかい?」
「う、うん。昔、聞いたことがある。確か西の山のほうで……」
「よし、すぐ向かおう」
亜人とリリ達は、小雨のぱらつき始めた屋外へと飛び出した。
雨をものともせず、彼女達は孤児院に向かってひた走る。
カーミラはふわふわと二階に上がって、窓の外に目を向けた。
「くくく……ゼノスを巡る女達の争いもいよいよ佳境か。青春じゃのう」
少しずつ小さくなっていく亜人とリリの背中を眺め、カーミラはうっすらと微笑んだ。
「……いかんな。久しぶりに、生きている者を少し羨ましいと思ったぞ」