3 私に呪いのような言葉をかけたのは
「んじゃあ、手分けしよう。人間関係を徹底的に洗う。死にたい理由の大半は、外部の接触が内部にストレスを与え、そのストレスが膨張して限界値を突破するからだ」
「何かの論ですか」
「経験則です。なあ、あの親子の関係、どうだと思う?」
「悪く無いと思います」
「ひっぱたいていたけれど」
「頬をはたいていたのが、いい証拠でしょう」
「というと?」
「例えば日常的に暴力をふるっている親なら、他人の前であんなことはしないかと」
「なるほど、隠すってことね」
「ええ。まあ、お父さんとの関係はわからないですけれど」
「確かにね。んじゃ、何も見つかりそうになかったらお父さんが原因ってことで」
あきれた。私は思わず大きな声を上げてしまう。
「そんな適当でいいんですか? 彼女の命がかかっているんですよ?」
「死なないでしょ、包丁で手首を横に切り裂いて死のうとしていた初心者だよ?」
「初心者だって、学びますよ」
思わずにらみつけてしまった。彼は、わかったよ、と困ったように唇を噛む。
「お父さんのことは保留ってことで。さて、家庭内のトラブルの次に考えられるのは?」
「学校……あの人は学生じゃないですかね」
「まあ、友人か、社会的つながりのある人、だよね」
彼はスマートフォンを取り出すと、彼女が使っていると言っていたSNSのサイトを開き、アカウント名を入れた。
「彼女が教えてくれたSNSはひとつ。さっそく見てみよう」
ハジメさんのスマートフォンを、体を乗り出してのぞき込む。
彼女の最新の投稿は、喜びに満ちたものだった。
「今日はPPパンダのライブ! 待ちに待った! 本当に待った! 心臓が口から飛び出そう! 白黒つけてやるー!」
日付は一昨日の夕方。PPパンダというグループのライブに行ったのだろう。ニュースで何度か名前を見たことがあるな、と思った。しかし、白黒つけてやるとは、どういう意味だろうか。
彼に意見を求めてみると「パンダだから白黒つけてやるーなんじゃない? ファンにしか通じない言葉とかさ」とすぐに返答され、私はなるほどなあと感心した。彼のかしこさは、私のそれとは違う。
私はただ、勉強ができるだけ。しかも学校ではそこそこの、本当に、宙ぶらりんの存在。
「どんどん行きますよ、お嬢さん」
それから四時間、じっくりと投稿をさかのぼり、友人のやり取りを見て、友人の投稿まで見て、気分を変えるためにと別の喫茶に移動し、途中から私のスマートフォンでも情報を集め、お互いに見るものを変え、調べ、調べ、調べつくした。
「みー子ちゃん、感想は?」
二件目の喫茶を出てすぐに問われ、私は即答した。
「友人関係も、なんら、問題なし」
「同じ感想だ。うーん、だとしたら気になる点は?」
「毎日投稿していたのに、ぷっつりと一昨日の夜から投稿が途切れている点」
「やっぱり同じ。俺はね、最後の投稿、ライブについて書かれていた、そこに鍵があると、見た」
白黒つけてやるー、か。
「今日の捜査はここまで。明日学校ある?」
「ありますよ。平日ですから」
「っていうか今日もあった? 学校帰りだった? 親御さんに連絡とかしなきゃ、やばかった?」
「学校帰りでしたけれど」
うちの親は私に特に興味はないので、という言葉は、ごくりと飲み込む。
「平気です」
「そっか。んじゃまた、そうだなあ、明日の五時に一件目の喫茶店、来られる?」
はい、と頷くと、彼は子どものような笑顔を見せた。
「自発的に調べなくていいからね。一緒に調べた方が共有しやすい。俺も喫茶店に行くまでは散歩でもしてるからさ。んじゃ、また明日」
また明日、と小さく言うと、彼は手を振って、夜の街に消えていった。
面倒だ、とすっぽかすこともできたのだが、私は律義にのこのこと喫茶店に行ってしまった。彼もまた律義に、喫茶店の前で待っていた。
「みー子ちゃん! よかったよ、来てくれて。いやね、来てくれるとは思っていたんだけど、それでも、連絡先ぐらい聞いておくべきだったよね。いやあ、よかったよかった。連絡取れなくなったらどうしようかと思ったよ」
「そのときは一人で調べればいいじゃないですか」
「やだよそんな、心細い」
「なんですかそれ」
喫茶に入り、やはり眩暈のするような値段を前に、彼がまたおごってくださるとおっしゃったので、私は昨日と同じものを頼んだ。彼も梅ジュースが気に入ったようで、笑顔でそれを頼んだ。大人の財力、おそるべし。
「さて、昨日の続き。俺は、PPパンダが鍵と見た。この人たちはバンドマン? 知ってる?」
