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楊の部下に鼠はいない

 楊は自分が招いた状況を見回した。

 しかし、自分を責めるよりも鼓舞する状況であることに、彼は自分の部下となった青年達に感謝した。

 彼らはこの状況に、全く打ちひしがれていないのである。


 葉山は右袖が破り取られているが、いつもの折り目正しい様子で真っ直ぐに立って敵を警戒している。

 水野と佐藤は既に上着を脱いでいる。

 最初の攻撃で引き裂かれ、破れた服は動きの邪魔になるだけだとあっさりと彼女達は脱ぎ捨てたのである。

 ただし、彼女達が下に着ていたシャツがストレッチ素材の体に沿うものであり、彼女達の美しい上半身の曲線を露とさせたので、楊と五月女をかなり慌てさせたと楊に思い出させた。

 佐藤などスカートが破れてスリットが入った状態なのだから、尚更に扇情的な姿である。


「持久戦に生きた人間は不利ですね。このままじゃ、トイレにも行けませんもの。」


 五月女の言葉は数秒前の自分の呟きの返答だったとわかっていたが、楊は人でなしな返答を五月女に返した。


「佐藤と水野に発情できるって、君は男だよ。」

「ちょっと、課長!そういう意味じゃ!」


 五月女は楊の返答に真っ赤になって、自分の上司を見返した。

 すると、楊は背を向けて黒いロングコートの裾を広げてしゃがみ込んでいた。

 楊が着用する黒いコートには引き裂き傷どころか汚れ一つ見えず、五月女はそこで楊一人が服に乱れがなかった事に気がついたのである。


「課長の両腕は俺を抱えていたのに、どうやって死人を。」


 五月女は楊が死人に指一本触れずに倒していた事に今更ながらに気が付き、気が付いた事で楊に薄ら寒さを感じてすうっと血の気が失せていく気がした。

 五月女の心の動きなど知らないはずの楊がゆっくりと振り返り、楊に脅え始めている五月女と目を合わせた。


「課長。」


「痛いだろうに、すまないね。もう少し耐えてくれないかな。まずはこの死人に対処しないと救急も消防も近寄せられないからね。知らずに襲われたら人格を奪う奴らでしょう。」


「ええ、わかっております。自分の怪我はご心配なく。それから、課長。急にしゃがまれましたが、怪我でもされていたのですか?」


「いや。急に思い出してね。これを見比べていた。」


 楊はスマートフォンと折りたたまれた線だらけの紙を掲げて見せた。


「何ですか?それは?」


「うん?この紙切れはね、同時期に新潟に住所を変えてしまった監視中の人達のリストだよ。警察庁から新潟県警に直接送られて来たものなの。ここの名簿が見たことある名前ばかりだなって見返したら、凄いよ、このリストと十九人も重複していた。この十九人を除外しても後の五人はどこかに消えているって事か、嫌だねぇ。」


「かわさん、受講者名簿からあとの五人ってどうして言い切るの?」


 前方から目を離さないまま葉山が声をあげた


「そうですよ。塾長とアルバイト受付二名。」


 葉山と五月女の問いに対して、楊は受付と繋がるドアの前に佇む黒のタートルセーターに青系のチェックのロングスカート姿の白塗りと、ブラウンのコーデュロイパンツに裾がチュールになった紺色のチュニックを羽織った白塗りの二人を見つめながら答えた。


「受付の前にいるあの子達の服装。あれも罠ではなければね、佐藤と水野が確認した高部香奈と濱口悠が最後に確認された時の服装でしょう。スカートが高部。従って受講生リストから除外できる。そして、五月女君を齧ったこの死人は、服装から夜逃げしたはずの塾長でしょう。これで三人除外。その上で外のトランクの二人と、この教室内の男性服の二人を引くと、さて、残りの受講生は何人でしょうか?」


 五月女は自分のスマートフォンを開き、自分達を取り囲む死人たちを見回し、そして、楊ににっこりと笑顔を見せた。


「逃げた奴は置いておいて、この教室で動き回っている男性型は課長の言っていた悪い子達のどれかに当て嵌りますね。服装が皆二十代前半です。」


「あー。そうだね。凄いよ。確かにそうじゃん。さっき机の下に隠れたやつ、足首に入れ墨があった。消えないのね、あれは。」


 水野が楽しそうに笑うと、彼女の相棒が明るい声を出した。


「あいつら全員足首にタトゥー入れていたね。お揃いでだっさいの。あ、思い出した。あの不細工、あれは早河芳雄だ。昔土下座させた不細工だ。怯えて脱糞しちゃった不細工だった。」


 歌うような佐藤のセリフに、男性陣は一斉に「え?」と濁点のついた「え」を心の中だけで発していた。

 そうして、テレパーシーなど無いが全員一致で聞こえなかった事にした。


「まぁいいや。確保しよう。とにかくとっ捕まえて、身元抑えてかわさんの言う五人を捕まえに行こう。」


「良かった!あたしはここでだらだらしているのに飽きたんだ!」

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