梨々子は海里に進む
飛び出してきた早坂海里は梨々子と同じ年だが、梨々子以上に引き篭もりだ。
趣味の軍艦風の船に乗り、ただひたすら海上を彷徨っている人なのだ。
但し、彼女の片目のアイパッチは本物でお遊びではない。
五年前に彼女は誘拐されたのだと聞いた。
生きて帰って来た彼女は、右目と世界を失っていたのだという。
まるでこの間までの僕のようだ。
そして、僕の親族の島田正太郎が悠々自適生活を送るギガヨットに男性スタッフしか雇っていない事と反対に、傷ついた彼女を脅かさないために、この船のスタッフは女性のみで構成されている。
しかし、パーティに使う数日間だけは、この船は白波のイベント会社から派遣された男性スタッフも受け入れ、パーティともなれば大人数の親族郎党と大勢の他人が集まるのだ。
四年前から白波がこの船を使うようになったのは、海里を人間界に戻そうとの親世代達の思惑であるだろう。
また、ヘリに乗り込む時に由貴に聞いたが、彼女は彼の婚約者なのだという。
早坂がミニジェットに付けたオマケなのだと、彼の説明は相変わらずのアミーゴ節であったが。
「お前等、さっさといつもの部屋に行きたまえよ。彼女達が寒くて可哀相だろ。我輩はここでパーティの監督の仕事があるからな。手間をかけさせるではない。」
再会した彼女はアイパッチをしていてもとても可愛らしかったが、とても残念な人でもあるようだ。
けれども、可愛らしく威張りながらも怒りではない方で顔を真っ赤に染めた彼女の様子に、共感力の無い僕でも胸が痛くなった。
この子はあの由貴に仄かな気持ちを抱いている様子なのである。
引き篭もっていたばっかりに人間の善し悪しが判らなくなってしまったとは。
それでも誤解させておくのは可哀相なので、僕は慌てて彼女に自己紹介をした。
「えっと、お久しぶり、だよね。僕は武本の玄人です。そしてこっちが僕の恩人の楊刑事の婚約者であり、僕の友人の金虫梨々子さんです。」
腕で引き寄せるように梨々子を引っ張ると、そのままぐいと海里の前に突き出した。
突き出された梨々子は僕に怒るどころか、僕の説明に大喜びに胸を張ったのである。
「玄人の恩人のまさ君の婚約者さんです。」
梨々子の残念な自己紹介に僕はがっかりもしたが、こんな紹介でも海里には通じたようだった。赤い顔がすっと普通の顔色に戻り、僕をまじまじと見つめかえしたのだ。
「え?」
小さな美女の「え」は濁点がつくような「え」であり、僕は久美にぽんと頭を叩かれた。
「だめっしょ。こういう悪戯はもうちょっと引き伸ばさなきゃ。淳が着いた時にオコジョが淳平くぅんって縋りついたところで、これがウチのオコジョで男の子でしたって、ネタばらしのはずが、この、オコジョは。駄目らねっかさ。何のために君達を時間差で運んだと思っているんらね。なぁ、ユキちゃん。台無し。凄い台無し。」
「本当、いやーん。オコジョったら、笑いの神を手放しちゃっているよ。やっぱ、俺達が鍛えていないと駄目だね。」
僕は相変わらずのアミーゴズに大きな溜息だ。
婚約者を楽しませたいからと由貴に騙されて、彼らと馬鹿踊りをしていた自分が馬鹿一直線で情けないよ。
隣の梨々子はというと、いつの間にか海里の手を両手で掴んでいた。
「梨々子?」
引っ込み思案の梨々子の行動的な動きに驚いていている僕の目の前で、手を掴まれて目を丸くしている海里に対して梨々子は小学生の様に大声をあげた。
「すっごいお船ね。私はこういうのが大好きなの。ねぇ、お友達になって。」
「うわぁ、小学生だ。やっぱ、梨々子は可愛いれ。」
「カイとお似合いだし、ユニット組ませて歌わせようかな。」
「お前の寝室でか?この助べぇが。」
僕はどうしようもない従兄のお陰で少々冷静になれたが、梨々子は僕達の言葉など聞こえていないようで、次々と海里に船の構造やらエンジンが何式だとか専門的な質問を投げつけて喜んでいる。
質問内容が専門すぎて元理工学部生だった僕への当てつけと思える程であったが、海里が妙に嬉しそうである姿に僕は微笑ましい情景だと流す事にした。
梨々子が深く物事を考えている筈は無いのであり、学業不振で中退した事実への後悔は自分の財産から無駄な学費を出してしまった一点のみであるので、僕の神経がささくれる必要など無いのである。
居心地が悪く感じるのは、アミーゴズも海里も理系の人で梨々子の質問の意味がわかっているからであり、理解できない僕だけボッチに気が付いたからかもしれない。
だが、梨々子は僕の友人でもあった。
「私はね、六月に最愛の人と結婚する予定なの!私の彼を見る?まさ君てね、すっごく格好良くてね、最高の人なの。」
僕が輪から外れない話題を始めたのである。
「お、おう。」
海里は突然の話題の転換に目を丸くしているが、友人になったばかりの少女に引かれていることも気が付かずに、梨々子は一心不乱にスマートフォンを操作し始めている。
しばし後、お気に入りの画像が出たのか、彼女は気味の悪い声を出した。
「ぐひひひひ。」
気味の悪い声に完全に硬直している海里に、梨々子は照れ笑いをしながらスマートフォンをぐいぐいと差し出した。
「ねぇ、素敵な人でしょう。でへ。へへへ。」
「海里、いいから見てあげて。」
僕は海里にお願いした。
海里は思いっきり梨々子の壊れっぷりにかなり引いていた、けれども。




