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死者は黄泉比良坂を超えてやってくる(馬15)  作者: 蔵前
十九 敵の大将とオコジョの王様
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提督の心意気

「おでましか。」


 麻友の呟きが聞こえたのか、女に変化したそれは俺達に向かって口角を上げた。


「さぁ、さぁ、皆様。わたくしの出し物を動かないで見守って下さい。この天井スプリンクラーに備え付けました硫酸を浴びたくなければね。さあ、キャプテンは此方へ。」


「御手洗!お前は何を言っておるのだ。そしてお前は我が船から追い払われた者だろう。誰がお前を此処に引き込んだのだ!」


 父親の側で立ち上がった小さな船長の姿を認めると、御手洗は口角をいやらしく上げて、そして、第二の宣言をした。


「ドアを閉めて鍵を。そこの方々は私の手下の邪魔をしないで下さい。」


 反対側の扉付近で俺達と同様に飲み食いしていたアミーゴズの所と俺達の所に、同時に仮面をつけた給仕がドアを閉めにやって来た。

 俺は腕に麻友の手の感触を感じて彼の顔を見返したが、彼は楽しそうな表情で首を横に振って見返すだけであった。


 俺は大きく息を吐き、この部屋にいる玄人を見つめた。

 彼は部屋の中心にあった大き目の一人掛けソファに、偉そうに身を沈めて、うんざりとした顔で御手洗を見つめている。


 そして、奥の辰蔵などは御手洗に怒りの視線を向けてはいるが、見た目は悠然と肘掛に肘を乗せて頬杖をついているのであった。

 辰蔵の隣の美女は右手を夫に捕まれているらしく、しぶしぶと従って座りなおして、大きな目を開けて状況を見守りはじめた。


「動かないで頂きましてありがとうございます。まぁ、動かれましたら、天井の硫酸は確実に被りますし、私の手下が手近な方を誰でも殺しますからね。」


「貴様の要求は何であるのだ!」


 ずかずかと御手洗の前に出てきた船長は、ぐいっと顎をあげ、その拍子に金色の髪がさらりと後ろに流れた。

 小粒の少女の偉そうな振る舞いは威圧感など無く可愛いだけであり、小さな彼女が対峙しなければならない相手が長身の女性であることで、俺は無意識にミニチュア艦長を応援していたのだろう。


「あんなにちっこいのに。偉いな。」


 思わず呟いてしまったのだ。


「ちっこいゆうな!」


 地獄耳らしかった彼女は大きな素振りで振り向いて俺を叱り飛ばしてきた。

 しかし、顔を真っ赤に染めて怒る彼女はとても可愛らしく、俺の反対側にいるアミーゴズが緊急事態を忘れて手を叩いて喜び始めたほどである。


「神だ!」

「笑いの神が降臨されておられる!」


 隣の麻友も体を折って俺に背を向けており、声を出さずに咽ていた。

 やはり、彼は由貴と久美の兄だ。


「お前等静にしたまえよ!それで、御手洗。要求は何だというのだ。この部屋の者どもを一人残らず無事に解放すれば、その要求に乗ってやらんでもないぞ。」


 御手洗はこれ異常ないくらいに顔を喜びで歪め、腰の無線機が入っているだろう小型鞄から無線機でないものを取り出した。

 梱包用の大型カッターである。


「コレで胸をお突きなさい。キャプテン。あなたのお陰で私は今まで刑務所暮らし。あなたの死体を目にすれば私はこの後がどうなろうとかまわないの。皆様の解放?ええ、叶えて差し上げますとも。」


 御手洗は海里との間にカッターを落とした。

 刃が出たままのカッターは刃毀れする事も無く床でカタカタと転がっている。


「了解した。」

「馬鹿!それは笑えないだろ!」


 婚約者だという由貴が、いつもと違う怒りを含んだ声で叫び、その後にすぐ女性の悲痛な悲鳴もあがった。


「何を言っているの!海里やめて!」


 叫んだ母親がソファから立ち上がろうとしたが、辰蔵に引き戻された。

 その様子に奥に視線を動かした御手洗は、嬉しそうに鼻で笑うと歌うような調子で脅迫の言葉を口にした。


「動くとあなたの美しい顔も焼け爛れますよ!」


「止めないか!我輩が要求を呑むのならば誰一人傷つけない約束だろう!」


 御手洗に怒鳴った少女は、ふぅと息を吐くと、両親の方へと顔をむけた。

 俺の所からはその顔は見えないが、母親が力を抜いたところから笑顔でも見せたのだろう。


 生贄になりたがる人間の笑顔は、俺も玄人に散々見せられて知っている。

 生きたいからこそ、愛されたいからこそ生贄であろうとする健気な表情だが、無条件に愛しているこちらとしては殴りつけたくなる顔だ。


「父上、母上、我輩は、もう、一歩も歩けない。ですから、皆を守れるのならばこれでいいのです。」


「ふざけんな!お前はそんな戯言に乗らずに俺の所に来い!お前が歩けなきゃ俺が引き摺ってやるから心配するな!ここの全員死んだってかまわないよ!」


「お前はまっさらな体の女を妻にしろ!」

「お前はまっさらだろうが!この馬鹿!いいから、こっちに来い!」


「ユキ。」


 海里の体がふらりと由貴の方へ揺らいだ刹那、暫定王様の声が会場中に響いた。


「黙れ!この下郎が!」


 すると、玄人の挙げた声でぴしりと由貴の体が硬直したのである。


「ひさよし!よしたかの体を拘束しろ!」


 何時もの呼び方ではなく、本当の呼び方を玄人にされた久美は信じられない顔をしながら由貴を拘束した。

 がっちりと両腕を回して由貴を動けないように抱きしめているのだ。


「それから、永美子えみこさん、あなたにはきつ過ぎるから眠って。」


 すっと玄人が指を持ち上げたが、妻の隣の辰蔵が首を振った。


「大丈夫だよ。僕達は娘の勇姿を黙って見守れる。」


 早坂は彼の言葉に呆然とする妻を、今度は手だけではなく体ごと抱きしめた。

 その様子に満足したのか、青の近衛兵の衣装を纏った玄人は座っていた場所から立ち上がり、小柄な船長の側にカツカツと足音を立てて歩いていった。


 玄人が御手洗と海里の側に辿り着いた途端、彼らの姿が一瞬だけ青く輝いて見えなくなった。

 玄人がオコジョを使って電撃の四角い檻を作り上げたのである。


「さぁ、邪魔は廃しましたよ。あなたは提督が自刃すれば僕達を解放すると。それは確かですか?」


「勿論です。私は単純な仕返しに来ただけです。」


 玄人は床に落ちたカッターを拾い上げ、そのまま海里に差し出した。


「君に選択を任せるよ。」


 小柄な少女は無言で奪うようにカッターを手にすると、天晴れといいたくなる勢いで自分の胸に刺して崩れ落ちた。

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