「ニュースで何度か見たことありますよ。ロックバンドです」
私は記憶の中から、彼らのニュースを取り出していく。
「男性四人組。若い人に絶大な人気を誇る、プリティー・パンチ・パンダ。歌詞も発言も音楽もとにかく尖っている……一部では、サイコパス・ファントム・パンダとも揶揄される……非人道的な歌詞からサイコパス、ファントムは、格好が特徴的だから……」
「待って待って待って」
彼はえ、と首をかしげる。
「みー子ちゃん、パンダさんのファンでしょ」
「違います」
「だって、その知識量」
「記憶をさかのぼっただけですけど」
「まじ?」
「まじ、です」
ワオ、と彼は目を輝かせる。
「素晴らしい記憶力だ! やはり君はすごいよ」
「こんなのざらですよ。私の通っている学校では、私なんて」
口が滑った、と思ったときにはもう遅い。ハジメさんは、少し悲しそうな表情を浮かべた。
「何かあったの」
奥歯を強くかみしめる。
何もなかったから、終わらせようとしていたのだ。
それを邪魔したのは誰だ。
私に呪いのような言葉をかけたのは――。
「ねえ、みー子ちゃん」
「えっ……ああ」
危なかった。
うっかり、もっと口を滑らせるところだった。
「すみません、大丈夫です。いいんです、別に。それよりパンダ」
「サイコパス? ファントム? どういう意味? っていうかPは?」
「精神病質と幻影。スペルは両方Pからです」
ふうん、難しいね、と彼は笑う。英語は苦手なんだ、とつぶやいているが、別にサイコパスとファントムのスペルを知らなくても、何の問題もない。
「なるほど、そのバンドのライブに、彼女が参加した」
「話題になっていましたよね」
「高校で?」
「ニュースで。結構騒いでいましたけれど」
「そうなの? 俺毎日ふらふら散歩してるから、あんまりテレビとか見ないんだよね。スマホも見たり見なかったりだからなあ」
毎日散歩三昧の三十二歳。ハジメさんは不思議な人だ。話せば話すほど、よくわからなくなる。焦点がぼやけていく。
「なんかやらかしちゃったの? パンダさんたち」
「カスだな事件、ですよ」
「カスダナ?」
本当に知らないんだなあ。
「ことの発端はグッズ販売です。ライブが行われると、グッズが販売されるそうなんです。当日ライブ会場で売られるらしいんですけど、運営の予想をはるかに上回る人気で、販売開始時刻の十時にはすでに八時間待ちのアナウンス。ライブは七時開演予定、見通しが甘すぎたみたいですね」
「すげえ。ってことはあれか、開演に間に合わなくて暴れたファンがいた?」
「いえ、混雑を見越して、チケットを持っているファンは本当に早くから並んでいたそうですから、開演時刻までに入れなかった、といった混乱はなかったそうですよ」
「慣れっこなのか」
「そうみたいです。問題はライブ終了後、ファンの投稿が炎上したんです」
「なんだ、悪口か? 喧嘩か?」
にやにやと笑っているハジメさんは、先ほど私を心配してくれた人の表情だとは思えないほど下世話で、こういう人なんだよ本当に、とあきれてしまう。
「違います。ファンの子が次々と、喜びの声明を出したんです」
「なんて?」
「やったあ、カスって言われた、って」
「誰に?」
「ボーカルに。どうやら、ライブの途中でのトーク場面で、ファンの子に対して言ったようなんです。グッズ販売にそんなに時間かけて、へろへろになって俺たちのライブを見に来る、お前ら最高にカスだな、って」
「ははーん、読めたぞ」
ハジメさんは腕を組み、困ったように笑った。
「パンダさんが好きな子たちにとって、それはご褒美というか、サービスというか」
「ご名答です。バンドのメンバーからけなされることは、ファンにとっては名誉なこと。そういう文化があったようですね。でも、まあそんな過激な発言を喜ぶ投稿があったら、つっかかる人はいるでしょうね」
「そういうことをファンに言うなんて、と文句をたれる輩から、そんなバンドが好きなお前らなんて、って偉そうに説教する輩までいそうだな」
「中傷者の中には発言力のある人も数人いたようで、そこが火種になったようです」
「面白がったメディアがその炎上をさらに加速させた」
「そういうことです。でも、それが彼女の自殺に関係するとは到底思えませんよ」
「なぜ?」
なぜ、だって? てっきり「そうだよね」なんて軽い返事がくると思っていたから、面食らってしまった。
「なぜ」
彼は、もう一度言う。口元に笑みを携えて。なぜって、と私が口ごもっていると、彼は満足そうにうなずいた。