二.
そのマンガと出会ったのは、小学二年生の時だった。
昔から、人付き合いが下手だった。幼い頃は、近所の幼馴染数人とよく遊んでいたものだ。けれど、仲良くしたかったのは僕の方だけで、相手は僕を疎ましく思っていたことだろう。僕は嫌な奴だった。
みんなが遊びに飽きて次を始めようとしても、僕は同じ遊びを続けたがった。かと思えば逆に、早々に遊びに飽きてしまい、無理に終わらせたりもした。自分の意見が通らなければ露骨に不機嫌になったし、時には泣き喚いたりもした。
そんな“友達”を歓迎する子供などいるわけもなく、僕から誘えば(嫌々ながら)遊んでくれる“幼馴染”たちも、彼らの方から僕を遊びに誘うことはなくなっていった。僕も、そんな彼らの態度から、自分が他の子供たちから敬遠されていることを薄々感じ取っていたが、その時の自分には何が悪いのか理解できなかった。僕にできたことは、自らも彼らから距離を取ることだけだった。疎まれていることを意識しながら友達付き合いをできるほど、僕の神経は図太くできてはいなかった。
幼稚園に通う内から少しずつ距離の開いた僕と彼らの間は、小学校に上がって最初の夏休みを迎える前には、もはや埋めることができないほどにまで広がっていた。特に虐められたわけではない、村八分にされたわけでもない、けれど、気が付けば僕はいつも一人きりだった。
休み時間、放課後、遊び相手のいない僕は学校の図書室に入り浸るようになった。著名人の伝記や小説、各国の神話から様々な図鑑まで、興味のある本を片っ端から読み漁った。その、図書室の蔵書の中に、そのマンガはあった。学習マンガはあるものの、一巻から三巻まで一冊ずつ並んだその本は、娯楽マンガだった。娯楽作品と言ったらこの図書室には他に小説しかないのに、このマンガだけ置かれているのは不思議と言えば不思議なことだったが、それを見つけた時の僕にそんな想いはちらとも浮かばず、他の本と同じように読み耽った。
今まで読んだ、どんなマンガよりも、どんな小説よりも、面白い世界がそこには広がっていた。図書室で、時間も忘れて読み耽り、図書室が閉まる時間になると借りて家に持ち帰り、時間の許す限り読み続けた。それだけでは飽き足らず、少ない小遣いを貯め、家の手伝いをしてお駄賃を貰い、街の本屋さんを探して三巻すべてを買い揃えた。
もちろん、このマンガとの付き合いはそれで終わりではなかった。
その物語はまだ始まったばかりに過ぎず、三巻の最後は《四巻につづく》で締められていた。僕はまた、物語のつづきを探して街中の本屋さんを、そこで見つからないと近隣の街の本屋さんまで、探しに探した。けれど、どうしても見つけられなかった。
それは当然のことだった。当時、そのマンガはまだ完結しておらず、三巻までしか出版されていなかったのだから。
ある日、家で一巻を読み返し、普段は見ていなかった巻末まで読んで、そこに、見たことのない雑誌の名前と収録された話の掲載号数が載っていることに気付いた。さらに各巻の発行間隔と三巻の発行日から、このマンガが現在も雑誌連載中であり、四巻の発売はまだ先になるらしいことを推測した。
そうなると、次にやることは自然に決まる。僕はまた本屋さんを巡り、その雑誌を探した。いや、この時は巡りはしなかった。最初に訪れた本屋さんで見つけることができたから。それまで読んだことのない、そればかりか、それまで存在を想像することすらなかった種類の雑誌なので、見つけるまで時間がかかったが、店内の書棚を隈なく探してようやく見つけることができた。
その雑誌は、小学校低学年の児童が読むような類の雑誌ではなかった。目的のマンガの他には、掲載されているものは難しい漢字を多数使った大人向け(とその時は思った)の小説がページを占めていた。小学校の図書室に所蔵されている小説は、子供向けにだろう、文字も大きく難読漢字にはルビも振られていたから幼い僕にも難無く読み進められたが、この雑誌に掲載された小説はそんな親切ではなかった。それで、それからというもの毎月小遣いをはたいて購入したその雑誌も、そのマンガ以外にはほとんど目を通すことなく、それでも大切に自分の部屋の本棚に並べていた。
放課後、いつもは図書室に向かう僕は、月に一度、本屋さんに直行するようになった。小学生のお小遣いで購入するには高額な雑誌を買い求めるために。それほど需要がないのか、その雑誌が売り切れていることはなく、僕は毎号、それを手に入れることができた。これまでは。
夏休みの今日、普段よりずっと早い時間に本屋さんを駆け巡っていると言うのに、どこにもない。だから僕は、自転車を走らせる。全身から汗を噴き流しながら。夏の空気は汗に濡れた皮膚にねっとりと纏わりつき、踏み込む自転車のペダルは重かった。