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ボックス席の恥知らず

 二番甲板から四番甲板までも突き抜けて作られた劇場は、小型であるが重厚で古臭い作りであった。

 小型の円形劇場にバルコニーのように張り出したボックスと称される観覧席がいくつか備えられ、俺達がスタッフに案内されたのはその一つである。


 このような観覧席は何処の劇場でも年間の権利を購入するものなのだと初めて知った。

 それで何々伯爵家のボックスという言い方があるのか。


 そして、ボックス席の客達は専用廊下で互いのボックスの行き来ができるが、専用廊下に入り込めるのはボックスの持ち主と招待客だけであり、大広間の一般客には潜り込めないという。


 ここは本当の特等席なのである。 


 天井から吊り下げられた縄に体を巻きつけてポーズをとっている演者達を横目に、俺はテーブルを見回した。

 このボックスに俺と髙夫妻と梨々子が呼ばれた時、俺達を待っていたのは武本咲子と白波周吉、俺達と一緒に青森から来た武本譲、そしてなんと松野葉子と坂下克己までいたのだ。


 松野が動くと言うのならば、葉子専任でもある坂下が彼女の警護に意地でもついてくるのは当たり前なのだろうが、俺が今まで抱いていた坂下への尊敬やら何やらが瓦解していく音を、そのホクホクした嬉しそうな顔つきの彼に聞かせてやりたいと思ったのも事実である。


 松野は優美に纏めた夜会巻きの頭に、胸から裾に向かって深い青へと染まっていくマーメイド型のロングドレス姿で、玄人が彼女を評している深い海から現れたボッティチェリのヴィーナスそのものだ。


 譲も周吉も羽織姿の粋な和装であり、譲が茶系に孔雀のような緑色を差し色にして渋い色を合わせているのと対照的に、周吉は銀にも見える淡い藤色の光沢のあるものだった。


 そして、咲子などはひな壇のお姫様のようだ。

 小柄な体になぜそんなにもサイケデリックな色柄を合わせるのが好きなのか不思議であるが、彼女が柔らかい色合いの着物を着たら咲子でなくなる気もしてしまうから不思議だ。


 坂下は彼らに驚き、現れた俺達の派手な格好にも息を呑んでいたが、彼自身松野によってかオーダーメイドらしき黒のタキシードに蝶ネクタイ姿という艶やかさである。

 玄人には絶対に見せたくない、坂下さん格好良い、なのだ。


「わぉ、山口君は物凄く着飾ったね。写真を撮っていいかな。」


 派手な毛皮のコートを羽織っていなくとも、俺の上半身が金色のピカピカでしかないことを忘れていた。


「坂下さんすいません。僕が間違っていました。勘弁してください。」


 一通り挨拶が終わった俺達は、今や舞台側を開けて細長い楕円形のテーブルに並び、舞台を観賞し歓談しながらの食事中である。

 席順は松野葉子を中心にしてできる限り男女交互に配されている。

 舞台側から見て右から坂下、髙に杏子、そして周吉となり松野だ。

 そして松野の左側から譲、梨々子に咲子となり、俺が左側の一番端となる。


 坂下は刑事として階級が一番上であるが、今回は松野の警護としての付き人であるため右側の下座、そして、左側の俺が一番の下座ということだ。

 一番の下座がドアに近い場所だと玄人に教えられた事を鑑みるとそうだ。

 咲子を一番の下座に置く訳には行かないだろうし、俺の電動車椅子が邪魔なのだから仕方が無いか。


「素晴らしいわ。小説や映画の中のお姫様になったような世界。」


 杏子の言葉に、彼女の以前の上司であった坂下がいい声で笑い声を立てた。


「僕も夢なら覚めないでって何度頬を抓ったか。」


 ドレス姿で年齢不詳の美女となっている松野は、お気に入りの坂下に温かい目を向けた。


「葉子ちゃんが参加してくれるなんて嬉しいわ。次は招待状ぐらい送るわよ。」

「特別料金で?」


 うふふと笑いあう二人は、女学校時代の先輩後輩であったからか仲が良い。

 勿論、小柄で人形のような咲子が先輩で、それも恐ろしい人であったそうだ。

 そんな二人に挟まれている梨々子は、二人の会話に反応して大声をあげた。


「おばあちゃん。いくらなの?このパーティの本当の招待状は!」


 驚く孫に、松野はニンマリと微笑んだ。


「あって無きが如しよ。もう、凄いごうつく。」

「仕方ないでしょう。全部を受け入れられないもの。」


 ふふんと咲子が微笑んで松野に返すと、梨々子はしょんぼりとなり、そして頭をがっくりと下げたのだ。


「あら、梨々子ちゃん、あなたはどうしちゃったの?」

「どうしたのよ、あんたは?」


 がっくりと頭を下げたまま梨々子はポツリと口にした。


「まさ君との結婚式をここでやりたいなって。大広間のパーティ会場は無理でも、一番上の甲板で式を挙げて、トーチカのカフェで披露宴できたらいいなって。でも、やっぱりお船は高いから駄目よね。」


「あら、葉子ちゃん、面白そうじゃないの。船上結婚式。横浜港でどーんとやりましょうよ。大事な可愛い孫のために散在してみましょうか。」


「本当に、咲子さんは酷いわね。でも、そうね。船は好きよ。あなたに無理矢理乗せられたけれど、あの一年は楽しかったわ。」


 松野の言葉に反応したのは武本譲であった。


「あの被害者が君だったのか。蔵人さんは、咲ちゃんと結婚しなければ次々と女学校のお嬢さんが船に乗せられて売り飛ばされるからと、慌てて結婚を決めたんだよ。」


「え、咲子さんが家出したと騙されてではなく?」


 俺が咲子に聞いていたことと違うと思わず声をあげると、譲はニヤっと笑った。


「騙されていたらプロポーズに行けないでしょう。」


 咲子は「もう。」と譲に大声をあげ、テーブルが笑いさざめく中で、右の壁にチラっと光るものが視界に入り、俺は何気なくテーブルから目線を動かした。


 すると、銀色のトカゲがすっと壁をするすると這って隣のボックスに消えていったのである。

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